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懐かしき『熱い夜』
これは、還暦を前にしたオジサンの昔語りと思って聞いて頂きたい。
たまには、記憶違い?
もしかしたら、フィクション?
または、すでに痴呆が?(笑)
面白半分、話半分で聞いて(読んで)頂ければ幸甚。
はるか昔、20代の頃のボクは風来坊よろしく、海外を含めて日本国内をあちらこちらへと旅していた。
そんな中、26歳の時、八重山諸島に長らく滞在した。
島々の中心となるI島のキャンプ場を拠点にして、島内で森林伐採などの日雇い仕事をしながら、その周辺の島々へと旅して歩いていた。旅の中、現地の方々、そして日本各地からその異国のような島々へと、はるばるやってきた旅人たちとのたくさんの出会いがあった。自分の人生の中でも思い出深い土地のひとつである。
その島巡りの旅の中のひとつ、南国でもまだ暑くなり過ぎない、3月後半の気候がちょうど良い季節にフェリーに乗って、日本最南端といわれるH島に出かけた。その頃のボクは、寝袋ひとつ持ち雨風さえしのげれば、どこでも寝られる体力の有り余った頃だったが、その島に渡った時は、とある民宿に宿をとった。そこは知る人ぞ知る、大盛りの食事が有名な宿だった。卒業旅行の大学生たちも含め、当時は旅する若者も多く、同宿の人と相部屋なんてことも普通にあった。そして、その日は南国の蝶の観察に来ていたSさんと相部屋になったのだった。その晩、泊まる部屋に宿の主人に案内されて、Sさんと顔を合わせて「どうぞ、よろしく!」と自己紹介をすると、ボクは上野から、Sさんは「フーテンの寅さん」で有名なK区からと、お互い東京の下町から来ていることがわかり、すぐに打ち解けていろんな話をする中で、Sさんが目当てにしている沖縄の蝶たちの話を聞かせてもらったり、ボクは持参していたギターで自分のオリジナル曲を披露した(らしい)。Sさんは音楽通でもあり、ジャズやフュージョンが好きな人だったので、一般の人?に聴かせると「???それなに?曲??歌はないの???」と言われてしまうことが少なくない(実際何度も言われた・笑)、当時の日本では全く一般的でなかった「フィンガースタイル・ギター」のインスト曲を楽しんで聴いてくれ、感激してくれたのだった。
つい先日、そんなSさんと、何と33年振り?に再会することができた。
きっかけは数年前のコロナ禍に遡るのだが、世の中の動きがストップした関係で自分の仕事も御多分に漏れず…思いがけず、たくさんの時間ができた関係で、事務所の奥に仕舞い込まれた紙資料を整理していたところ、当時の「旅ノート」が出てきて、旅中で出会った人たちと交換した連絡先が見つかった…。
当時は意気投合した人とは、お互いの住所、電話番号を交換するのが常だった。「懐かしいなぁ、元気かなぁ?」とその人たちに想いを馳せた。何人かは全く思い出せない人もいたが、はっきりと覚えている人も多かった。残念ながら、30年以上前の住所や電話番号はほぼ役に立たない。しかし、今のネット時代ならではと、何人かの名前をググってみたのだが、何か出てくる人はほぼ居なかった…。しかしながら、SさんはSNSのアカウントが出てきて、何と!ボクが現在もよく会って一緒に仕事をする博物館関係の人と繋がっていたのだった。早速、その人にメッセージを送ってSさんのことを尋ねてみると「Sさん?あー、あの人は蝶の研究をされている方ですよ!」と教えてくれた。
「間違いない、あの人だ!」と早速、「その昔、1991年にH島の民宿で同宿した前澤です!この度、あの時にSさんと交換した連絡先が出て参りまして…」とメッセージを送ってみた。
