この国の「相互発達段階」エリート: 緒方八重 (福沢諭吉は、八重を”お母さん”と慕った)
緒方八重
蘭医の父の許で、調薬・患者の扱いを覚え、
和歌にも長じ、号を「花香(はなか)」と称した
妻として
家事の暇を見て、懇切丁寧に患者応接にあたり、
舅・姑・姪たち、および両実家との間の親密さを保ち、
夫の病に際し、自分の帯を売って風呂桶を買い求め、戸板で囲って夫に湯を使わせた
適塾生の慈母として
年若い寮母として、女中を指揮して真心を尽くし、
使用人・奉公人に対しても、温情親切で過失は責めず、
自藩の倉屋敷で腸チフスに伏せる福沢諭吉を、まるで実子のように面倒を見続けた
親として
7男6女をもうけ(うち、4人が夭折)
実母支援の下、9人を成人させ、
三男四郎をロシアに、甥の一郎をイギリスへ、次男洪哉(惟準、明治5年改名)をオランダに、五男十郎をフランスに留学させた