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【 礼拝ノート 】偉くなりたい
これは2023.10.29に、子どもと大人が参加する礼拝で、奉仕者Yさん(女性)がお話されたものを、私が書き留めて、まとめたものです。
【 聖書箇所 】
ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが。」 イエスが、「何をしてほしいのか」と言われると、 2人は言った。「栄光をお受けになるとき、私どもの1人を右に、1人を左に座らせてください。」 イエスは言われた。「あなたがたは、自分が何を願っているのか、分かっていない。この私が飲む杯を飲み、この私が受ける洗礼を受けることができるか。」 彼らが、「できます」と言うと、イエスは言われた。「確かに、あなたがたは、私が飲む杯を飲み、私が受ける洗礼を受けることになる。 しかし、私の右や左に座ることは、私の決めることではない。定められた人々に許されるのだ。」
あなたは偉くなりたいですか?
偉い人とは、どんな人でしょう?
地位のある人、名誉のある人、富をもっている人、能力のある人などなど、いろいろあると思います。それは、人から認められ、一目おかれる人のことではないでしょうか。
お仕事の中でも派閥争いがあったりします。自分の上司が偉くなれば、その人についていくと自分も偉くなることができそうですね。
なぜ、偉くなりたいのですか?
それは、自分の言い分を通すことができるから。だれも、人のいいなりにはなりたくないのです。
今日の聖書箇所では、ヤコブとヨハネがイエスさまにお願いをしています。これは、このお話の前の聖書箇所でイエスさまが十字架の贖いについてお話をされたからです(マルコ10:32-34)。
弟子たちは、イエスさまが栄光を受けられるということは信じていました。しかし、十字架の死の後に復活されることは受け入れておらず、期待していなかったのです。
イエスさまがローマ帝国からユダヤ人たちを解放されるとき、「自分たちはその前から弟子であった」と言いたいのです。
ほかの弟子たちは、これに「抜け駆けしたな」と、腹を立てました。ヤコブとヨハネの願いは、みんな同じ思いだったからです。
だからイエスさまは、「あなたがたは、自分たちが何を願っているのかわかっていない」と言われるのです。そして、「私の飲む杯を飲むことができるか」と問われますが、ヤコブとヨハネは「できます」と答えました。
しかし、どうでしょうか?
イエスさまがゲツセマネでお祈りをされました。血が滴るような汗を流されながらお祈りをされたのです(ルカ22:44)。この杯とは、十字架の死のことを言われています。
イエスさまが祈っておられるとき、弟子たちは眠っていました。そして、イエスさまが捕らえられるとき、みんな逃げ出してしまったのです。
” 罪 ” とは、的外れ、勘違いという意味です。罪とは、自分中心になって神さまから離れてしまうこと、神さまから目をそらしてしまうことです。
私たちは、「自分で何でもできる」という自分中心の考えや思いから、神さま中心、神さまに頼って、共に生きる生き方を知らなければなりません。
私たちは、何を願い求めるべきでしょうか?
まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな添えて与えられる
イエスさまの右と左には、どんな人が座るのでしょうか?
しかし、私の右や左に座ることは、私の決めることではない。定められた人々に許されるのだ。
イエスさまの右と左には、神から召された人、それは神の義によって定められた人々が座ることを許されるのです。
イエスさまは、天からこの地上に来られました。私たちは、人を押しのけて偉くならなくてよいのです。神さまの方から天から来られるのですから。
安心してイエスさまに従って、共に歩んでいきましょう。
お祈りをします。