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【会食恐怖症】食べたいのに食べられない、美味しいのに楽しくない
世の中には色んな恐怖症があります。例えば「高所恐怖症」とか「集合体恐怖症」とか。
この恐怖症というのは、飲みの場ではかなり定番な話題です。「俺、高所恐怖症なんだよ!」とか「私は海洋恐怖症!」とか言って、結構盛り上がったりします。そんな中、人知れず「絶賛恐怖症発症中」な人間が居たりします。
それが「会食恐怖症」です。僕は少し前から、この会食恐怖症というものに悩まされております。今回はそんな最近の悩みについて、書いてみようと思います。
※全て自分の体験をもとに書いています。症状には個人差があります。
会食恐怖症とは
会食恐怖症というのは、人前で食事をすることに恐怖を感じることです。
症状は色々あります。食べる時の不安や緊張のせいで、尋常ではないほどの汗をかいたり、動悸や吐き気を感じるようになったり。
こういう症状が出てくるようになると、嫌な想いをしたくないので、外食を避けるようになります。そのせいで、人間関係に影響が出たり、日々の食事量が減ったりします。
僕の場合、汗が大量に出てきます。顔面がびしょびしょになるほど、汗が噴き出ます。辛いものを食べているからとか、そういうわけではなく、食べる前から汗が出てきたり、吐き気を感じたりします。そして、その様を周りに見られることにも恐怖に感じ、動悸が止まらなくなります。
会食恐怖症になったわけ
なぜ、僕が会食恐怖症になったのか、理由はよく分かりません。明確なきっかけは無いのです。
小学生の頃に、給食を残して怒られたとか、そういった経験はありません。むしろ、食べることは大好きで、祖母が大量に買ってきたスーパーの総菜を喜んで貪るような少年でした。
症状が現れたのつい最近です。
僕はカレーが大好きでした。各地の名店を巡ることが「生きがい」であると言っても過言ではないほど、カレーの沼にどっぷりとハマっていました。食べログを当てにしているような、にわかグルメファンの立ち振る舞いでしたが、それでも上京してから初めてできた趣味でもあったので、「いつか、カレーブログ始めたろ」と意気込んでいました。
大好きなスープカレー屋さんに行ったときのことです。いつものように「やわらかチキンレッグのカリー」を頼んで、席で待っていると、妙に身体が緊張していることに気づきました。お客さんが全員こちらを見ているような、そんな気がしました。
ついにスープカレーが到着。って、あれ? なんか量多くね?
いつも頼んでいるメニューなのに、なぜかチキンが一際大きく見えました。その後、「食べきれるかな」と、急に不安が襲ってくる。いつもは足りないと思うくらいなのに。
スープを一口。やっぱりおいしい。これなら食べきれる、と安堵して食べ進めていくと、急に手が止まりました。
「あれ?飲み込むのって、どうやるんだっけ?」
ブワーと、全身から汗が噴き出る。口にライスをため込んだまま、そっとスプーンを置きました。そして、なるべく飲み込みやすくなるように、限界まで咀嚼して、水で無理やり流し込む。一件落着、とはならず…。
まだ3分の1も食べていませんでした。絶望しました。このまま残すという背徳的な行為は許されない。なぜなら僕はこの店のファンだから。
しかし、ゆっくりしている暇はありません。店の前に何人かの人影がありました。行列ができていたのです。
僕は口にカレーを含んでは水を流し込む。咀嚼をしている暇も無かったので、固形のまま飲み込んでいました。薬を飲んでいる時のような気分です。
今どんな表情をしているだろう。辛そうな表情で食べる僕を、店員さんや、お客さんはどう見ているのだろう。僕は心の中で、「ごめんなさい、ごめんなさい」と何度も唱えながら、なんとか完食しました。
店から出ると、ひどく虚しい気分になったのを憶えています。大好きな店で何をやってるんだろう。
もともと、不安障害というか、神経症傾向の強い人間ではありましたが、実家を出てから、よりその傾向が強くなったように感じます。あらゆるものに恐怖や不安を感じ、家に閉じこもっている時間も多くなりました。何がトリガーとなったのかは分かりませんが、ついに食べるという行為までもが恐怖の対象となってしまいました。
これなら食べられる!
外食がしにくくなってから、一年以上経ちましたが、特定の状況下なら人前でも食べられるということに気が付きました。その例をいくつか紹介したいと思います。
1.実家で食べる
もちろん実家なら食べられます。
家に帰れば、母や祖母が美味しい料理を提供してくれます。僕はそれを楽しみに帰省しているようなもんです。日々抑制していた食欲を、実家で思い切り発散します。
2.友達と外食に行く
仲の良い友達と外食に行くと、楽しく食事ができます。
今、物凄くつまらない文章を書いてしまいましたが、最近僕は友達と食事に行くことの尊さを実感しています。
僕が外食に行った際、最も忌避しているのは「食べきれないかも」と思うことです。一度その言葉が浮かび上がると、飲み込み方を忘れ、汗が噴き出て、絶望します。しかし、仲の良い友達がいれば、楽しく会話をしてくれるので、雑念が浮かび上がる隙が無くなります。
あと、残しても食べてもらえる、という安心感もあります。それを前提にして、外食に誘うのは申し訳ないのですが。
3.行きつけの店に行く
こんな僕でも、行けるお店が2つあります。
一つは先ほど挙げたスープカレー屋さん、もう一つはインド人シェフが営むスパイス系のカレー屋さんです。
この二つのお店の共通点は、店主の方と面識があるということです。
スープカレー屋さんでは、友達と一緒に行った際に、「いつもありがとうございます」と声をかけてくださったので、その時に「最近食べ物が喉を通らなくて」みたいな話をしました。(お客さんが少ない時間帯だったので。)
すると店主さんは、「量は変更できるので、いつでもお声がけください。是非またいらしてください」と言ってくれました。
スパイス系の方では、インド人の女将さんが、「ムリしないでね」とお水を渡してくれたことがきっかけで、通えるようになりました。嬉しかった。
この2つのお店では、普通量なら食べることができます。ありがたい。
それでも外食がしたい
じゃあ、外食しなけりゃいいじゃん。
と、言われれば、その通りなのですが、やっぱり美味しいものが食べたい。なにしろ、カレー屋巡りが趣味だったということもあり、楽しみが一つ潰れてしまうのは悲しい。
なので今はリハビリ中です。行けそうなお店は一人で行ってみる。無理はしない。始めて行くお店の時は、なるべく小さいサイズを頼む。徐々に徐々に、心を慣らしています。
一人暮らしを初めてから、「ああ、自分って生きるの下手くそだな」と思う瞬間が多々ありました。バイトを始めても、あんまり続かなかったり、学校に行きにくくなったり。
しかし最近よく思うのが、他人って案外優しいんだな、ということです。顔も知らない赤の他人。スープカレー屋の店主さんも、インド人の女将さんも、他人のはずの僕に優しく声をかけてくれました。
中には嫌な人もいますが、そういう人は放っておきます。他人なので。
社会とか組織とか、あるいは共同体とか、そんな言葉を使うと、どうしても自分がその中に押し固められているような気になります。周りの視線や表情が気になり、迎合しなくてはならないというプレッシャーを感じてしまう。
でも、他人という距離感は心地よい。人々がそれぞれの尺度で優しさを与えあって、この世は成り立っているんだって思うと幾分か気が楽になります。
外食に行くと、そういう他人の温かみを感じることが多い。だから僕は外で食べたい。まだ少し怖いけど。
今回の記事は以上になります。
上手く言語化できたか分かりませんが、少しでも共感していただけたら幸いです。
ご覧いただきありがとうございました。