【主日礼拝】2024.2.11「キリストのきせき」
これは2024.2.11の主日礼拝で、H.Y牧師がお話されたものを書き留めて、話の流れに沿ってまとめたものです。
本文では、『聖書協会 新共同訳』を引用しています。
【 聖書箇所 】
(旧約)申命記 8章1-6節
(新約)ヨハネによる福音書 6章1-15節
【 説教まとめ 】
福音書の中でイエスさまは、数多くの奇跡を起こされます。病気をいやしたり、水の上を歩かれたり、イチジクを枯れさせたり、パンを5000人に裂いて渡したりなどなどされます。
『ヨハネによる福音書』では、その奇跡のことをしるしと呼びます。それは、イエスさまが神の子であること、救い主であることのしるしなのです。
『ヨハネによる福音書』には、7つのしるしが示されています。➀カナで水をぶどう酒に変える、②役人の子をいやす、③ベトザタの池で38年病気で苦しんだ男をいやす、そして本日の5000人への給食が示された4つ目のしるしのお話です。
このような奇跡については、合理的な解釈をしたがる人たちもいます。たとえば、5000人の給食については、大勢の人たちは本当は食べ物をもっていたが、誰もがそれを惜しんで隠していた。しかし、小さな少年が自らの食べ物を差し出したため、大人たちは恥ずかしくなって自分たちの食べ物を差し出すことになった。これで、5000人のお腹がふくれたのだ、といった具合です。
しかし、聖書は、このようなことを伝えたいのではありません。人の創造を超えた方、その証しについて記されているのです。
本日のお話は、4つの福音書のすべてに記されている重大なお話です。ここで5000人と言われているのは、大人の男の数であり、女や子どもは数に含まれていません。
それは、少年がパンと魚を差し出したことでわかるように、実際は女も子どももおり、それは約1万5000人くらいいたのではないかと考えられています。
1万5000人とは、日本武道館の座席数と同じだそうです。それだけ大勢の人々のお腹を満たしたということです。
『申命記』の中でモーセは、天からのパンを神が与えたことを思い出させようとしました。主イエスも、神の言葉によって人は生きることを思い出させようとされます。
イエスは山に登られてパンを裂いて与えられましたが、モーセもシナイ山で十戒、神の言葉を与えられました。
そして、過越祭とは、エジプトからの脱出のきっかけとなった出来事です。ユダヤ人たちを解放しないファラオに対して、神は10の災いを送られますが、その10番目の災いでエジプト中の初子(男の長子)が殺されます。
そのとき、小羊の血を家の入り口の柱と鴨居にぬっていたユダヤ人たちの初子は、その災いを逃れました。これにより、ファラオはユダヤ人を解放したのです。
この小羊は、主イエスご自身であり、
裂かれるパンは、主イエスのお体、
ぶどう酒は、主イエスの流された血です。
本日のお話では、ぶどう酒ではなく、2匹の魚ですが、これは神の恵みに感謝を献げる聖餐を表しています。
『ヨハネによる福音書』では、最後の晩餐は描かれていませんが、この5000人の給食で聖餐が記されています。
ここでイエスが「少しも無駄にならないように」と言われている言葉は、「少しも滅びないように」とも読める言葉です。
主イエスは、私たちが1人も滅びないように、ご自身を献げられました。しかし、私たちは自分の信仰生活で手いっぱいで、時には、信仰を隠すこともあります。
12弟子のかごはいっぱいになりました。それは、弟子たちが宣べ伝え、語り継いでいく神の言葉で満たされていることを表しています。
人々は食べ物を与えてくれる王を求めました。しかし、イエスが裂かれたパンは、人々を楽させるために与えたものではありません。
これは、しるしです。
神の子を信じ、従って生きることを知らせるためのしるしなのです。だから、イエスは人々から離れていかれました。
自分の欲望のままにイエスを従わせようとすれば、イエスは、私たちからも離れらえて行かれます。
さて、2月14日から『灰の水曜日』に入ります。この日から40日の間、イエスさまが十字架で受けられたお苦しみを覚えるレントの期間に入ります。
【 レントの課題 】
〇 罪の悔い改め、自分の弱さと向き合う
〇 誘惑に打ち勝つ
〇 信仰の継承を目指す
〇 主イエスの復活を信じる
これらの課題に目を向け、神の言葉を思い巡らせながら、私たちの信仰の成長を求めて行きましょう。
お祈りをします。
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