「金もなきゃ、時間もねぇ」ていう地獄のささやき
「忙しさ」はしばしば、自己陶酔に陥らせ
知らず知らずのうちに恥を生む、取り扱いが難しい対象である。
私はなるべく、「忙しい」という単語を用いないようにしている。
もちろん、わかりやすさが求められている状況では用いるが
自分の無能さを表す言葉でもあることを思うと
使いたくない単語である。
社会的なステータスが自分よりも高い人に
スケジュールを聞かれた際に、
自分の方がスケジュールを合わせられなくて
合わしていただくことに、申し訳なさを感じるのである。
自分より稼いでいるうえに、自分よりも時間の都合がつく。
翻してみれば
稼げもしないことに自分の時間を占められていて
自分に手を差し出してくれる人に、その救済だけでもありがたいのに
時間の工面までお願いをするなんて、
なんて情けないことだろう、って思ってしまう。
この思想は自分の存在意義や自己肯定感を下げるような
非常に危険であるのはわかっているが
「普通」から抜け出すのに必要不可欠な言葉であろう。
「貧乏暇なし」という慣用句があるが
慣用句になっているくらいだから
世間一般的な現象として許されているような感覚になるが
そこから抜け出そうとしない姿勢は、
時代を問わず問題視されるべきことだろう。
・貧乏なのは裕福になれるほどの仕事を自らしていないから。
・時間がない理由は仕事に対して時間を惜しまず、
それに見合う報酬をもらっているから。
これらに当てはまらない貧困は
精神衛生的にも倫理的にもよろしくない。
常日ごろから、
自分の時間を今よりもコントロールできるようにし
その時間を使って信用を築き
信用でいい条件の仕事を得ていく。
これって狩猟時代からかわらないことだと思う。
獲物が少ないとわかっている場所で盲目的に狩りを行うよりも
条件のいい狩場を、探す、または教えてもらい
生存確率を高める。
これをしない「大人」という人間は本当に多い。
シゴトというのは、どんな得よりも高尚なものだろうか。
「向上心を持て」なんていう陳腐なことではない。
向上心がないなりに、省エネで報酬を得られる方法を模索する。
社会と経済という大きい枠組みのなかで
生きざるを得ないのだから、
せめてストレスなく生活する方法くらいは模索したほうがいい。
死にたいと思う人はいても
生き地獄を味わいたいと思う人はいない。
自分のことを置き去りにして生きる大人の声なんて聞いてはいけない。
彼らは理論武装なんてしてない。
耳を貸したところで、時間を無駄にするだけである。
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