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昔思い描いていた文章を書くという事
私は人より文章を書く方だと思う。少なくとも「数日おきにnoteに1000文字くらいのエッセイ書いてます」なんて人は身近にはいない。それを友達に打ち明けたら「なんか病んでるんじゃない?」と言われてしまった。まあ、確かに病んでいるのかもしれないが。
そんな私がまとまった文量を書くようになったのは、高校三年生になってからだったと思う。私は工業高校に通っていたので、就職に有利になる一風変わった授業を受けることがあった。具体的なことは忘れたが、企業の人事担当だろうか、そんな雰囲気の人間が学校を訪れて、会社の社訓や個人的な理想論をひけらかすのだ。そこで語られたことから私はこんなことを学びましたよ、なんてことを、罫線の引かれたA4のプリントにびっちりと書きこんだ。
私は話を聞きながらその場で500文字くらいを書き上げていた。私の周りにいる者もそうだったから、それが当たり前だと思っていたのだが、これは多少能力のいる作業だという事が後々同級生に訊いて分かった。この頃から、自分は文章を書くという行為に抵抗がないのだということを知り始めた。
そうして鍛えられた能力を使って、大学進学後の私は教養科目のレポートを仕上げていた。一番キツかったのは、毎週1000文字以上のレポートを仕上げる講義だった。そのせいだろうか、あることないことをそれなりの文量ででっちあげる能力が身についてしまったのだ。
それから大学院に上がり、あるゲームにドはまりした。そのゲームの登場人物がたまらなく不憫で、私は思わず二次小説を殴り書きしてネットの海に放流した。その結果、そのジャンル内ではそれなりに注目されることになった。1万文字とか2万文字とか、衝動的に綴るには病的な文量を書いていた。
いろんな人に私の掌編が読まれるにつれ、文章で生きていけたら楽しそうだなーなんて思うようになっていた。まあ、そう簡単にはいかなかったから、今は全然関係ない仕事をしているのだが、それはそれとして書くことが好きだった。
将来はもっと高速に文章が書けるようになるんだろう、と二次小説を書きながら私は妄想した。キーボードを叩きまくると、川が流れるように絶え間なく文字がモニターを流れ、出来上がった文章をパズルのように切ったり貼ったりして読み心地よく成型する。そしたら、そのうち素敵な本が完成しちゃうかも!なんて。
だがいつまで経ってもそんな未来は訪れなかった。私は未だに、拙い文章を詰まり詰まりでなんとか仕上げることしかできていない。何度も何度も迷い線を重ねて、その中から一本のよさげな線をえらんで引くような文章の書き方しかできないのだ。文章というものは椅子に座ってキーボードを無心で叩いていればできるもので、未来の私がするのは、ただその出来上がった文章を切り貼りして整えるだけだと思っていたのだ。
それに比べ、執筆を本職としている人間の才の溢れること。毎日数千文字書きます、なんて言ってみたいものだ。あるいは努力量の違いなのだろうか。なんにせよ、私が昔思い描いていた「執筆」という創作活動は、現実に照らし合わせるとあまりにも夢見がちだったという事なのだ。
ただそれが言いたかっただけ。