日記(P)20230511
レタスチャーハンの知名度はどれくらいあるのだろうか。私が初めて出会ったのは、高校生の頃だった。
当時バイトをしていたスーパーでは定期的に飲み会のようなものが開かれていて、未成年の時分、酒は飲めなかったが飯を食わせる要因として駆り出されていた。
地域密着型の小さなスーパーで、野菜がそれなりに安く、注文の融通が利いたので、近所の飲食店がよく買い物に来る。飲み会の場に選ばれるのは、大半がその常連の店で、中華料理屋もその中に含まれていた。
宴会さながら、そのスーパーの社員達はメニューに書いてあるものを片っ端から頼むのだが、若い者は沢山飯を食うと思っている節があり、頼むだけ頼んで酒のつまみ程度しか手を付けず、そうした皿が次々と、若者達に回っていく。若者達はお互いに目配せをして、これから待ち受ける運命を悟り、悲嘆する。腹八分目はとっくに超えて、満腹感で吐き気のする中、咀嚼だけが長引くところを無理矢理に嚥下する。そして水を流し込む。その繰り返しが飲み会の間続く。
その飲み会で、中盤を超えたあたりで出て来たのが、レタスチャーハンだった。当時加熱したレタス自体に馴染みがなく、それが更にチャーハンに混ざっていることから、この店独自のレシピかと思っていた。
正直、出会い方がよくなかった。満腹感も手伝ってか、あまりいい印象がないまま。次の出会いはその数年後、大人になるのを待たなくてはならない。
大人になり、すっかり中華料理屋は飲み処として認識してしまい、青島ビールやら紹興酒やら白酒やらをやっていたある日、何の気もなく〆に頼んだチャーハンがそれで、パラパラの米の中にレタスの歯触りが面白く、現金なもので、その日の機嫌によって好き嫌いというものは決まるところがある。すっかり好きになってしまった。
そんなわけで、今日の晩御飯にはレタスチャーハンをこしらえた。チャーハンを作ったのは片手で数えるほどしかないが(チャーハンといえば、例えばオムライスのように、スパイスから作るカレーのように、こだわりをこちゃこちゃと持った人間が修行の真似事のように作る印象があり、何となく心が受け付けないので、ごくたまにしか作らない)、ほとんどがレタスチャーハンである。今日はスーパーで売っていたキムチの素で味付けをしたらパンチが効いていてよかった。
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