艱難辛苦で自律神経が整う?
安っぽい気休めみたいだけど、好きな言葉「艱難辛苦汝を玉にす」
今まで多くの方の施術をさせてもらって、感じることがあります。
やはり人生のどん底のような辛い経験をすると、その後の体調が整っていくということです。
はい、完全に私の主観です。
そのようなお客様は、体調管理が大切であるからこそ、体調が整った後でも施術を利用してくれるわけですが。
経営している会社が倒産したり、我が子に先立たれたり、心の不調で長期間の入院を余儀なくされたり、
様々な困難をしっかりと乗り越えている方をたくさん見てきました。
絶対に不幸は避けられない?
体と心と精神はウェルビーイング(心も体も満たされた幸福な状態)のために、
大切な要素であるとオステオパシーでも教えられています。
「艱難辛苦汝を玉にす」(かんなんしんくなんじをたまにす)
という言葉があります。
正しくは「艱難汝を玉にす」(かんなんなんじをたまにす)
と言うフランス由来のことわざですが、
艱難辛苦の方が世に出回っているような気がしますので、こちらを使います。
簡単に意味を説明すると、
「辛いことを乗り越えたら強く、賢い人間になれる」
といった感じでしょうか。
若い時は、若さだったり、勢いだったり、エネルギーがみなぎる感じがしますから、
「少々の困難は何とかなる」
と、思いがちですが、
人生には、何とかならない出来事が必ず訪れます。
艱難辛苦と言われるほど手も足も出ないような辛い経験をした事はありますか?
「財布を落とした」
とか、そんなレベルではなく、
家族が亡くなったり、両親が夜逃げしたり、
また、自身が閉鎖病棟に入らなきゃいけないような状態になったり、
言わないだけで、案外身近な人でもこのような出来事を経験しているものです。
仏教において、「この世の一切は、苦しみである」(一切皆苦)というダンマ(真理)が教えられています。
生きている以上、絶対に苦しみは避けられないし、お金や権力を持ってしても、どうにもならないこともあります。
そんな辛い経験してまでなんで生きなきゃいけないんだ?
日本仏教協会によると仏教の目標は、
簡単に言えば、
「お釈迦様の教えに従って、心を磨くことで、この世のあらゆる苦しみから解放されましょう」
という意味です。
言い換えれば、艱難辛苦と呼ばれるような辛い経験をしてそれを乗り越えることが、人生の目的とも読み取れます。
世界的なベストセラーで、ナチスによる強制収容所をテーマにした『夜と霧』の著者である。ヴィクトール・フランクルも、
著書『苦悩する人間』の中で、
"苦悩は、まずそれ自体が業績"
という言葉を残しています。
フランクル心理学に詳しい、明治大学の諸富先生の解説によると、
「苦しむこと、それ自体が大きな仕事を果たしたことと、同じような価値があると言うわけです」
苦悩を正面から受け入れ、悩む力を育んでいき、
人としての成長やこの先の人生を良くすることにつながる苦悩こそが、
価値ある苦悩であると、付け加えて解説されていますが。
やはり、困難の中で苦しみもがいて、人生の意味について考えるような出来事は、
それこそ業績であり、かつ人生にとって非常に意味のあることです。
様々な苦悩を克服するために、本を読んだり、運動を始めてみたり、正反対の価値観の人の話を聞いてみたり、
これらは人間の器を大きくして、賢く強く成長するために大いに役立ちます。
どん底の経験を乗り越えた人っていうのは、表面的な優しさではなく、
深い慈悲の精神を感じさせるような優しさがあります。
艱難辛苦を乗り越えた人は、少々のことでは動じない
辛い経験をすることで、心に磨きをかけることが、
落ち込んだり、怒ったり、悲しんだり、そんな経験をした時でも、大きな心の揺れを感じない精神になりやすくなります。
いたずらに、心の揺れを感じない状態と言うのは、
自律神経にとって良い状態であるし、自律神経が整っているからこそなせる技かもしれません。
やはりどうしても、「body」「mind 」「spirit」は三位一体の関係であり、
人が幸せになる上でどれも欠かせない要素です。
今、辛い経験をしている人、実は今が最も人生で幸福になる種なのかもしれません。
安っぽい気休めに聞こえるかもしれませんが、
自分や、これまで出会った人のことを思うと、全然外れてないなと感じます。
【さらに詳しくはこちら】
→艱難辛苦汝を玉にす の記事
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