オルタナティブデータの活用が「決断に迫られた局面」を救う。金融の経験を活かした新たな提案へ
ナウキャストHRの木下です。
Finatextグループのメンバーを紹介していく社員インタビュー。
今回は、2023年6月にナウキャストのERユニットにビジネスデベロップメントとして入社された、市橋幸子さんにお話を伺いました!
これまで日本銀行で、金融法務や制度企画・導入を担当したほか、マクロとミクロの視点から日本経済・市場に対するアプローチをされてきた市橋さん。日銀でのキャリアを振り返ると、市場や経済の “今” を掴むことに注力し、データをもとに現場のことを考え抜く日々だったといいます。
そんな市橋さんがなぜ、これまで扱ってきた政府公開の統計情報(トラディショナルデータ)に対し、POSデータやクレジットカードデータなどのオルタナティブデータの活用を推進するナウキャストに入社を決意されたのか、市橋さんにはこれまでのご経歴のほか、オルタナティブデータ業界の今後にかける想いについて伺いました!
司法試験に合格するも「法律を適用する向こう側」に興味を持ち、日本銀行へ入行
──本日はよろしくお願いします!市橋さんは、日本のロースクールを卒業されているんですよね。
そうです。卒業後、司法試験にも合格したのですが法律家にはならず、日本銀行に入行しました。ロースクールで事例研究をしていた際、法律を適用する向こう側の世界のほうが自分にとってやりがいがあるのではと感じるようになったんです。
学生時代、大手弁護士事務所で経験したインターンの場でも、ビッグディールをどう進め、どう仕掛けるのかというビジネス側への関心が高まり、最終的に弁護士とは異なるキャリアを選択しました。
──日本銀行ではどのような業務を担当されていたのでしょうか?
日本銀行にはジョブローテーションの文化があり、複数の分野に携わりました。入行後まず最初は決済機構局に配属され、資金決済に関わる業務を担当しました。ちょうど民法の「債権総論」の分野が改正されるタイミングだったこともあり、リーガルのバックグラウンドを生かして、入行直後から現行法と改正法の法律構成の整理など、金融法務に携わりました。
1年目の終わりには、京都支店に転勤となり、主に産業調査を担当しました。生産・観光調査担当として色々な会社や施設に出向いてお話を聞かせていただき、そこから「今ここで何が起きているのか」を掴もうとしていました。
ちょうど私が担当し始めた頃、量的・質的金融緩和による円安で外国人観光客が増え、京都の観光が盛り上がっていて、経済のダイナミックな動きを肌で感じることができたことはとても貴重な体験でした。一方で、地方の経済には指数や政府が出している公的な統計が極めて少なく、定性情報に頼らざるを得ない状況に歯がゆさを覚えたこともありました。
金融法務を再び経験、その後コロンビア大学へ
──その後はどのようなキャリアを辿られましたか?
入行3年目に日本銀行本店に戻り、金融市場局に配属となりました。
毎日約100兆円の資金決済を行う日銀ネットの全面更改に際して自分の所属部署の関連部分の規程の起案を行ったほか、金融政策決定会合で決まった新しいオペレーション(公開市場操作)や共通担保の制度導入などを担当しました。
──具体的にはどのような制度導入に携わられたのでしょうか?
金融政策決定会合で新たに住宅ローン債権を担保として受け入れること(適格住宅ローン債権信託受益権)が決まり、その導入に携わりました。実際の導入に際しては、決定された内容とその制度が始まることで起こりうる状況を想定しながら、民法、信託法、民事執行法などのさまざまな法律を照らし合わせ、複数の部署と連携して制度を作りこむ必要があります。
日銀ならではの仕事という意味では、法律構成などの金融法務を確認しながら、同時にもう一方では大量のデータを集めてリスクを計測するといったような動きが求められます。さらに、ただ制度を作るだけでなく現場の人や金融機関の方にとって使いやすいものにしたいという思いが強くあったので、直接金融機関にお伺いしてお話をさせていただいたりしながら、実際のオペレーションまでの落とし込みを行いました。
法律、ファイナンシャルエンジニアリング、金融実務、現場の事務への理解など、さまざまな知識が求められる大変な作業でしたが、無事に運用初日を迎えられた時は本当に感動しました。
その後、2016年の7月から米国のコロンビア大学に1年間留学し、LLM(Master of Laws)という法学修士の学位を取得しました。ここでは自分とは異なる文化を持った方々と議論する感覚や、金融領域において極めて重要であるアメリカの法規制がどうなっているか、その基本的な考え方を学ぶことができたと思っています。
数字やデータ分析に目覚め、マーケットと向き合う日々
──帰国後はどこの部署で働くことになったのでしょうか?
