「知っている」つもりになっている感覚
年齢を重ねていくと、
日常生活におきることや選択肢に対して
「知識があり、正しい判断ができる」という
感覚をもって日々を過ごしているかと思います
なにかに専門的になると
いかに一般人が知った気になっているか
思い知ることが多々あります。
たとえば
日々の食事と栄養と健康についてとか
服の選び方とかマナーや言葉遣いとか、
知ってるつもりで、知らない間に
無知をさらけ出していて、恥ずかしい行動をとっていること
意外と多いかもしれないですよ。
とはいっても
どっかのマナー講師のように
所作や言動、思考に対して揚げ足をとるようなこと
それ自体がまた、配慮に欠け、醜い行動だったり。
こうして社会は許し許されるだけでなく
見向きもされない、お互い無関心という
もっとも恐ろしい状態に陥るのでしょうね。
人間社会って難しいですね。
ただ日々生活しているだけで
知識だ教養だ、育ちの良さだ
と知りもしない人に評価をされてわけですから。
そう思うと、どれだけ歳を重ねようとも、
日々、知識を取り入れ、知恵にして
より良い生を体現しようとする姿勢は
保っておかなければならないのでしょうね。
怠惰、傲慢、驕り、怠慢などの感情を
自分から排除するだけの強い良心を備えることが
大切なのでしょう。
これらのことは
大晦日にしか発さないであろうこと単語
「煩悩」について、調べてみるとおもしろいですよ。
仏教ってすごいね。
人が抱くであろう、感情のほとんどが説明つくように分類されていて
感動する。
もやもやしたら、一覧をみて
「自分が抱いている勘定はこれかも。」って感じてみてはいかがでしょうか。
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