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雨宮龍神社(近江 繖山)

 雨宮龍神社あめみやりゅうじんじゃは近江は安土の繖山きぬがさやまにいます古社で、推古帝の時代の創建と伝わります。
 繖山と申しますのは東近江の広大な平野に聳える標高432 mの山であり、ふもとには延喜式内社にして安産の宮の名高い奥石神社おいそじんじゃがいまし、このお山を神体山として奉ります。

奥石神社拝殿
老蘇(おいそ)の森 
社伝によればかつてこの地は地割れ水が湧きとても人の住めるところではなかったのを、
近在の石部大連と申す翁奥石の宮の神助を仰ぎて松・檜・杉などの諸木を植えたと。
たちまち一帯は大森林を呈し土地は鎮まり人々の住める良い土地となった

 このように繖山は古くからの信仰の土地であり、仏教伝来以降は日本有数の霊場である観音正寺、石馬寺いしばじなどの開山を受け容れました。古来よりの山の信仰に仏道が威を加えますのは日本国のさまざまな土地で見受けられることかと存じます。
 ことに観音正寺は創建にあたって人魚の伝説あり、石馬寺は石化した聖徳太子の馬が池のなかに浮かび、あたかも雨乞いのため馬を池中へ生贄に捧げたのを象徴するかのような印象を受けます。馬の生贄云々は私の勝手な想像ですが、池中にある特殊の石の伝説となれば、やはり石馬寺と水との関わりはあったものと思います。石馬寺の背後の岩壁からは水が染み出していることからもこのお寺と水は深い関わりがありそうです。

石馬寺の標石 文字は聖徳太子直筆の筆跡を篆刻したものと
寺名の由来 石馬
池中に見える細長い石が石馬である 鯉が周りを泳いでいる
聖徳太子が繖山に登拝されたのちふもとに降りると繋いであった馬が石化していた。
霊威を感じた太子がこの地に寺を建てたのが石馬寺の始まりと

石馬 あまり馬らしくはない


石馬寺境内 
拝観料を納めれば重要文化財の阿弥陀如来坐像や大威徳明王像など貴重な仏像の数々が拝見できる
石馬寺の背後の岩壁  水が染み出している

 山と水の信仰があるいは山の稜線にいます雨宮龍神社となってつたわっているのかもしれません。社伝によれば推古帝に時代、ふもとの伊庭のあたりの琵琶湖面に龍神出現あり、聖徳太子が山の頂に安置されたことが始まりとされます。境内には磐座があり、太子の時代以前の古い信仰を伝えます。


石馬寺からさらに雨宮龍神社に至る道 石段が続き急登
雨宮龍神社鳥居前の岩 この岩も磐座かもしれない
鳥居
磐座 社殿の前にあり
社殿

 繖山は水と深い関わりがあるようです。山の霊は中世以来仏教の信仰や修験の信仰と融合しひとびとに親しまれてきました。あらためてそうした信仰に日本国民のみならず諸外国民も含めて親しむことは万人のためになることでしょう。

 雨宮龍神社へはふもとの石馬寺駐車場からが便利でしょう。なかなかの急登
ですので水分の用意と歩きやすい靴でお上りください。
 なお繖山ふもとの五箇荘は近江商人の街であり古い街並みが残ります。観光センターでは地場のものが購入でき、私は近江八幡で生産されているクラフトコーラの素「びわコーラ」を買いました。むべの実を用いており深い味わいです。


丁字麩をたまごとじにしたどんぶり 五箇荘観光センターの食事 
お麩の味がとても濃くて非常においしい
つけあわせのゆず味噌もしみじみうまい

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