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精神と肉体の相互作用と、忘れるという治療法

BMI18を下回ると抑うつ感やイライラ、神経質さが現れて、16を下回ると体が動かなくなってくる。そんな言説を見かけたのだが、私にはまあわかる。というのも私もかなりガリガリなので、痩躯の感じる身体的、精神的な症状を今までの人生で体感してきており、この話は耳が痛いのだ。

驚くことに、痩せすぎると確かに精神が不安定になる。その不安定な精神が体に作用して、さらに痩せ衰えてしまう。そういう負のループがあるから、BMIは適正値を維持した方が良いというのが、私からの教訓だ。ぜひ覚えて帰って欲しい。

それはそうと、私はこの痩せの不安定な精神をどうにかしようと色々画策してきた。この不安定な精神の最たる症状が反芻思考だ。

私には嫌なことを何度も思い出す悪癖があるのだが、調べたところこれを反芻思考というらしい。人間の特性とも言うべきこの思考、行き過ぎれば毒となる。

私は殊更にこれが酷かった。すこしの切っ掛けで目が回るような反芻思考をしてしまい、寝不足にはなるし胃腸の調子は悪くなるし、何もいいことは無い。とにかくこれがぶり返す。

結局これを終えるには、なんとか精神を安定させて溜飲を下げる結論を出すか、考えていることを忘れるしかなかった。BMI増加も試みたが、私は元来少食で、いまさら肉を体内に溜め込む能力は開花しなかった。そこで私は忘れる方を選んだ。その方が短時間での解決が望めるからだ。

しかしこれには弱点がある。その反芻思考で得た後悔、その後悔を繰り返さないための教訓、そういうものがどういう経緯で手に入れられたのか曖昧になってしまうのだ。つまり、自分の中に何らかの教訓があったとして、しかしその教訓の根拠がなんだったか思い出せない。忘却の果てに、宙ぶらりんで説得力のない教訓だけが残るのだ。

例えば、初対面の人と話す時は開口一番に出身地を聞かない方がいいという教訓があるのだが、これが何故なのか思い出せない。初っ端に出身地を聞いて気まずいことになった出来事があったはずだが、思い出せないのだ。そういう危うさが忘れるという選択肢にはあるため、この選択肢は時間的制約に効果てきめんだが予後がそこそこ悪い。

そんなことをしていたら、段々と迷信じみた教訓ばかり蓄積されて頑固な老害に成り果てる恐怖がある。しかし私の精神的健康を維持するためにはそれしかない。原因となった出来事を思い出せないからこそ、グダグダと反芻思考してしまうのが抑えられているのだ。さてどうしたものか、分からない。

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