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ハイパー除霊師さよなララ 第三話

「目を開けて!」
 少し離れた場所から声が聞こえた。俯いたままそっと目を開くと、着ていた制服が変化していることに気付いた。
「何これ?え?服が……」
黒い薄手のブラウスをインナーに私の身体を包んでいたのは大河ドラマでよく目にする和装のようなものだった。羽織っているのは古典の授業で覚えた水干というものに似ているが、もう少し丈が短く、全体に大ぶりの花柄が織り込まれている。足を覆っているのは裾が絞られた大きめのパンツで、これも狩袴という和服に形状が似ている。
「ばっちりだ!絶対似合うと思ったもんね!これを着ている間は霊と同じで霊感の無い人間からは姿が見えなくなる。それから、負のエネルギーから心身を守る効果もあるんだ。僕が真心込めて作った仕事着、上手く使いこなしてくれ」
 分かったからとにかく今はあのばけものを……
「蘭々ちゃん、大丈b……って、えええ⁉」
後ろから声がして振り向くと、ばけものに取り囲まれた紫苑ちゃんと目が合って、再び心臓ががつんと揺れた。彼女が私の今の風貌に驚いているのは分かるが説明している時間が無い。
再びばけものどもの方を見ると、顔の無い影の頭が一斉に此方を向く。突き刺さるような嫌な視線が向けられ、此方側が武器という武器を何も用意していないことを思い出した。しまった、と思ったがもう後に引くわけにはいかない。ポケットに入っている塩の袋に手をかけ、右腕を振りかぶる。
「消えろ‼」
「え、正気⁉」
影は飛んで行った塩の塊を避け、こちらに覆いかぶさるように高く伸びて向かってくる。思わず後ずさりすると、影は座り込む紫苑ちゃんから離れ、わらわらとノイズを発しながらにじり寄ってきた。
「流石に脳筋すぎるって」
隣に飛んできたハイドはばけものから目を離さない。気付くと私たちは背中まで影に包囲されていた。影たちが発する凄まじいノイズで耳が歪みそうだが、あちらから物理的な攻撃を仕掛けてくる気配はない。
「縲後縺ォ縺ゅ縺、縺クスクス」
「……何が目的なの」
「驕輔≧閾ェ蛻何sssもできないくせに」
「……は?」
ざわざわと人混みのようなノイズに交じって人の言葉が聞こえる。
「友達縲悟暑クスクス驕斐縺ェ縺sシシシ縺かわいそ」
「縲後繧薙縺ィ驕ェ蛻′草wwww縺」
「ねェ縲が譁ケのこと好キだtttttて」「そ薙んなわけないジャん何縺§繧s騙サれてンのうッけんダけどォ!お菴みィたいなノを誰ガガガガ好キにナると繧フフフw後※思っフフフフフ繧薙ススス??」「失礼で蜑ょ謝れよ芋豚ァw」「みんな迷惑しテルン九だよグズ諤こないで」「えー縺空気※読めワその発ゥワーw言は無?いわ」「何か言言えよ縺ォ溘オ?」「縺やめたげて縺ュ??よかわいそうじゃハハハwwんクススス」「しね」「ねーアれ縲阪買ッて来いよ」「縲蟷じめら縺る方にも理由があるっていうかぁ」「えー?ェ聞こえ譛ェ譚エー?なイんだけどぉー」「お前に蛟未来が縺…ると縺った?社不はお荷シャフ物アハハハw」「かわい縺そ」「ほら泣いちゃ縺§たじゃんあはは」「よわwwww」「かわいそw」「昴わいそー」「被害者ぶんな」「嫌なら殺してみろよ」
ああ……あの子はずっと……こんな……
「目障りだよブス」
 はあ?
「ふざけんな紫苑ちゃんは可愛い‼頭も良い‼いい加減にしろクズ共‼‼ 」
「ちがうよ」
突然少し遠くから細い声がして目を向ける。
「不細工だったんだよ……馬鹿だったんだよ。私は駄目だった、ずっと駄目なんだ」
「紫苑ちゃん……?」
コンクリートに座り込んで俯く彼女は声を絞り出す。
「いじめられるのが嫌で、強くなりたいと思って死に物狂いで勉強して。垢抜けたくてかわいい子の真似してメイクも勉強して誰にも馬鹿にされないステータスを作った。高校に入っていじめはなくなったしみんな私の実力も認めてくれるけど」
彼女の視線は地面に向けられたままだ。
「こうやって皆に認められる力を身に着けたきっかけが結局はあの頃の経験なんだって、そう思うともう、惨めで。いつまで経っても、惨めで」
「…なんで! そんなことないよ、 辛いのにくじけないで努力できたのって、凄いことだよ」
「違う、ちがうの、無かったことにしたい。嫌がらせも、私が弱かったことも。あの頃の私は弱かった。今思えば虫唾が走るほどに。弱かったからいじめられた、そんな私が嫌で変わった。でも無かったことにできないんだ。こんな理由で身に着けた力……あんな奴らのせいで、今の自分がいるなんて」
嫌な予感がする。
「今の自分が、あんなクソみたいな経験で出来てるなんて」
「まって、紫苑ちゃ」
「許せないんだよ‼‼」
声が響くと同時に背後からまた無数の影が伸びた。彼女の声は震えている。
「憎くて仕方ないよ。あいつらが、笑ってたあいつらが。ほんとズタズタにしてやりたかったよ。でもあんなのにやられてた自分が一番許せないんだ。今もやられてる自分が。もうあいつらはいないのにずっとこんな幻に悩まされて友達のことも信用できなくて。人が怖くて。私はもう、あの時の私とは違うのに。変わったはずなのに。ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと、ずっとだよ。もうずっと怖いんだ。弱いままなんだ、変わったのに、変われないままなんだ、ずっと、」
 そうか、あの時「別にいいかな」って諦めたように笑っていたのは。
「私は弱いままなんだ、ずっとあの時のまま」
再び現れた影は広がり、黒々と彼女を覆う。こちらを囲んでいるばけものたちも一層声を上げ、ひそひそと嗤う声が聞こえる。ばけものたちの言葉はさっきよりも鮮明で、聞いているだけで悔しさがこみあげた。こんな言葉をずっと浴びせられていたのか。よくもまあ耐えられたものだ。
 真っ黒な影に阻まれて紫苑ちゃんの顔は見えなかった。
「あの頃を許すのも嫌。あの頃を許せないのも嫌。許せない私が嫌い。嫌いだ、あの日の私もあの日のあいつらも今の私も、全部」
「そんな」
紫苑ちゃんは他でもない自分の努力で今の紫苑ちゃんになった。だけど…
 「泣くなよアきもいから」「どうせ勝てない」「ほんとに死んだら繧薙うすんの」「こいつの味方?そしたら縁切るけど」
なんだ、そうか。
弱いのはお前らだよ。
「紫苑ちゃん、ちょっと下がっててね」
腹の奥底で何かが滾る感覚がする。じっとしていられない程の情動の波が押し寄せる。紫苑ちゃんが今の紫苑ちゃんなのは決して彼女が弱かったからじゃない。いじめられたからじゃない。そうだ過去の紫苑ちゃんが、強かったからだ!お前らは関係ない。もういい、消えろ!!!!
「紫苑は最初から強かったんだよ!黙れ弱虫共ォ‼‼」
握った拳に重みを感じた。瞬時に何かを握っている感覚がして、勢いのままに振りかぶる。視界の隅で、紫苑が見開いた目で私を見ていた。
「やれ!」
ハイドの声がして、長い棒が振り下ろされた。先端に無数のリボンが結び付けられたそれは鮮やかな赤色に発光しながらばけものを真二つに切り裂いた。
「きゅうううううううううううううううううううううううう……」
 影たちは口々に弱々しい呻き声をあげながら、燃えかすのようにばらばらになって消えていく。ハイドも隣に浮かびながらその様子を見守っていた。私の手は見たことのない武器を握っていた。
「……すっ、ぐす」
消えていく黒い影の中からすすり泣く声が聞こえる。まだ何かいるのか。ばけものの影が風に散るたびに、人影は少しずつ姿を現した。
「……負けないから」
影が完全に消え、そこにいたのは背の低い中学生ぐらいの女の子だった。数冊の本とノートを抱え込んで俯いている。長い前髪の隙間から見える大きな目には大粒の涙が浮かんでいる。抱えたノートの表紙にはマジックで何か書き込まれていた。
『グズ』『負け犬W』『死ね』
「!あなたは……」
次の瞬間、私とその子の間に紫苑が歩み出た。
「……ありがとう、頑張ってくれて」
 紫苑は女の子の両肩に手を置いて言う。
「負けてなんかいない」
「……え……?」
「あなたは、強い」
「本当……?」
女の子は顔を上げて紫苑を見た。目に溜まった涙を光らせながら呟く。
「ずっと、分かってほしかった」
「そうだね。ずっと、」
女の子の頭に手を乗せて、紫苑が口を開く。
「「認めてほしかった」」
瞬きをするよりも速かった。その瞬間にその子、過去の紫苑の影は姿を消していた。