すると、「前澤さん!よく覚えていますよ!『熱い夜』でしたね!」とすぐに返事が返ってきた。「機会があれば是非!」と再会の約束をしたものの、やはり数年がたってしまったのだが、この先日、お茶の水の聖橋の上で待ち合わせ、ついに再会を果たせた。
さて、その『熱い夜』の話である。
その晩は宿の名物である「コレ!?食べきれるの?」という一人前とは思えないような大量の?夕食を、南国の宿ではよくある、庭に並べたテーブルにその日、泊まっているお客さんが全員そろって食べた。宿から島酒もふるまわれて、日本各地からやってきた宿泊客同士、ここで、この日、同宿したのも何かのご縁とばかり、おおいに呑んで食べて、語り合い、楽しい時間を過ごしていた。南国の夜独特の艶めかしい空気もそれに拍車をかけた。
宴もたけなわ、夜も更けてきた頃、地元の漁師らしい3人の男が飲みの席に乱入してきた。見た目に自分よりも結構、年上に見える人たちだった。
すでにどこかで呑んできたらしく、3人とも上機嫌だったのだが(酔っ払い?)、その中のひとりがサンシンの名人で、その場で島唄を披露してくれたりしながら、ボクも他のお客さんらに請われてギターを部屋から持ち出してきて演奏した(ようだ)。宿泊客たちも最初は3人の来訪を歓迎ムードで、楽しげな雰囲気だったのだが、テーブルに並んでいた島酒の一升瓶がいつの間にか何本も空いた頃、だんだんその場の雰囲気が怪しくなってきた。何となく大学生男子は絡まれているようであり、同じく若い女の子も何となく、口説かれてる?ようだった。その中のひとりが、やにわに立ち上げり、その場で後ろを振り向き、そこの茂みに向けて勢いよく立ちションをした。それをきっかけに、そこに居た宿泊客は蜘蛛の子を散らすように宿の部屋に戻って行った(ようだ)。皆、すでにその場の空気から逃れたかったのかもしれない。
気がつくと、その3人とボクとSさんだけになっていた。
宿の主人もいつのまにか居なくなっている。南国の夜は長く、悩ましい。
誰からともなく「腕相撲をやろう」、という話になった。その中で一番厳つく、屈強そうな男がボクに「やろうぜ!」と挑んできた。
その頃のボクは20代始めから髪を伸ばしていたので、稼ぎ仕事は解体現場や魚市場のお軽子(荷役)、トラック助手など、他種多様な肉体労働のみ。当時は求人誌に「長髪不可」という但しがよく見られ、接客系の仕事で男は髪が長いとNG!だったのだ(笑)。また、海外への旅では、80リットルの大型ザックにぱんぱんの荷物を詰めて、片手にはデイパック、もう片方の手にはハードケースに入ったギターをぶら下げて、アメリカ、カナダを隅々まで旅して歩く日々を何か月も過ごし、背中や足腰が鍛えられた。そして、その前年は高原野菜を栽培する農家に住み込みで出荷の手伝いをしており、毎日、数トン単位の野菜を広大な畑から運び出す仕事をしていたので、今より10㌔以上、体も大きかった。先にも書いたが、人生で一番体力のある頃だった。
「いいですね!やりましょう!」と快諾して、その厳ついオジサンと手を組むと、こちらを倒す気満々で最初から目一杯力が入っている(笑)。「レディ・ゴー!」で勝負が始まると、勢い余ってテーブルの上の食器が飛び散った。さすが、毎日の漁で鍛えられているであろう腕力はかなりのものであったが、こちらも先ほど述べた通り、長年の鍛錬の成果が最も発揮された時期であり、負けてはいなかった。
結果、勝負がつかず引き分け、となったのだが、相手のオジサンは興奮冷めやらずで、今にも殴りかかってきそうな雰囲気だった。他の地元のオジサン達も同様で、何やら3人でヒソヒソと話している。
