【 ガラテヤまとめ 】パウロ
パウロがガラテヤ地方を伝道したとき、パウロはなにかしらの病を患い、体調は万全ではなかったようです。
当時の人々は、病を悪霊のせいにしており、小アジアには病は神の呪いだという考えもありました。ところがガラテヤの人々は、そのパウロを神の御使いやキリスト・イエスのように迎えたようです。
ユダヤ主義者たちは、パウロが奉仕してきたほとんどの場所で反対をしていました。
このにせ教師たちは、福音をゆがめ、異邦人キリスト者に障害を置いて混乱させ、惑わせていました。
また、人に取り入って自らはキリストのために苦しむのを避け、人を喜ばせようとするにせ物の兄弟たちでした。
この者たちによって、ガラテヤの人たちは、律法主義のために救いの喜びを失っていました。
律法主義は、行いに注目して、どれほど及んでいないかを指摘するため、責められているように感じ、自己嫌悪を生じさせます。
それに対して恵みは、神とのどのような関係にあるかを見つめ、自分の成長を感じて、愛されていることを知り、謙遜な姿勢を育むようになります。
パウロは、最初の信仰から離れたことでガラテヤの人々を叱責したとき反発を受けました。
にせ教師たちは、自分たちは宗教的な権威があり、ユダヤ教徒とキリスト教の専門家であると言い、正しいことを行いたいという信者たちの願望に訴えて、彼らはかなりの支持者を引きつけたようです。
福音をゆがめる人々は、聖書が教えることを理解していないか、真理についてそれだけではもの足りなさを感じるか、どちらかです。
パウロは、このような地獄の使者には、そのふさわしい報いが与えられるように願いました。
これらのゆがめられた福音から、子供たちを守るために、書き送られたのが、『ガラテヤの信徒への手紙』です。
十字架の贖いは、救いの唯一の道です。しかし、ユダヤ主義者たちのような人々は、信仰だけではあまりに単純なように思われて自分の信仰に不安を感じてしまいます。
そこで規則に従うことによって神の好意を得て、神に近づこうとするのです。パウロは、「そのような行為は、肉を満足させるだけである」と、そして、「自分たちに熱心にさせようとしているだけなのだ」と言いきりました。
このような者たちは、キリスト者が変えられていく聖別という御業を自らの力で行おうとして、神に義として認められる救いの御力に頼ることをしません。