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興味関心はどこから生まれるか

それは精神的余裕からだと思う。という話を今回はしていきたい。

精神的余裕があるというのはつまり、家族の愛情を感じているとか、仕事が充実しているとか、そういう満ち足りた日常を送っていて、常に意識する不安がないということ。

そういう大きな不安がなくても、大量の小さな不安や後回しにした思考で頭の中がいっぱいだと、人は興味を自分の外へ向ける余裕がなくなってしまう。

明日の会議の説明上手くできるかな、作った製品のあの部分は不具合出ないかな、今日の夕飯の献立は何にしよう、そんなことが積み重なれば、外に向けられるはずだった興味のリソースが内側の雑多な悩みに浪費される。

そして悩みが内側にたまり続けると、次第に何が悩みだったのか分からなくなり、しかし悩ましく救われない感覚だけは色濃く残っていく。まるで煮込んで具が溶け淀んだスープのように、悩みはどろどろと具体的な形象を失っていく。

また、外への興味が持てないこと自体が不安の種になることもある。最初は不安に飲み込まれているため感覚がマヒしているが、ふと落ち着いたときに「あれ、最近の私は全然他人に興味が持てていない。好きだったアニメや漫画も見る気が起きないし、あの人と遊ぶ約束も気が乗らない。私は枯れてしまったのか?」というような不安に駆られる。

今の私でもある。

対策に何をすればよいだろう。残念ながら、答えが出るまで考え続けるしかないと私は思っている。ごちゃごちゃをほどいて、一つ一つ結論が出るまで沈思黙考したり、悩みそのものへの根本的な対策、たとえば明日の会議のことで悩んでいたら事前に気が済むまで準備するとか、そういう愚直な対処を続けるほかないのだ。そうして初めて頭が軽くなって、外への興味が生まれる。

私の場合は、すべてをパソコンで書き出してみることにしている。紙ではだめ。字がへたくそだし、ペンで書くという行為はキーボードで打ち込むより断然遅い。せっかくほどいて掴めた悩みの一部が、書き出す間に手から零れ落ちてスープに戻ってしまうのだ。思い浮かんだ瞬間にパッと書き出せる手段であれば何でもいいのだけれど、紙は私に向かなかった。

これは別に書き出すことに限らず、絵で表現してみたり、誰かに相談してもいい。重要なのは自分の内部を外界にアウトプットすることだ。

そのために日々アウトプットする能力を鍛えたり、アウトプット先を確保しておくことが必要だろう。つまり、思考を文章化する力を養ったり、思い立ったら描けるよう絵筆を身近に確保しておいたり、相談相手が呆れて嫌にならないような話術や気遣いを身に着けるということ。

しかし気を遣いながら人に相談するという方法を、私はとることができなかった。苦手なのだ、自分のぐるぐるとした悩みを即興で言語化して、嫌味の無いように他人に伝えて、優しく慰めてもらうというのが。

時折Xなどで「ただ何も言わず頭を抱きしめて撫でてほしい」という願望が吐露されることがあるが、あれの根本的な原因が、この相談することへの苦手意識なのだと思う。何も言わない優しさが欲しいのだ。しかしそれは簡単ではない。だから、時間がかかっても、自分でアウトプットする術を身に着けることを私は選んだ。

そうすることで私は今、少しずつ興味関心を取り戻している。根本的な解決方法ではないかもしれないが。

もしかしたら、あなたにもこの治療法が効くかもしれない。

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