実母の話
私が義母に勝手に期待して勝手に幻滅して、
それが積み重なって憎悪、嫌悪になっていったのではないか、
というのは前回書いた通り。
じゃあ、なぜ、義母に期待を抱いたのだろうと考えた時、
実母のことを思い出しました。
(思い出しました、って存命だし、しょっちゅう会っています)
私の下には兄弟が2人。
母の子育ての負担軽減のためにも、
長女の私は小さいころから夜は祖父母と一緒に寝た。
昼間も祖父母と一緒にいた記憶がほとんど。
母は小さい兄弟たちの世話でいっぱいいっぱいだから、
どうしても長女の私は母にべったりというわけにはいかない。
母の膝はいつも一番下の弟のものだった。
(と、私の記憶には残っている)
そして兄弟も保育園にあがってしまえば、
母はフルタイムで働きだした。
仕事に子育てと大変だっただろう、
家では結構イライラとしていたと記憶している。
また子供をベタベタと甘やかすタイプではなかったということもあるだろう、
私は母に「かわいいかわいい」とかわいがられたような記憶がない。
いわゆるインナーチャイルドの傷ってこういうことなのかも。
「さびしい、愛されたい」という気持ちが私の中にあったのかもね。
いまとなれば、母の苦労もわかるのだけれど、
小さい子には、もっとかわいがってほしいのにさびしいという気持ちしかないよね。
いい子ちゃんだった長女の私は、
そんな気持ちを外に出すわけでもなく、また自覚もなかったと思う。
その足りなかった愛情を結婚後の同居の義母に求めたのかもしれない。
もしかして、このお義母さんとなら、楽しい関係を築けるのかも!って。
(うん、うん、確かに当初はそんなきもちがあったぞ・・・)
となると、義母は何なんだ?
やはり勝手に期待されて勝手に失望されて私に嫌われて・・・いい迷惑ではないか!?
そう思ったとたんに、
「私が人生で向き合うべき修行としての義母」(ラスボス感)は消えた。
たぶん。
20年以上苦しんだ思いが、
noteを書き始めたほんの1か月ほどで溶けていこうとしている。
三脳研と、そこからヒントをもらって読んだ数冊の本(と、今まで読んだ本)、
あとやってきたブレスレットの石たちが、
集中的に私の問題に取り組んでくれた気がする。
楽になりたくてなりたくて・・・でもなれないと思っていたのに、
一気に変化の時が訪れたように感じている。
ちなみに実母からの愛については、
実母が「孫よりも自分の子ども(つまり私たち兄弟)の方がかわいい」と人に話すのを聞いて、
その愛はまちがいなくあったんだと今は何の不満もありません。
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