【 主日礼拝ノート 】「ムナのたとえ」
これは2023.10.22に、主日礼拝で、牧師が話されたものを、ノートに書き留めて、説教内容を書き起こしたものです。
【 聖書箇所 】
( 旧約 ) 士師記 7章1-8節
( 新約 ) ルカによる福音書 19章11-27節
【 説教まとめ 】
『ムナのたとえ』のお話を聞くと、『タラントンのたとえ』のお話と似ているなと思う人も多いと思います。一般的に、タラントンのお話の方が有名で、ムナのお話は、そうでもないようです。
『タラントンのたとえ』(マタイ25:14-30)
主人がしもべの力に応じて、5タラントン、2タラントン、1タラントンを与えて、「商売をしなさい」と言って、旅に出て行きました。
1タラントンは、およそ6000日分の賃金だそうです。仮に、賃金が1万円だとすれば、3億円、1億2000万円、6000万円を与えて行ったことになります。
それぞれのしもべは、5タラントン、2タラントンをもうけましたが、1タラントンを与えられたものは、土に埋めて隠していました。主人は、そのしもべを外に追い出し、その1タラントンを10タラントンもうけたしもべに与えてしまいます。
このタラントンとは、今ではタレントの語源となっています。タレントとは、能力・才能といった意味ですね。
タラントンのお話では、” しもべの力に応じて ” 与えられたというのが重要なポイントですね。
『ムナのたとえ』(ルカ19:11-27)
主人が王の位を受けに行くために旅に出ました。その際に、10人に10ムナ、つまり1人1ムナずつ与えて、「これで商売をしなさい」と言われました。
1ムナは、およそ100日分の賃金だそうです。仮に、賃金が1万円だとすれば、100万円ずつ与えて行ったことになります。
主人が帰って来ると、10ムナもうけた者、5ムナもうけた者がいました。しかし、布に包んでしまっていた者がいました。その者が言います。
確かに、ムナを隠していた者は、主人に損をさせていません。しかし、そのしもべの言葉は、主人の帰りを待ち望んでいなかったことを表しています。
そして主人は、その1ムナを取り上げて、10ムナもうけた者に与えてしまいます。
この『ムナのたとえ』の後に、イエスさまはエルサレムに上って行かれます(ルカ19:28)。つまり、この『ムナのたとえ』の意図は、十字架の死に備えるためのお話ではないかと思われます。
イエスさまは、再びこの地上に来られます。
このムナとは、主人の帰りを待つ心のこと、御言葉を信じ、神を愛し、隣人を愛することを表しているのではないでしょうか。
主人の旅の目的は、王位を得るためです。これについては、少し時代背景にふれておきましょう。
イエスさまが活躍されていた時代には、ローマ帝国がユダヤ人たちを支配していました。その中で、ヘロデがユダヤ人たちを治めていましたが、これも皇帝の公認を受けて治めているにすぎなかったのです。
こうした時代背景のもとに、イエスさまは、天の父から王位を得て、民を支配する権能を授かりに行くことを、たとえておられると思われます。
しかし、国民の中には、それを望まない者たちもいたようです。
イエスさまが再臨されるとき、このような主人の帰りを待ち望まない者は、裁かれてしまいます。というよりも、自分たちの罪によって、自分自身を滅ぼしてしまうのです。
教会歴では、今、" 聖霊降臨節 " にあたります。典礼色は、緑ですね。これは、聖霊の導きに従って歩む巡りのときを言います。そして、今の私たちが歩んでいる時代そのものが、この聖霊降臨節の歩みなのです。
その『ムナのたとえ』の中で、主人が「商売をしなさい」と言われたことは、弟子たちが福音を宣べ伝え、イエスの弟子を得ることを言っておられます。
あなたは、与えられた1ムナを何に使いますか?
主を待ち望む心に使いますか?
それとも、イエスを拒む心に使いますか?
私たちは、主を恐れるのではなく、喜んで待ち望む信仰(1ムナ)が与えられています。この1ムナは、イエスさまが私たちに期待しておられて与えてくださったものです。
イエスさまは、私たちが失敗しても怒ることはありません。その1ムナを、何に、どのように使ったか。その思いを見ておられるからです。
お祈りをします。
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