金融機構局への配属を自ら希望して、金融機関の市場・流動性リスク管理の検査(日銀考査)を行っていました。
それまではかなり大きな制度の導入などを担当していましたが、自分が作る制度を本当に使いやすいものにするためには、使っていただく金融機関の現場を見ておく必要があるという思いがあったからです。
日銀考査は、金融機関に2〜3週間出張して立入調査を行い、定性的・定量的なデータを集め、リスクとその管理体制を点検し、必要に応じてリスク管理体制の改善などを促していく仕事です。テレビドラマ『半沢直樹』で金融庁検査のシーンがありましたね。あれは金融庁の検査を描いたものですが、その場面を思い出すと日銀考査もイメージしやすいかもしれません(もちろんドラマにおける金融庁検査は架空のものですし、実際の考査ともかなり違います)。
市場流動性リスクをデータをもとにプロファイルし、仮説を立て、その仮説が合っているか実際に現地で確認するということは初めての経験でした。でも大量にあるデータの中から浮かび上がってくるものを作ってチームでレビューし合い、それを実際に金融機関の方々と議論し合う一連の過程はとてもわくわくするものでした。
考査の際は金融機関の部長クラスの方などとコミュニケーションをすることも多かったのですが、そういった地域の経済を守っていこう、発展させていこうという意思と自分の仕事に対する誇りを持っている方々と、ひざを突き合わせて話すことができることもとてもありがたかったですし、楽しかったです。
今思えばこの時に数字やデータをもとに分析することの面白さに気づいたように思います。
その後は、破綻処理制度や最後の貸し手機能の企画立案部署に移ったのち、また金融市場局に戻って、円金利市場のモニタリングと日本銀行の金融市場調節を担当しました。金融市場調節では、日本銀行の政策に対して市場からアタックを受けるという局面でチームを率いることになり、毎日プレッシャーとスピード感の中で戦う日々でした。大変ですけど充実していましたね。
マーケットは1秒とて同じ瞬間はなく、たとえ自分が初心者だろうとベテランだろうと、清廉潔白な目標のためにやっていようと、儲けだけを追求していようとそんなことはお構いなしに動いていくのが魅力的でした。そういう中で少しでもマーケットに肉薄したいと思って、トラディショナルではないいろんなデータを集めて市場の“今” を何とかつかもうとチームで試行錯誤しながらモニタリングの精度を上げていく。これがめちゃくちゃ面白かったです。
その後、企画局に異動して金融政策の立案部署で金融環境の分析や展望レポートの一部分を担当しました。手に入るさまざまなデータから金融環境の現状を捉え、どのように評価できるか、どうすれば議論に資する説明ができるかを考える日々でした。
新たに浮かび上がる「データを使って社会を前に進めたい」という想い
──お話を聞きながら、日銀でイキイキと働く市橋さんの様子が伝わってきました!
日本銀行での日々は本当に刺激に満ちていて楽しくて、良い意味で発狂するほど仕事に熱中していたと思います(笑)。
ただ、その反面で働きながら思うところも出てきて……。
──どういうことでしょうか?
