逮捕された元競艇選手の告白
三重刑務所(三重県津市)は、明治の未決監獄時代から150年の
歴史を持つ、日本におけるもっとも古い刑務所のひとつである。
3月某日、午前8時30分。施設の正門から、荷物を手にした
6人の男たちがひっそりと出獄を果たした。
この日は週に1度の「仮釈放デー」。
そこには、模範的な受刑者が満期を待たずしてシャバに戻る
「歓喜の朝」の光景があった。
「5キロも肥えてしまいました」そう語るのは、この日出所した
元競艇選手の西川昌希氏(33歳)である。
「予期せぬ来客」の来訪
約3年前の2020年1月、西川氏は共犯者とともに
名古屋地検特捜部に逮捕された。
レースにおいて故意に着順を落とし、共犯者が舟券を
購入する手法の「八百長」を認めた西川氏は懲役3年の
実刑判決を受け、この刑務所に服役していた。
1日の摂取カロリーが厳格に制限されている刑務所では、
受刑者たちの多くが体重を落とすことになる。
だが、競艇選手だった西川氏は50キロ前後まで体重を絞って
いたため、ムショ暮らしでむしろ増量することになったという。
未決の期間と合わせ、約3年間を「塀のなか」で過ごした
西川氏が、獄中で経験した特異な出来事について語った。
あれは昨年4月、世間が大型連休に入ろうかという日のこと。
午前8時半、わずか3畳の独居房で暮らす俺に
「呼び出し」がかかった。
「西川、調べがあるんでちょっと来い」
その日は平日だったが、俺は仕事がない免業日だった。
刑務所内の食堂である「炊場」に配属されていた俺は、
工場の奴らとは異なり土日も仕事がある。
そのかわり、シフトを組んで代休を平日に取ることが
許されていた。
実は、事前に「この日は休みを取ってくれ」と指定してきたのは
刑務所側だった。
すでに服役生活は1年半が経過しており、俺は密かに仮釈の
審査のための面接がやってきたのではないかと期待していた。
ところが面接どころか「調べ」だという。
この期に及んで、別の悪事がめくれてしまったのか・・・?!
多少、心当たりもあっただけに俺は絶望的な気分になった。
刑務所のなかには、取調室がある。
受刑者は常に厳重監視下に置かれているが、このとき刑務官は
俺だけを残して部屋から出て行った。
入れかわるように、ビジネスマン風の男性2人組が入室してきた。
「どうも、初めまして。西川さんですね」
年配の男が表情を崩した。
やけに丁寧な言葉遣いの印象だ。
日ごろ、人間扱いされない生活を送っていると、
普通の会話がやけに新鮮だ。
「そうですけど、どなたですか」
「私は警視庁の者です」
驚いたことに、2人組はどちらも警視庁の刑事だった。
スーツ姿に眼鏡というインテリ風で、その風貌はまるで
外資系のバンカーのようだ。
幼少期に両親が離婚し、親類の弘道会系幹部に
育てられた俺は、子どものころからヤクザと見分けが
つかない「マル暴刑事」を見てきた。
同じデカでもいろんなタイプがいるものだ。
2人は東京から三重まで出張してきたという。
それにしても、刑が確定し受刑者になっている俺のもとに
やってくるとは相当な事情がありそうだった。
「わざわざ東京から、何の御用ですか」
俺は、何の悪事がバレたのか知りたかった。
場合によっては再逮捕もあり得ると思い、俺は身構えた。
「ボートレーサーについて、調べていましてね」
年配のインテリ風が話を続けた。
慇懃だが無礼ではない語り口だ。
刑事が打ち明けた「驚きの意図」
「競艇の選手というのはずいぶん派手にお金を
使うんですね。選手間でカネの貸し借りをしたり・・・」
しばらく聞いていたが、回りくどい話で
なかなか核心に迫らない。
ジャブを打ってくる刑事に俺はストレートを繰り出した。
「何が聞きたいんですか。俺のことですか」
刑事は、俺をなだめるような口調でこう言った。
「まあまあ・・、A選手とB選手を知っていますか」