 遠く、連続する蝉の鳴き声に我に返った。昼過ぎの日差しを跳ね返す屋上の真っ白なコンクリートの上に私達はいた。どれくらい沈黙が続いたのだろう。此方を振り向いた紫苑ちゃんと視線がぶつかって思わず目を逸らしたが、彼女が笑っていることがわかってもう一度その顔に目をやる。
「ありがとう」
 切れ長の瞼の奥に、黒い目が透き通って見える。
「ずっと誰かに認めてほしかったんだ。違うな、認めたかった。本当はわかってたはずなのに。蘭々ちゃんの言葉で、それを邪魔していた呪いが解けた。もう惨めになんて思わない」
彼女は折れない芯のように真っ直ぐな視線で見ていた。
「除霊完了!お疲れ様だね」
ハイドが短い足で握っているのか握っていないのかわからない拳を突き出している。ちょっと笑いが漏れてしまったが、私も手をグーにしてハイドの前足に合わせた。中指あたりに柔らかい毛が当たる感触がして、手を離すと私の服装が制服に戻っていた。
「すごいね、夢みたいだった」
「えいや……私もちょっとよくわかってない」
何故あのばけものをやっつけられたのか、謎の武器がタイミングよく出現したのは何故なのか私にも本当にわからなかった。一瞬のことだった。

 校庭に予鈴を知らせるチャイムが響いた。強制的に時間の感覚を戻され現実を押し付けられる心地がしたが、それには安心感があった。
「蘭々ちゃんは優しいね」
階段に続く扉のドアノブに手をかけながら紫苑ちゃんが言った。私が何も言えないでいると、
「教室戻ろっか」
と言いながら扉を開いた。背後から刺した光が階段を白く照らす。
「また聞かせてよ、そのほわほわちゃんのこととか」
「ほわほわチャン!?」
ハイドが間抜けた声を出した。私たちは昼休みを終える教室に向かった。



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