さまざまな局面で感じた「足元のデータで “今” に肉薄する楽しさ」と、データ活用で社会を前に進めたいという想いが日に日に強くなっていったんです。加えて、それを日本銀行の中でではなく、外の世界で挑戦したいと思うようになっていました。
それから、これは自分の問題なのですが、仕事の楽しさに夢中になるあまり、人生における仕事以外の部分について無頓着になってしまい、気が付くと働き始めて10年経っていました。ありうるライフステージの変化に自分はどう対応するのか、家族との時間をどう過ごしたいのか・・・一度自分の人生を見つめ直そうと、大好きだった日銀を辞めることを決意しました。
──その後は、コンサルティング会社に転職されたそうですね。
はい。ご縁もあって、大学系のエコノミックコンサルティング会社に入社しました。
ビジネスや公共政策上の課題に対して、経済学を用いたソリューションを提供している会社です。私は営業として、官公庁や民間企業のお客様とのリレーションを担当しました。
経済の専門家と官公庁、民間企業の方々の間には少し距離があるケースが多いのですが、自分がその間に入ることでよい作用を及ぼすことができた時は嬉しかったですね。
特に官公庁ではEBPM(Evidence based policy making)を推し進めていて、忙しい官僚の皆さんが志を持って、政策効果を経済学の知見を使って測定し、次の政策のためのインサイトを得ようとされていたので、そんな方々のご支援ができることにはやりがいを感じていました。
日本国内でもっともアカデミックで、最先端なサービス提供ができていたと思います。
──日銀時代に感じていた、ご自身のやりたかったことに近づいたと。
そうなんです。ただ、データ活用によって開拓できる未来があるにもかかわらず、その前段階で「データ漏洩に関する不安」「データの収益化の検討」「社内の関連部署の説得」などの課題が山積しており、お客様の入口から出口までのサポートができない状況が私にとって課題でした。
営業という立場上、受注に至らないとお客様とのご縁が切れてしまう。これがとても悔しく、もっと良い提案はできないものかと悶々と過ごす日々が続きました。
ナウキャストへ入社。オルタナティブデータビジネスと真摯に向き合う姿勢に惹かれた
──悩みを抱えていた市橋さんが、ナウキャストを選んだ理由は何だったのでしょうか?
大きく3つの理由があります。
1つは日本銀行で働く中で、足もとのデータを分析して活用することの重要性に気づいていたから。ナウキャストでは、POSデータやクレジットカードの決済情報、位置情報データなどのオルタナティブデータを提供しており、お客様はこれを判断材料として使うことができます。
データがあるから正解を導けるわけではありません。
でも、データが意思決定する勇気をくれる。足もとのデータがあることで意思決定が適時にできる。そもそも意思決定に関わることができないような人も関わることができるようになる。打った施策の効果をデータで見れば次の意思決定に活用できる。そんないいことが世の中にどんどん広がっていけばいいなと思っていました。
──まさに市橋さんが、日銀とコンサルティング会社での仕事を通じて、目指していたことですね。
そうなんです。2つめは、ナウキャストの皆さんに魅力を感じたから。代表の辻中さんとは入社以前から面識があったのですが、仕事内容や金融の未来に対する考え方に共感できる部分が多く、シンプルにこの人のもとで働いてみたいと思ったんです。
その後、面談を通じてほかのメンバーともお話をしました。それぞれが自分の意志を持って仕事を楽しんでいることが伝わり、ぜひ仲間に入れてもらいたいと思いました。
あとは入社前から色々とおすすめの資格や本なども教えてもらっていて、社員が勉強することをみんなで応援するカルチャーがあるところも好きです。
そして3つめは、今後盛り上がりが期待できるオルタナティブデータ業界で、ナウキャストが唯一無二のビジネスモデルを持っていたからです。
データを提供するデータホルダーとデータユーザーのどちらにもフェイスしており、さまざまな業種のお客様のデータを扱っていること。何よりも私がコンサルティング会社で感じたオルタナティブデータの扱い方の難しさと、真摯に向き合ってきた経験とノウハウがあります。
参考:データクレンジング、人材育成、法的体制整備など数多くのプロセスをクリア
──家庭との両立についてはいかがでしたか?
そこも入社を決めた大きなポイントです。Finatextグループは仕事だけでなく、個人の人生も大事にしていることは以前から感じていました。
採用面接の場でも、辻中さんと今後のライフプランについて色々と相談することができました。
「一緒に頑張りましょうね」ではなく、具体的に何時まで仕事ができるのか、譲れないポイントは何かなど、現実的に相談にのってくれました。この会社ならきっと大丈夫。そう思える安心感が入社の決め手の1つでしたね。
──ありがとうございます。最後に今後の目標をお願いします。
目標はオルタナティブデータ業界で、「ナウキャストの市橋さんに聞けば何とかしてくれるから相談しよう!」と言ってもらえる人材になることです。
ビジネスデベロップメントやITの領域は、これからのキャッチアップになりますが、金融やリサーチ、リーガル面の知識や経験は必ず活かせると思っています。
ナウキャストとオルタナティブデータ業界のさらなる成長を、自らの推進力で実現していくことを目標にこれから頑張っていきたいと思います。
──市橋さんの今後の活躍を楽しみにしています。本日はありがとうございました!
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取材協力:株式会社ソレナ