3人のヒソヒソした話し合いが終わって、その中のひとりが「じゃ、今度はこんな勝負はどうだよ?」と言ってきたのが、お互いの握ったゲンコツから中指をちょっと突き出して、その指を相手の中指と絡めて、捻じり合う?というルールだった。「ふ~ん!?」…そんなことは、それまでやったことがなかったが、「まぁ、やりゃあ、何とかなんだろう、やってやろうじゃねぇの!」という若気の至り的短絡思考で、拳を突き出し、相手と指を絡めようとした。残念ながら?この頃のボクは「喧嘩上等」のきらいがあった。
その瞬間、それまで静かに様子を見守っていたSさんが、「やめてください!」と割って入ってきた。3人に向かって「この人は真剣に音楽を目指してるんです!大事な指なんです!」と怒鳴っていた。ボクはSさんのその真剣な表情を見て、ハッ!と我に返ったのだった。何のことはない、ボク自身も散々、島酒を呑んで酔っぱらっていたのだろう。使う言葉は丁寧だったが、Sさんの態度は「おまえら!止めないとオレも相手んなるゾ!」という気迫がこもっていた。
遠くから潮騒が絶え間なく聞こえ、頭上からは時々、ヤモリの鳴く声が聞こえてきた。南国の熱い夜だった。その後の事はよく覚えていないが、Sさんの気迫に全員、クールダウンさせられたのか、その場はそれを期にお開きになったのだと思う。
翌朝、宿の主人と顔を合わせた時に「ゆうべは大丈夫だった?」と聞かれた。聞くところによると、その厳ついオジサンはその辺りの札付き?で、例の指相撲?で何人もの指をへし折っているらしい。その日の昼間、歩いて近くの海岸に行く途中、ノーヘルでオフロード・バイクに乗る、昨夜の厳ついオジサンに遭遇した。南国の日差しの下で見る彼は妙に生真面目な表情をしており(ノーヘルでバイクに乗っていたが・笑)、こちらを一瞥したものの、気にも留めていない様子だった。もう一人の「立ちション」オジサンも近所で商売をしているらしく、昼間にその店近くで見かけた彼は、夜は妖怪のように見えた悪相が(失礼!ヤエヤマに渡る前、那覇の映画館で見た「プレデター2」のプレデターに似てた・笑)客相手に愛想笑いしている顔が妙にかわいらしく見えて不思議だった。駐在さんは居るのかもしれないが、無法地帯のような小さな島の社会である。
Sさんとの再会の場面に戻る。
聖橋にはボクが先に着いていたのだが、Sさんが現れるまで、ドキドキしながら待った(笑)。イイおじさん(ボクですね)が、こんな気持ちになるのは、いつ振りだろう!?どっちから来るかな?と橋の中ほどに陣取り、左右をきょろきょろと交互に確認した。ほどなく現れたSさんだが、お互いすぐに(相手のことが)わかり、再会を喜び握手を交わした。Sさんは色白だが、ガッチリした体躯の人であったが、今は少し細くなられたようだった。
早い夕方の時間だったが、「もう、やってるでしょう!」と近くの居酒屋に直行して生ビールで乾杯となった(笑)。33年振りの再会で、Sさんとはおそらく一日限りの出会いであったが、ある意味で自分の(指の)恩人でもある。
話は尽きなかった。お互いにあの時から、これまでの自分の人生について報告をしながら、当然のように話題は『熱い夜』のことにおよんだ。
「いやぁ、あの時、Sさんが仲裁してくれなかったら、どうなっていたことか!」 Sさんは「あの時、あの3人が『あいつ(ボクですね)生意気だから、指をへし折ってやれ!』って話してたんですよ!」 なるほど、例のヒソヒソ話の内容がソレだったわけだ。「それで、宿の他の客も主人もいつの間にか、みんな居なくなってたでしょ…前澤さんはイケイケだったし、何かヤバい雰囲気になって来たな~って思って身構えてたんですよ!」とSさん。なるほど、あの時は酔っぱらってる(自覚のない)ボクが絡まれていたわけだ。
Sさんは今も蝶類の観察を続けて、論文を発表しているナチュラリストで、老舗昆虫雑誌の編集に関わりながら、フリーのデザイナーをされている。偶然ながら、不肖ボクも爬虫類両棲類の研究をしつつ論文を書き、ギターを人前で奏でる人生を過ごしてきた。