いきなり選手名が出て驚いた。両方とも強い選手だ。
「もちろん知ってますよ。どちらもA1級でしたから。
ただ東京の選手なんで俺との交流はないです」
刑事が初めて驚くようなことを言った。
「実は、彼らの不正について捜査しているんです」
多くの選手の「不正」の詳細を知っている俺だが、
AとBについては初耳だった。
だが、AとBは年齢も近く関係が深いことは知っていた。
AとBにはいくつか「共通項」があるのだが、
それをひとつでも明かせば、業界の人間ならすぐに
分かってしまうだろう。
この2人の交流関係は幅広く、もし逮捕までいけば、
無傷では済まなくなる人間が業界の広範囲に
及ぶことが想定できた。
ともあれ、刑事たちが自分を再逮捕しようとしているのでは
ないことが分かり、俺はかなり気分が楽になった。
刑事の話を総合すると、AとBの間のカネの流れや、
不正が疑われるレースの特定作業はすでに済んでいるという。
不正の実行主体は基本的にAで、BにはAから恒常的にカネが
流れているという構図だ。
Bは共犯か、Aに多額のカネを貸している形跡があるらしい。
「何かご存じのことはないですか」
刑事たちはAとBについての情報を求めてきた。
「俺は、裁判のときも他の八百長選手の名前は
一切出してないんです。
ここから1日でも早く出してくれるなら、
いくらでも捜査に協力しますが・・・」
すると、刑事は心底申し訳なさそうに言った。
「いやあ西川さん、それは管轄が違うので我々には
権限がないんだ。ただ、本件の捜査には、何とか
協力してもらいたいと考えている」
「何をすればいいんですか」
「レースに関する資料で、見てもらいたいものがある」
俺は、刑事の申し入れを了承した。
いますぐ見せられるのかと思ったが、資料を用意して
改めて出直すという。
後で聞いたが、受刑者に対する捜査というのは警察と検察の間で
非常に面倒な手続きが必要らしい。
八百長を見極める「テスト」
刑事たちが再び刑務所にやってきたのは2ヵ月後のことで、
彼らがカバンのなかから取り出したのは、約50枚の
「オッズ表」だった。選手名やレース名は記載されておらず、
120通りの3連単オッズだけが記載されている。
「これを見て、おかしいと思うレースを選んでくれないか」
それは、警視庁による「八百長判定テスト」だった。
俺に異常投票を見抜く力があるのかどうか、
まずは確認してやろうというわけだ。
おそらく、エリート刑事は人生において官製バクチの舟券など
買ったことがないはずだ。
彼らとは対極の人生を生きている俺が、オッズを見ただけで
異常投票を察知できるのか、試しにかかったのだろう。
舟券予想の重要な要素になる選手の実力、進入、
エンジン機力も分からず、オッズを見ただけで
「八百長」を見抜くのは確かに難しい。
だが、まったくお手上げということでもない。
現在の競艇では九分九厘、1号艇が有利なインコースに
入るため、相当な割合で1号艇が本命となっている。
手っ取り早く八百長を見抜くとすれば、インが本命と
思われるレースにおいて、「1号艇が2着、あるいは3着」という
3連単の組み合わせに注目することだ。
たとえば、「2-3-1」のオッズが
「2-3-4」「2-3-5」「2-3-6」の組み合わせより
不自然に高くなっているような場合、
異常投票の可能性がある。
捨て金で不自然さを解消する工作をしたとしても、
全体を見ればどこかでオッズが歪むのは避けられない。
それが俺の経験則だ。
俺は、50枚ほどあったオッズ表のうち、7枚ほどを
裏返して右側に置いた。
「一応選びましたけど、全部の情報を見やんと
分からんですよ」
裏返したオッズ表を渡すと、何かを確信したかのように、
メガネの奥の眼光が鋭さを増したように見えた。
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