【自分に素直に生きる】。それは年齢と共に変わるもの。
夜勤から帰る道すがら。
炎天下。
日陰を日傘を手に帽子姿で歩く自分がガラスに写り
「タロットカードのfoolかヨ!?」
て思ったのはこのはなさくやデス。
愚者のカードは、私にはラッキーカードのイメージです。
一歩前に差し迫る崖に気付かないのか?気にしないのか?歌いなから歩き続ける愚者の絵は、私に勇気を与えてくれるカードだからです。😌
私たちは日常的に様々な人の意見や思惑や欲望や不満に巻き込まれながら、【人間関係】を築いていかねばなりません。
時に、後戻り出来ない失敗を心配して足を踏み出せなくなったり…
時に、自分が良かれと思って取った言動に傷付く人が現れたり…
そんな時の私に勇気を与えてくれる愚者のイラスト。
悩むのも面倒くさい!やっちゃえ!
失敗も学びと捉えれば、失敗ではなくなるわ。
後戻り出来ないなら迂回しながら前に進めばいいじゃない?
誰かを傷付けてしまったら、挽回するしかない!
出来ることを頑張ろう。
格好つけたって、相手の記憶に残らないなら、無駄な足掻きでしかないわ。
ありのままに必死こいて立ち上がる姿が、カッコイイの基準になったりもするし?
起こってもいない未来に囚われ過ぎるよりも、鼻歌でも口ずさみながらスキップして駆け抜けちゃえばいいじゃない?
案外、そのくらいの方が上手くいくものよね。
つまり、自分が自分の意思で決断して行った言動の結果なら、真摯に受け止める覚悟も持てるはず。
それが【自由】の正体だ!
と、私に突き刺さるのです。(◡ ω ◡)
とはいえ。
やってもいない事柄の尻ぬぐいをしなきゃならない時や、理不尽な言い分に納得せざるを得ない状況、腐った長いものに巻かれなきゃならないこと…ありますよ。
┐(´ー`)┌大人の忖度ってやつ?
昨日も身に覚えのない苦情に頭を下げてきたわ〜。謝って許されるならラッキー♡よね。
20代の頃ならキレて、泣き喚いて、全力否定していたでしょう。
30代の頃なら、クダ撒いて、お酒と一緒に飲み込んで、二日酔いで頭痛を誤魔化していたでしょう。
40代になり、意味不明な責任感も、他責思考な正義感も見飽きてゲンナリ…
そんな時代を駆け抜けてきて、
『自分が最終的に納得出来ればいいや。そもそも、自分自身も数日すれば色々変わるし。』
の50代を目前にしています。
良い意味で、自分への期待値もなくなったのでしょうか。(•‿•)
【周りに見せたい自分】と【周りが見ている自分】のギャップにも慣れたのね。
最近よく周囲に漏らす言葉があります。
「一周回ったら、案外、私はまともかもしれない。」
それを聞いた人は決まって
「一周回ってから?!」
とツッコミを入れてくれます。
本当の意味は「見方を変えたら」「視線をズラしたら」「視野を拡げたら」ですが、敢えてそんな説明はしません。
(◠‿◕)お馬鹿発言てことにしておいても、なんの支障もないからです。
年齢を重ねてきて、自分を振り返る…内面を見つめ直してみれば…
私の本質はずっと【のびのび自由でいたい】であるにも関わらず、その見解は変容を見せました。
孤独感や疎外感、焦燥感や絶望感すらも【愛おしい】と感じられるくらいに【人間らしい自分】をのびのびと楽しめるようになりました。
生きてりゃ、色々あるけど、なんとかなるもの。
なんとでもなるのよ。
今の感情がずっと続くわけでもないのだから、悲劇のヒロインは20代の可愛い子たちに任せて、時間が過ぎるのをのんびり待つのが大人時間。
私は普通に(?)変なオバサンだけど、自分の感情を自由に受け入れる愚者でありたいです。
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