石長比売のお話3
さて、イワナガヒメを辿っていたら京都の貴船神社に行き着きました。
イワナガヒメを祀る神社はそう多くありません。コノハナサクヤヒメが主祭神の浅間神社に一緒に祀られることが多い神様です。
京都の貴船神社の結社はイワナガヒメを祀る神社です。
イワナガヒメはニニギノミコトから返された後、それを恥じて貴船の地に止まり縁結びの神様となったとされています。
さて、理由はそれだけでしょうか。
貴船神社全体は京都の水神のひとつであり、御祭神は高龗神です。
イワナガヒメは長寿延命や縁結びを司り、その本質は石や岩の性質を持つものです。
水は地に降り注ぐと、岩や石を含む山地に染み込み湧き出ます。その意味ではイワナガヒメが水神の流れを汲む貴船神社に祀られるのも理解できます。
富士山本宮浅間神社の湧玉池はその水量、透明度ともに圧巻の湧水地です。
富士山の周囲は柿田川湧水群、富士五湖に代表されるように湧水が多い地域として知られています。「富士山は巨大なスポンジ」とは大学で地質学を教えられていた相馬先生の言葉です。
火山質の岩盤はよく水を蓄えることを、古代の人々も経験から知っていたと推察できます。
しかし、浅間神社はコノハナサクヤヒメの領域です。イワナガヒメに湧水のイメージは薄いのでは?
イワナガヒメの伝説が残る伊豆には、湧水…ではなく温泉が湧くのです。要は低温の水として湧き出せば湧水ですが、その湧水が火山活動の地熱で温められ湧き出せば温泉です。
伊東温泉の源泉数は700ヶ所を超えています。これは伊東温泉だけなので、伊豆全体では更に多い数となります。
イワナガヒメも水神としての顔を持つ女神と言えます。
また、貴船神社は玉依姫命、賀茂別雷命を祀っていることから、賀茂氏系統の氏族が深く関わっていると考えられます。
また、大国主命も祀られており出雲系の流れを汲むとも言えます。
一説にイワナガヒメはニニギノミコトから返された後、出雲系統のヤシマジヌミノカミ(八島士奴美神)と結婚しフハノモヂクヌスヌノカミ(布波能母遅久奴須奴神)をもうけたとされます。このフハノモヂクヌスヌノカミは大国主命の祖神となります。
イワナガヒメはどうも、出雲系つまり国津神系に深く関わる神と言えます。
反面、コノハナサクヤヒメの系統は神武天皇につながる、天孫系(天津神)の祖神です。
オオヤマツミの勢力は二分されたとみるのか、日本を構成する古代氏族の二大系統にうまく入り込んだとみるかは人それぞれの判断になりますでしょうか。
もうひとつ、賀茂氏とイワナガヒメの関係性を考えさせる要因として、伊豆の三嶋大社には大山祗神と事代主が祀られています。事代主は賀茂氏の祭神でありその子孫とされるヒメタタライスズヒメノミコト(姫踏鞴五十鈴姫命)は神武天皇の后とされます。
また、伊豆には「賀茂」という地名がみられることもあり、賀茂氏との関係が深い土地であると言えます。
賀茂氏という氏族がどのような氏族であったか、という考察は論文が何本も書けてしまうようなテーマですが、ここでは賀茂氏は水を治めた氏族でもある、ということを書いていきます。
古代、治水というのは重要な政策のひとつでした。農業のみならず水運=交通の要所を押さえ、産業を支えるものでした。
賀茂氏ゆかりの神社を見ていくと、京都から奈良にかけて流れる木津川沿いに岡田鴨神社、久我神社などにその痕跡を見ることができます。また、鴨川(賀茂川)、下鴨神社、上賀茂神社などから京都の東側の水利を持っていたと考えるのは不自然ではありません。賀茂氏は木津川、鴨川といった平安京を中心とした土地の、おおよそ東側の水利を押さえた氏族であると考えられます。
西側はおそらく秦氏が押さえていたのではないかと思っています。この秦氏と賀茂氏も関係性の深い氏族ですが、それはまた別のお話として表せたらと思います。
遠回りをしてまた貴船に帰ってきた感じがしますが、貴船も賀茂氏が押さえた水源のひとつであるのではないでしょうか。
そこに、賀茂氏とも関係が深く、山々や巌を象徴し、水源を内包する神としてイワナガヒメが祀られたのではないかと思われます。
貴船の奥宮に続く道沿いに結社はあります。社殿も新しく、寄進された天の鳥船などもあり人々の崇敬を受けていることがわかります。
古事記、日本書紀では醜く嫉妬深いとされた女神の真の姿を、人は言葉にできないまでも感じ取っているのではないかと思います。
結社に佇むとほっとするような気がするのは、イワナガヒメの懐の深さと呼応する、人々の優しさも感じるからかも知れません。