将来の夢を問われたら職業を答える謎。
「私の将来の夢は、」にかかる言葉は
なぜか仕事や職業にしばしば限られる。
これは現代的な係り結びの関係なのでしょうか。
小学校の作文で必ずと言っていいほど書かされ、
発表させられるであろう、「将来の夢」
あの頃のあなたは何と書きましたか?
何を書いたかは覚えていないが
どんな心境で書いたかを今でも覚えてる。
「そんなものわかるはずがないやん。」
とかなり冷静に文面を判断していた覚えがある。
「〇〇になりたい」と切望し、歩みを進めていても
それが他人に、大衆に、世間に知られなければ、もしくは認められなければ
その将来像はかなわない。
自分の「なりたい」気持ちは、ある意味無意味なのかもしれない。
天職に出会えるかも、就きたい職業に就けるかも、
すべて運次第では?なんて思いながら
「とりあえず、大人が喜びそうな、わかりやすいものを書いておくか」と。
面接などで、求められている文脈の方向性がわかっていて
相手が喜ぶ答えの傾向にそうような
限られた環境下での会話なら
将来の夢を職業や仕事になぞらえて答えるのはわかる。
小学生の作文に求めるような、制約や文脈が定まっていないものでも
仕事や職業を意識して書いてしまうのはなぜだろうか。
労働とか搾取とか、陰謀論が語れそうなくらい不思議。
ちなみに今の私の将来の夢に関していうと
「なんとでもなるな」って思っています。
こんだけへんな人生を歩んできたのだから
多分この先も、普通の生活は歩まないだろうな。
だからこそ外れ値を生み出す可能性もあると
超楽観的です。
短期・長期を問わず自分の未来像が
「今の延長線上にある」とは考えていません。
実現したい状況にどうしたら近づけるか、
それに必要なことを今から0から始めてしまえばいい
と思っています。
私の経歴を知ったうえで、突拍子もないことと思われても
「やっちゃえばいいじゃん。」としか思っていません。
私の名刺の裏面には直近の数年で体現する予定の事業を記載しています。
2024年12月現在では
・教育
・ファッション
・音楽
・飲食
これらの事業を今、展開予定です。
本当にまとまりがない。自分でも思う。
「何がしたいの?」ってよく聞かれますが
できることをやって、お金を得て生計を立てているだけです。
逆に問えば、
企業勤めの方のうち何割程度の人が
自分が望んだ仕事に従事しているでしょうか。
就業者が9割の日本で
自分が望んだ仕事、職業に就いている人はおそらくわずかなのに、
子どもに仕事や職業ありきな”将来の夢”を説かせるのは
なんだか違和感があるんですよね。
"大人"の勝手な思い込みで
「夢は1つに絞るのが正しい」とか
「将来の夢と言えば職業」とか
レール敷いてしまっているのは本当に恐ろしい。
視野狭窄に陥らせることだと思う。
こどもが将来の夢を語るときに
「やさしく、かわいいおじいちゃんになりたい。」
「お金持ちになりたい!」
「有名になりたい!」
とかでもいいじゃないですか。
どんな方法で、夢をかなえるのか
その手段に仕事や職業があるのではないでしょうか。
私にとって仕事はやりたいことをやっているだけ。体験しているだけ。
かなえたい状況を現実化するために、自分のできることを提供し
社会的なステータスや資産を得る。
仕事がアイデンティティではなくて
仕事によって得られるものが自分のアイデンティティに繋がっている方が
好ましい気すらしてる。
だからこそ、
将来の夢は素直になりたい姿を抱かせるのが
好ましいのではないかと思う。
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