芸術は太郎曰くや「爆発だ!」
先月、美術展を見に国立新美術館まで出掛けた。猛暑の中、病み上がりのヘロヘロの状態であるというのに。それほどまでも見たかったんである。
岡本太郎氏の「芸術は爆発だ!」の爆発は、比喩的なものであろうが、この展示会の作品は、リアルで爆発している。
芸術とか美術とか、全く素養が無くわからない。美術展なんてほぼ縁が無かった。けれど新聞でこの企画展を知ってどうしても行って見ねばと思ったのだ。いや、見なければならぬと強く感じた。大げさに言えば、見なければ死ねん! の一歩手前までの強力な思いだった。なぜかはわからない。
ろうそくと爆発の炎 陰と陽
火薬を爆発させて表現するアーティストがいるということは、随分前からうっすらと知ってはいた。だが、特段に興味はなかった。
それが6月26日にこの企画展に先立ち、いわき市で火薬の桜花を咲かせる《満天の桜が咲く日》というプロジェクトが開催されたというニュースをたまたまラジオで聞いた。それが印象に残った。なぜなら、当時、某女優の不倫と離婚するしないの騒動が真っ盛りだったから、つい、その時点でまだ某女優のダンナであった、同じ「火」を使ったろうそくアーティストをつい連想してしたからだ。恥ずかしながら、結構、下世話な理由。
ろうそくアートと爆発アート、対照的である。前者が陰なら、後者は陽。前者が内なら、後者は外。前者が静で後者が動。
私の勝手な印象では、ろうそくが亡魂を呼び寄せて生者死者ともに魂を慰め合う内に籠もったイメージなら、爆発は死者生者問わず、その重い、あるいは戸惑い、彷徨う思いや魂を外へ解放し、終わりで、かつ、始まりへと還元させるようなイメージだ。
病み上がり 原初を求め彷徨い出る
そのニュースの直後、今度は新聞でその爆発アートの企画展があると知った。途端に無性にそれを見たくなったのだ。その記事に添えられた写真に惹かれたのか、「原初火球」ビックバンという言葉だったのか、「爆発」というシンプルな言葉だったのか……。まあ、病み上がりでいつもにも増して萎んでミイラ化していたけれど、いろいろと爆発したくなるような事どもがあったからなのかとは思うが。いや、BBAが病み上がりで否応なく彼岸に還るカウントダウンを意識せざるを得なくなって、ちょうど「原初火球」ビックバンという、終わりであり始まりである原初に還る言葉を目にして引き寄せられたのか。若き彼が来日した1986年は、前年に私は初めて中国を旅して、その余波覚めやらぬ状態で中国に関わる卒論を書いていたときだったから、年月を感じてしまったからなのか。自分で理解も説明のつかぬまま「爆発」と「原初」そして「ビックバン」という言葉が馬車を引く馬となって、その三頭立ての馬車に私はいつの間にか放り込まれて蔡國強の芸術世界に連れて行かれた……そんな態であった。
結果。行って良かった。見て良かった。知って良かった。
展示会を鑑賞している人たちは、夏休みに入っていたからか、子供連れもちらほらいた。子どもたちは不思議と場を壊すほどはしゃいだり騒いだりすることもなく――そういう子だから親が安心して連れてきたということかもしれない――お行儀が良かった。そして、妙に外国人が目立った。特に中国系の方々。そして、なぜか彼らはチケットに使用された《銀河で氷戯》というブルーを基調にした二つの連なった渦が描かれ、人々がその渦のラインに沿って競争するように駆けているような作品に関心が高いようで、みな盛んにスマホを掲げていた。
ビックバンすべてはかえるはじまりに
私が一番、心引かれた作品は《胎動II:外星人のためのプロジェクト No. 9》という作品だ。この企画展のフライヤーにも使用されている。彼の「爆発」の象徴のような作品だからか。
1991年の「原初火球 The Project for Projects」という個展で登場したこの作品は
