休み方がへたくそな私が至った末路。
マーブルコミュニティの「新年書くチャレンジ2025」3日目。
今日のテーマは「ちゃんと休む」。
……ちゃんと休むってどういう状態だろう?
体力や気力を回復させること?
ただ何もしない「無」の状態を作ること?
正解が出なかったので、最近話題のchatGPTさんに尋ねてみた。
なるほど。実に深い。
(多分ヨガニドラは、たまに動画流したまま寝るから出てきたと思われる)
でも、私にとって「休む」って結構ハードル高い。
人によって正解があいまいだからこそ、私はこれまでずっと「休む」ことに戸惑ってきた。
それは、前職でのある体験と結びつく。
看護師として働いていたころ、私にとって「休む」ことは大きなタブーだった。
職場の人員はいつもギリギリで、私が休むと他の誰かが負担を抱えることになる。
「自分さえ頑張ればいい」
そう思って、薬を飲んで気合で出勤する日々。
人の病気を看る人が、自分の不調を訴えられないなんて、どれだけ矛盾しているんだろうと思いながら。
それに、世間一般の「この状態になったら休んだほうがいい」の基準が、私にはよくわからなかった。
誰かが休むと、必ず他の誰かが負担を抱えて、不満が漏れる。
そんな状況を何度も見てきた。
「自分が休めば、きっと陰でなにか言われるんだ」
恰幅のいい体とは裏腹に、ガラスのハートの持ち主である私。
怖くて、無理してでも働いた。
お願いされると断れない性格も災いして、自分にリソースがなくても、言われたことはなんでも引き受けた。
「私がやらないといけない」
そう言われている気がしたから。
でも、無理は続かなかった。
ある日、体が出社を拒否。
ドクターストップがかかり、退職することになった。
「休む」を後回しにしてきた結果がこれだ。
強制的な休養期間に入って、早数か月。
いまだに私は休み方がへたくそだ。
でも、そんな自分も受け入れるしかないのかなと思いつつある。
焦りとか無力感とか、自分にむかついたりして、人生こじらせてる私も私だから。
結局、休むには勇気がいる。
無理をし続けることで、失うものの方がはるかに大きい。
今の私は、まだ休み方が上手とは言えないけれど、自分の心と体の声に耳を傾け始めたところだ。
「無理をしない」というシンプルな基準を守りながら、自分なりの休み方を少しずつ見つけていきたい。