Mastery for Service
Mastery for Service (奉仕の練達) とは、とある学校のモットーである。
「社会へ貢献・奉仕をするため、自分自身を鍛え高める」と解釈しています。
究極的には、人は隣人・社会・世界へ奉仕することが最上であり、そのために私利私欲を捨て自分自身の識見・倫理観、他者への思いやり、高潔さを高めることと理解します。
社会への貢献・奉仕とは、決してボランティアだけをさすわけではありません。広い意味で、社会変革への貢献、例えば会社で働くことも社会貢献と考えることもできますが、今回は狭い意味で社会への無償の奉仕とします。
無償の奉仕とは、文字通り見返りを求めない奉仕であって、見返りとは金銭や対価に匹敵するもののことです。
今日は記事ではなく、最近の自分自身への叱咤激励を書き残すためです。
自分の人生において、どれだけ社会へ奉仕をしているか?してきたのか?
今年は特にそんなことをずっと考えてます。
街を歩いていると、募金の呼びかけやホームレスが小銭を求めている光景を見かけます。私は、ゆえあってスルーしますが、一方で狭量である罪悪感を感じます。
(コロナでまったく現金を持たなくなったこともあるのですが😥)
ワーホリへ行った時は、半年間ほどは社会福祉施設でボランティアもやりました。オーストラリアでも、日本語教師アシスタントのボランティアも1年間しました。
でもね?
私がやってきたボランティアとは無給ではあるが、果たして対価を求めていなかったのか?
いや、求めてたよね💦
いま思えば、
タダで現地の人達と話ができ、英語を学ぶ機会を得られる
将来海外で住むための経験・キッカケになる
実際のところ、そう思ってました。
自己利益追求の気持ちをずっと捨てきれない。
そんなモヤモヤ感をずっと持ち続けていました。
今年に入って「3つのチーズを探せ!」を始めたのには、自分の人生を楽しむためであって、その中にボランティアもリストに入れていました。
何かを始めることによって、何か新しいことが生まれるのではないか?
どんなボランティアがあるかわからない、とにかく行動してみよう!と思ってとりあえず始めたのが、ゴミ拾いだったわけです。
週1程度ですが、意外と楽しいです。
キレイになるのは気持ち良いです。
(毎回レジ袋いっぱいになって一向に減らない。ふしぎ🤔)
でも心の奥底に、いまだ見返りの対価を求めている
自分がいるような気がします。
結局自分のため??に。
世の中、献身的に奉仕をしたり、
純粋に見返りを求めないギブ&ギブができる人いますよね?
人として魅力的だと思います。
どこからそのような衝動が湧きおこって行動できるのか?
そのような人と会って質問してみたいです!
「なにが、あなたをそうさせているのか?」
でも、きっと答えは想像できます。
「したいから、そうする」
「好きだから、そうする」
「使命だと感じたから、そうする」
きっとこんな感じでしょう。他人に説明できる理屈なんてあるはずがない。
答えもわかっているのに、同じになれない。
難しいね。。。
半年後、1年後の自分が、このノートを見返せるよう残しておきます。
少しは成長したと思えるように。
しっかりせんかい、自分!