とあるように彼の芸術の始まりであり、核であるように思われる。
No.9は、作品の中心にある座禅を組む白い人型から光が放たれるがごとく火薬の爆発痕が放射状に広がっている。
この作品を見ていると、ちまちました自分の思考が存在や自分を取り巻くちまちました思念や要求が、バン!とぶっ飛んで行くような気がする。自分を閉じ込めていた何か、あるいは閉じこもっていた何かから開放され、本来の自分をゆがめている全てから解放されるようである。
そう書くと「躍動感」とか「快活」とか「陽気」とかいう印象が浮かぶだろうが、この作品は解放を見るものに与えながらも、静かなのである。爆発の「動」によって生み出されているにもかかわらず、不思議な静寂があるのだ。だからなのか開放感と解放感を得ながら、同時に心が落ち着くのである。
中心の人型が座禅を組んでいる姿勢は、ちょっと仏教的思想を感じさせる。けれど、そこに拘り過ぎると「バン!」という広がる感覚がなくなって一種の曼荼羅図に見えてくる。私の感覚では、曼荼羅は整然と閉じた空間なのだ。美しいが、内へ内へと籠もっていき、息苦しい。ぎゅっと何もかもが凝縮されてきて、心が萎縮していくように感じてしまうようになった。前は、逆であったのに。以前、ある画家のとても好きだった曼荼羅を思わせる作品があったのだが、いつの間にか少し苦しく感じてしまうようになった。私の好きなブルーで描かれていて(五月天のバンドカラー! こんなところで余計なファン魂が呼び覚まされる)本当に好きだったのに。
なぜ、中央の人型が座禅姿なのか。最初、私は、それが彼が東洋人だからぐらいに軽く思っていた。彼がもし欧米人だったら、真ん中の人型は、ダヴィンチの人体図か十字架上に手脚を伸ばした格好になっていただろうと勝手に想像したりした。自分だったら……胎児型とか、ただの○とか? まあ、そもそもこんな作品思いつきもしないだろう。
そんなことをつらつらと考えて、結局、やっぱり座禅型でいいのだと行き着いた。いや、座禅型がいいのだ。それでなければならないのだ。十字架型だったら、「動」のイメージが強くなって、あの作品の爆発痕の激しさを見せながらも不思議な心地よい静寂が失われてしまう。ただの○だったら凡庸で全然意味がない。胎児だったら? それこそ凡庸の極みになっただろう。
そこまで考えて、曼荼羅とNo.9の違いと繋がりに、はたと思い至った。いや、思いついたか。自分の勝手な解釈だから。曼荼羅は、宇宙の終わりへ向けて空間を閉じていくところなのだ。原初へ還るための終焉の準備なのだ。だから内へ籠もっていく萎縮していくような感覚を覚えるのだ。No.9は、内へ内へと凝縮し果てた空間が原初の爆発をした瞬間なのだ。
今は、そんな自己解釈をしているが、また変わるかもしれない。人ってそういうもんでしょ。
くだらない屁理屈感想はさておき、私は、本当にこの作品が好きだ。純粋に大好きなのだ。このまま持って帰りたいと思ったぐらいに。毎日毎日眺めたいぐらいに。でも、持って帰れない。盗難になっちゃう。その前にお前には担げもしないだろうという話だ。背負った途端にぺしゃんと潰れる。だって、サイズがもうでっかいんだもん。明らかに部屋にも収まらないしな。
だから、目に焼き付けよう、心に刻もうと随分と長いこと、この作品の前に佇んでいた。
濃桜の煙の中に何を見む
いわきプロジェクト《満天の桜が咲く日》の映像も公開されていた。映像でもなかなかの迫力だったから、実際はさぞ凄かっただろう。ああ、見たかった。ドンドンドン!といかバンバンバン!というか、計算されて並べられた火薬に順々に火がついて爆発して、みるみると細い枝が煙の中に散り、そこに濃桜色の桜の花が咲き、あっという間に満開になる。桜並木が立ち上がる。そして、あっというまに散っていく。
