過去のこだわりや後悔を払拭できるのは今の自分しかいない。

過去のこだわりを払拭するには
そっちに進んでたら、味わえなかったであろう、
今を味わうほかにないかもしれない

私は学生時代に学歴コンプを患って
仮面浪人と大学編入を体験しました。

結論からいうと、楽しかった!
あれほど勉強したことは後にも先にもなかったし
大学生活、講義も新鮮で
学部との相性もあって世界史がより興味深いものになりました。

その大学に行ったらどんな生活が待ち受けているか
卒業後はどうなるのかも考えられていたのですが
結局、受験した大学には
行けなかったところもありますが
行かなかったところもあります。

今、こんなに楽しい大学生活を
ここで出会った友人と過ごせていることが
捨て難かったのが大きかったですね。

「高校卒業して、大学で勉強以外のことで新しいことに触れて
こんなにも興味を持っている。
もしここで大学生活を過ごすことなかったら
私の人生はここまで彩られることはなかっただろうな。」
って思った。

むしろ
「もしこのまま受かった学校に行ったら
学歴に付けあがり、普通の大学生になるかもしれない」
とすら感じていました。

3年次大学編入試験のときは
「この大学で専門分野を2年間学ぼう」って思いながらも
「あれ、これビジネスにしたら儲かるんじゃ?」っていうエッセンスも掴んでいたころでした。
やっぱり勉強以外で得られるものの影響が大きく
結果として試験受けたにもかかわらず、編入しませんでした。

得られたのは、専門分野を学ぶことの面白さ。
修士号を取得することなど
その先のキャリアについて知る機会でした。
これが非常に尊い。

どれだけ、仮面浪人と大学編入のメリットを考えても
予想以上に得られるものが多かった、勉強以外の体験と経験と学びが
なによりも替え難かったんです。

そして今、それらがすべて仕事になっているんですから。

あのとき、地方の私立大学に行ってなかったら
もし堅実に勉強をするような人間だったら
もうすこしわかりやすい人生を歩めていただろう。

しかし今は
変なことで起業ばかりして、毎日がわくわくしてるし
和書洋書問わず、1冊1万円以上する本を読むような非効率な生活に充実感を覚えてるし
なにより趣味の延長線上で仕事できる環境に身を置いている。

たしかに私は、多くの人が「賢い」と感じる生き方はしていない。
しかし多くの人が歩まない道ばかりを歩み、
誰も真似できないであろう、自分だけの歩みを進めていて
それらで生計が立っている。
ある意味では、一般的ではない世界で賢く生きている方なのかもしれない。

すべて推測の世界でしかないが
今の自分が充実していると感じる環境に身をおけていること、
自分がだれかと比較できる対象ではないこと、
自分の能力によって仕事ができていること。
この生活は、だれかと単純比較できることよりも幸福感につながると感じている。

そんな妙な生き方をしていることを評価してくれる友人がいて
自分が歩みたくても歩めなかった、
世間的にわかりやすいく、また競争社会で仕事をする友人にも尊敬ができる。
こんな状況が幸せじゃないか。

「あいつはいいよな。○○大学の出身頭がよくて」とか
「就職先が大企業で箔があっていいよなー」とか
「俺には特別な技能も能力もないから」とか
比較の中でネガティブな感情をもって生きるなんて絶対に楽しくない。

私の人生はそもそもマイノリティから始まったんだ。
あまのじゃくゆえの選択だとしても
周りの意見や王道に流されず
自分でも変だなって思える選択肢をとったことが
今の自分らしさにつながっている。

社会の一般や安定をとるなら
自分らしさは失われ
自分らしく生きたいのであれば
安定や普通が失われる。
ただ一般や普通のなかで安定を望む人は多くて
その多い人の中でのヒエラルキーを感じながら、
誰かと自分を比較し、誰かに比較されながら
勝ち組側で生きるというのは
とてもじゃないけど難しい。それもまた選ばれた人なのである。

どれだけ自分じゃない感覚で生きれば気が済みますか。
どれだけ自分が重要視していない尺度で評価されることを望みますか。
この世の中の自分以外は全員、もれなく他人なのです。
そしてこの世の中にあるものの99%以上は他人が作ったものです。
どこで自分を打ち出すのか。
自分の感覚すら他人に影響を受けている。
自分らしさをどこで体現しましょうかね。


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