「長年の懸案であるボクのギター・アルバムを制作するのが人生の終盤に向けた喫緊の目標なんです。」と話すと、「是非、ジャケットのデザインをやらせてください。無償でやりますよ。」と言ってくれた。お互いにほどよく呑んで、良い気分で「今度はフィールドで会いましょう!」と再会を約束して再び、聖橋の近くでSさんと分かれた。Sさんの後ろ姿を見送った後、聖橋の上から、下に見える御茶ノ水駅のホームに佇む人たちをしばらく眺めていた。人との出会いとは誠に不思議なものである。夜風が心地よかった。
実家に向かう地下鉄の中で、ぼんやりと33年前の『熱い夜』を思い出していた。あの時、Sさんが止めに入ってくれなかったら、どうなっていただろう?当然のように不意打ちをくらって、我が指をへし折られていたのだろうか?または、若き自分の馬鹿ヂカラにまかせて、相手の指をへし折っていただろうか?そして、それだけでは収まりがつかず、3人と乱闘になっていただろうか?フィンガースタイル・ギタリストにとって右手は大事な弾き手であり、中指はその要となる指である。もし、へし折られていたら、少なくともその直後にあったI島でのソロ・ライブは実現しなかっただろう。
もし、あのライブがなかったら、今の人生はだいぶ違ったものになっていた筈である。(その理由はまた改めて…)
他にもそういう人生の分岐点はいくつもあったが、あれは結構、大きな分かれ道のひとつであったと思う。その場が思いがけず、狂気に向かってしまう事は間々あることである。そこに冷静で、勇気を持ったマインドが居合わせれば、場が狂気に呑み込まれずに済むのだろう。
恥ずかしながら、この他にも若気の至りはいくつもあって、本当に命を落としかけたこともあったが、それらを乗り越えて今も元気でココに在ることはまったくもって有難い。ふと、振り返って身震いすることがあるくらいで感動的ですらある。
『熱い夜』に出てくる島のオジサンたちも、実在の方々でsさん同様、ググってみたところ、今もご健在の様子であった。遠い昔の南国で起こった(らしい?)酒の席のこと、と思って頂ければ幸い。それ以来、その島々に行く機会は一度もないままであるが、もし彼らがお元気であるならば是非、またお会いしてみたい。「昔、お会いしたことがあるんですよ!」と。
そういえば、その宿のご主人はけっこう前に亡くなられた、と風のウワサで聞いた。
この歳になると、日常生活の中でさえ、たった今、自分が目にしている、目の前で起こっている情景は、この場限りのひとつの物語であり、それらは、通り過ぎたその瞬間から過去へ飛び去り、永遠の思い出となって行くことがわかる。人との出逢いで人生は輝き、自分だけの物語を紡いでいく。
主人公はいつでも自分だ。つくづく、旅する人生でよかった。
余談:Sさんと再会した際、33年前に会ったボクの印象を語ってくれた。
「前澤さん、髪の毛(超長髪?超ロングヘア?)の雰囲気もあったけど、
ジャコ(パストリアス)みたいな人だな~と思ったんですよ!
弾いてくれた曲も、それまで聴いたことがないような音楽だったし!」
何とも光栄なお話。ジャコ・パストリアスは不世出の天才ベーシスト。
ボクは彼の大ファン。偶然にも、ボクがジャコの音楽に出逢ったのがこの旅の中。I島の図書館でジャコのCDを初めて聴いてぶっ飛んで以来、彼の音源を探して聴きまくった。彼は早逝してしまったのだが、ボクが最初にアメリカに居る時期にフロリダで亡くなったのを後日、知った。今のボクの容姿は、若いままの姿のジャコとはかけ離れてしまっているが、音楽を長く続けてきて、そのスピリットだけは少し彼に近づいているのかな?
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