私は、最初の細く短い枝がチリチリと煙の中に浮び上がったとき、なぜかそれが「文字」に見えた。見知らぬ文字。読めない文字。文字であって文字でない文字。でも何か意味があるのではないかと思ってしまう文字。
そして満開の濃桜色に、あの大震災のあった年の桜の濃さを思い出した。岩手の内陸にある実家の近くには、ちょっとした桜の名所がある。中国からの桜目当ての団体旅行の一団が桜を求めて来ることもあったという。あの年のその公園の桜は、生まれてから一度も見たことのない満開っぷりで、濃密な薄紅色だった。いや、「薄」という言葉は似合わない。極めて濃厚な桜色。私より生きている両親でさえ、こんなに濃い桜は初めてだという。
震災で新幹線もまだ復旧しておらず、元より観光客はいない。いつもドンチャンと騒がしい地元の花見客も自粛――というか日々の生活で手一杯。花見盛りだというのに人気のない公園を歩くのも初めてだった。その年の春は、気温が例年より低く、そのせいか温暖化が進んで桜の開花が早くなっていた近年より遅く、私が子供の頃の開花時期と同じだった。人気のなさと相まって、どこか公園は冷んやりとしていた。
濃桜色に密に覆われた空間は、とても静かで、とても美しい。この世のものとも思われないほどに。「桜の下には死体が埋まっている」という言葉を聞いたことがある。何かの文学作品の一節かもしれない。教養が無いのでその辺はうろおぼえだが。そんな言葉をつい思い浮かべてしまうぐらいに。海で亡くなった魂が無意識に波を逃れて逃れて、北上山地を越えてここまで来て桜の花となって咲いたのではないか。そう思わせるくらいに。この静謐で美しい光景は、だから、どこか哀しくもあった。
懐かしきコスモスの夢 薄紅色
展示会を見た帰りに大好きな爆発であるNo.9が載っているであろう企画展の本(何本って言うの? 写真本?)を購入しようと思ったが、値段とサイズのでかさに断念した。代表的な作品のポスターとかあるのかなと思ったが、それはなかった。なにせ美術展なんて縁が無かったもんで、関連グッズがどういうものかよくわかっていなかった。ポスカはちょっとあったけれど。
そう言えば、関連書籍が何点か販売されていて、その中にカール・せーガンの『コスモス』があった。TV番組にもなったよね。当時、10代のクソガキだったが、意味は全然わからなかったが(苦笑)夢中になったっけ。小遣い貯めて本も買った。上下巻。ひどく懐かしかったが、蔡氏も読んだんだなあ。そして影響を受けたんだ。ちと、感慨深くなった。
そしてなぜか松本零士氏の『千年女王』のアニメ主題歌を思い出した。♪コスモスドリーム 宇宙の果てまで~♪ っていう歌詞の一部。
そういえば、植物のコスモスも桜と同じく薄紅色だ。
〈どうでもいい余談〉
それにしてもなぜ、簡体字を使う中華人民共和国の出身である彼が名前の蔡「國」強と「國」を繁体字で表しているのだろう。日本でも「國」は旧字体で、何か理由がない限り、通常「国」である。そうそう、「国強」という名前は、中国系の人には割と多い名前のようだ。香港でも台湾でもちらほら見かけるが、大陸中国だと特に文革を連想させる。今は、古くさい名前になってるかもしれない。日本でも、女の子に名前に今では「子」がつくことが少なくなって、○○子という名前はBBA臭がするように、若い世代の中国系であんまり見かけなくなった気がする。
更に余談だが、文革時代は女の子にも「軍」とかいう字を名前に使用する、あるいは改名することも多かった。知る人ぞ知る某シンクタンクのコメンテーターの女性の名前もそうである。年齢的にもジャスト文革世代。納得。
※チェックもせずにベタ打ってそのままアップしたので、手直ししたが、また手直ししたくなるかもしれません。あしからず。(ま、誰も読まんから問題ないだろが)
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