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有意義な趣味とはなにか

「そんな事やっても将来何の役にも立たない。もっと有意義な事に時間を使え」
そんなセリフを幼少の頃に親からよく聞いた。ゲームとかネットサーフィンとか、家にこもってする趣味に関しては特によく小言を言われた気がする。

当然、私は反発した。自分が楽しくてやっているのだ。他人にどうこう言われる筋合いは無いだろう。例えそれが親であっても。

……そう思っていたはずだが、社会人になった今、私はたびたびこう言ってしまう。
「こんな趣味なんにも有意義じゃない」
今回は、有意義な趣味とは何かについての考察を交えつつ、こんなことを口走ってしまう訳は何だろうという事を考えたい。

社会人は時間が無い

これで8割くらい理由が説明できてしまうが、まあ話を進めていこう。

社会人になると当然、自分のためだけに割ける時間は減っていってしまう。平日は仕事があるし、休日は家族サービスがあるし、仕事の休み時間を趣味に使うのは難しい。これが単に苦痛であるとは言わない。それは人それぞれだ。それが生きがいとなることも理解できる。しかし自分の時間が減るのは事実だ。

どんな時間の奪われ方をするかもまた人それぞれ。だが重要なのは、子供の頃と違って、時間の確保に苦労するようになる事だ。趣味を成り立たせる最小限の時間でさえ、確保には労力を注がなくてはならない。

家庭を持たない独身貴族でも、自炊とか、買い物とか、翌日の準備とか、自分を自力で維持するための時間が割かれてしまう。

趣味を選別する基準

するとその限られた時間をどう使うか、という問題が立ち上がる。自由時間を目いっぱい使っても、持てる趣味のすべてを楽しむには足りないからだ。趣味の選別に迫られる。

選別には何らかの基準が必要だ。趣味を選別するにふさわしい基準とは、いったい何なのだろうか。それは「有意義かどうか」ではないだろうか。

例えばゲームの話をしよう。Nintendoの名作、ティアーズオブザキングダムをプレイするとして、ゲーム内で木の枝を山のように集めるのと、RTAの技術を高めるのではどちらの方が有意義だろう。絶対に後者だ、と私は思う。たとえ木の枝がインベントリにあふれている様が、どれほど心満たすとしてもだ。

では何をもって有意義とするのだろう。社会人になった私は「将来の役に立つか」を思いついたが、あぁ、段々とわかってきた。子供の頃に嫌だ嫌だと毛嫌いしていた大人たちと同じだ。あのでくの坊たちはこうして生まれたのか。

ゲームを早くクリアできたって将来何の役にも立たない。そういわれたら反論も難しい。何の役にも立たないの「何の」のところに噛みついて、「それだと100%役に立たないってことになるけど、RTAは大会もあるんだし、生きがいになるかもしれないじゃないか。99%役に立たなくても、1%の希望がある!」と言ってみる。でも言い負けた気がする。

時間の有効活用の有害性

しかし、趣味を選ぶ主軸に、将来役に立つかを選んだ場合どんな恐ろしいことが起こるだろう。例えば、その時たまたま将来の役に立たないと思われた趣味は、捨てられてしまうのではないか?

例えば絵を描くのはどうだろう。単なる事務作業員が絵を勉強したとして、仕事にはほとんど役立たないのではないか?経費処理や説明資料を作るのに絵を描くことはないだろうし、PowerPointを使って図やグラフを描いたとしても、手書きで絵を描くことはない。

しかし広報のチラシの隙間を埋める小さなイラストはどうだろう。それが描けたら、とても役立つかもしれない。会社の企画で部屋を準備した時、会場を盛り上げる飾りとしても素敵だ。役に立たないと安易に捨てられた趣味は、果たして本当に役に立たないのか?

それに会得した能力は、多角的かつ細かなところで発揮されるものだ。もしかしたら、空間認識能力が磨かれて、部屋の整理が上手になるかもしれない。全く無駄とは言い難い。しかし、ひとたび役に立たないと思ってしまったら、絵筆はほこりをかぶる。

趣味の定義

それに趣味というのは自分の楽しみのためにするものだ。goo辞典の最初には

仕事職業としてでなく、個人が楽しみとしてしている事柄

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E8%B6%A3%E5%91%B3/

と書いてある。定義的にも趣味というのは個人の楽しみなのだ。それに、そんなことわざわざ言われなくても、私たちはそう感じてきたはずだ。趣味の定義すら知らない子供の頃から。それはきっと、周りの大人がそう教えてくれたのだ。でなければいったい、子供はどこから趣味の意味を推察するのだろう。

そのはずなのに、大人はせっかく教えた趣味の定義を覆してくる。大人になった自分自身でさえも。楽しみとしてではなく、有意義さを追い求めるさもしい思考に支配される。

有意義な趣味とは何か。この問いはそもそも間違いだ。趣味は有意義でなくていいのだから。

もしそれに気づくことができたら、せめて自分だけは、自分の趣味を肯定してあげよう。有意義さにとらわれずに。

多分、これは私自身に向けた宣誓だ。


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