見出し画像

僕の歪んだ人生観

根無し草の成れの果て

こんにちは。毎度のことながら自己紹介の記事を貼り付けておくので、初見の方は是非覗いてみてください。南仏の都市トゥールーズに正規留学中の大学生、しみみんといいます。

今回の記事では、少し変わった僕の心の在り方を皆さんに共有したいと思います。長らく日本で生きてきた僕が、なぜ日本ではなくフランスの大学への海外進学を決めたのか。その決断を支持する屋台骨にもなった、曖昧でちょっぴりダークな世界観をお楽しみいただければと思います。

価値観の変遷

幼少期の幸せな記憶(~5歳)

僕は昔から周りにいる人がみんな大好きでした。優秀な両親、かわいい弟、優しい祖父母、一緒に遊べる友達。くじ引きは大吉以外引いた試しがなく、外に出ればどんな雨雲でも撃退してしまうほどの晴れ男。僕の人生でここまで全てが思い通りになる時期は後にも先にもありません。

人間ここまで満たされてしまうと、欲しいものは全部手に入っているので駄々のこねようもなく(注射の際は別です笑)、いつもニコニコしていて人懐っこい子供だったそうです。この時は自分がこの世界の【主人公】だと信じて疑いませんでした。

子供の頃の世界は光り輝いていました

ベルギー滞在(6歳~8歳)

突如知らされるベルギー行き。今まで手にしてきた人間関係は天から授かったも同然だったので、世界の何処に行こうが何も変わらない、友人も先生もすぐにできるだろうと軽く考えていました。しかし、そこで人生初めて言語の壁という途方もない強敵に出くわします。9月入学と4月入学というズレも大いに災いし、僕はフランス語が全く話せない状態で、しかも保育園を卒業したばかりの状態で、現地校の小学1年生後期に放り込まれてしまいました。

書いたこともない筆記体を書き連ね、読んだこともないフランス語を読み続け、ちゃんとできなければ落第が待っている。そこにかつての【主人公】の面影はなく、周りを嘘で笑わせ、同時に自身の荒んだ心にも嘘をついてやり過ごす、保身で精一杯の【難民】の姿がありました。

滞在先は首都ブリュッセル、すごくいい街でしたよ

帰国とそれから(9歳~)

同級生たちの手厚いサポートもあり、少しずつ現地に馴染み始めた頃、突如として日本への帰国が決定されました。幼少期のものと違って一つ一つ自分の手で築き上げた関係性、それらが希薄になってしまうと思うと寂しくなったものの、かつて【主人公】を謳歌した母国に帰るというのは、それだけで多少の期待感がありました。

しかし、そこで待っていたのはイジメでした。帰国子女で日本語能力に難を抱えており、小学1年生の漢字もロクに書けない。給食当番だったり掃除の時間だったり、日本の小学生なら当然わかるはずのことがわからない。日本人なのに何でこんなこともわからないのか、背中に感じる冷たい視線と形容しがたい疎外感は、ベルギーにいたときの何倍もつらいものでした。僕はもはや【難民】ではなく【異端者】なのだと、給食の残りの餃子が自分の給食着のポケットに放り込まれたとき、ゴミ収集スペースに閉じ込められたとき、上履きが蹴り飛ばされて戻ってこなかったとき、その都度理解し反芻しました。

同じ日本人なのに、、これがキツかった

世界のどこにいようと、【異端者】には居場所がありません。具体的には、僕と家族以外全員異種族で信用も期待もできない、という心持ちのことです。中学高校と日本の文化に慣れ親しんでからも、どうしても親近感が湧いてこないのです。生来のみんな大好きがみんな大嫌いになった、まるで小説やライトノーベルで見かけるような闇落ち展開です。

なぜフランスに留学したのか

両親を肯定するためです

ベルギー行きの決定も帰国してからの大半の生活も、全ては両親が取り仕切ったことです。ベルギーで得たフランス語という技能、【異端者】であるという自意識、何もかもが両親の教育の成果であり現れです。僕が何か間違いを犯せば「親の顔が見てみたい」などと言われてしまうし、僕が何か大きな成功を収めれば「育ちよさそうだよね」などと言われるわけです。では、僕は残りの人生で何をすべきか。

僕は、大学教授というハードな仕事をこなしながらも、単身赴任中の父親に代わり女手一つで育ててくれた母親が大好きです。同様に、単身赴任でなかなか会えないながらも、帰ってくる度に朗らかな雰囲気で一家をまとめてくれた父親が大好きです。この2人がいる家庭は、僕が世界で唯一帰ることのできる場所です。彼らがせめて僕のことを誇りに思えるようにしたい。彼らの教育に1つも無駄なものはなかったのだと、彼ら自身を誇りに思ってもらいたい。

そのためのベストな選択こそ、フランスに海外進学することでした。異国の地で実力を証明し、ゆくゆくは経済的に両親を支えること。これが現時点での僕の人生目標です。

ちゃんと卒業できればそれなりの高給取りになれるはず、、

最後に

いかがでしたでしょうか。友人にこの話をすると、「お前はもっと自分の人生を生きろ」などと諭されることもあります。そこで、「僕の人生の【主人公】はすでに僕ではないんだよ」と返答すると、誰もが不思議そうな顔で首を傾げます。

僕はもうこの社会のために何かをしてあげたいなんて思えません。逆もまた然りで、僕は今以上にこの社会に何かをして欲しいなんて思っていません。だから端的に言うならば、夢も希望もないのです。この社会から痛みなしに飛び去れるのであれば、僕は喜んでそうするでしょう。ただ、その前に両親にだけは報いたい。そう思って今を生きています。

皆さんはどうでしょうか。ご自身の人生観、暇を持て余したら考えてみるのも一興かもしれませんね。

それでは、また。

いいなと思ったら応援しよう!