スナック忘れな草~いずれ菖蒲か杜若・2024フェブラリーS その1~
トップ画像引用:あそびDEまなぶ
■ 京都記念的中
2024年2月11日(祝・日)午後5時
-東京都某区 スナック忘れな草-
スナック忘れな草には、久し振りに勝利の美酒に酔う常連客たちの姿があった。京都記念の本命馬券であった、馬連3−5が的中したのだ。
「結果論ですが、アフリカンゴールドからの馬券は余計でしたね」
マスターが言った。タコ社長が手を大きく振って否定する。
「いいってことよ。3連単ズバリ的中はフェブラリーステークスまで先延ばししたと思いねえ!」
うんうんと頷き、真一郎が言った。
「3連単まで当たってたら、フェブラリーはお休み・・・つまり外れるような気がします。余力を残した感じで今年初のGⅠを迎えるというのは、いい流れなんじゃないでしょうか?」
「上昇気流なのはいいんだけどさあ」
ギョニ子が生ビールのジョッキを右手に持ちながら言った。
「フェブラリーってムズすぎない?なんなのよこのメンバー?」
そうなのよねと麗子ママがすかさず相槌を打った。
「エンペラーワケアに注目してたのに、いつの間にか回避してるわね。レモンポップやウシュバテソーロはいないし、大混戦って感じ」
グラス磨きが一段落したマスターが言った。
「出てくれば人気になっていたであろう、エンペラーワケアの回避。直後に天皇誕生日を控えたGⅠで、エンペラー馬名を出さないというのはどういうことなんでしょうね」
■ 阿部兄妹
「イクイノックスが鍵になるかもしれません」
そう言って入ってきたのは、くろたんだった。コスプレ姿ではなく普通の私服姿のダンディくろたんだ。エンペラーワケアの回避は、イクイノックスに注目せよというサインなのではないかという。
「フェブラリーステークスのひとつ前に組まれている、JRAウルトラプレミアムコパノリッキーカップ。プレゼンター柔道阿部兄妹が所属するパーク24からのカフェファラオ。コパノリッキーもカフェファラオも、フェブラリーステークスを連覇している馬です」
なるほどとみんなが頷いた。阿部一二三と阿部詩が所属するパーク24。経営するのは、カフェの冠名でおなじみの西川光一オーナーだ。
くろたんが説明を続ける。
「そこにエンペラーワケアの回避をつなげると、直近の天皇賞連覇馬、イクイノックスに注目するというのは自然な流れではないでしょうか」
くろたんはそこまで言うと、用意してあった響のロックに手を伸ばしかけた。だが、一口も飲まずに席を立った。
「なんだかいやな予感がします。今日はこれで失礼しますよ」
くろたんが店を出ていった数分後、入れ替わるように長身の女性が・・・いや、見た目は完璧な女性だが戸籍上は男性である、立ち飲み処UEGOMORIのキャロラインママが入ってきた。
さっきまでくろたんが座っていた、タコ社長の右隣に座ったキャロラインママは、くんくんと匂いを嗅ぐように鼻を鳴らした。
「あら、くろたんが来てたのね・・・どうやら逃げられちゃったのかしら?」
キャロラインママが来る前に、くろたんの響のグラスは下げられていた。だが、半径10km以内にいる男性器の匂いはすべて判別できるという、犬並みの鋭い嗅覚を持つキャロラインママにはお見通しだったらしい。
キャロラインママは人目もはばからず、右手の人差し指と中指を二本同時に根元までぐパックリと口に咥えると、吐息を漏らしながら左手で自分の股間をまさぐった。餃子の皮ほどの小さな円を描くように。1分ほどそうしたのち、急に我に返った。
「・・・久し振りに煙突掃除をしてあげようと思ってたんだけど、まあいいわ・・・今日来たのはね、面白いネタが入ったからなの。フェブラリーの阿部兄妹。これを言いたいんじゃないかしら?」
キャロラインママは、コートのポケットから1枚のカードを取り出しカウンターに置いた。カードにはこう書いてある。
みかさのやまにいでしつきかも
それはどうやら百人一首の取札のようだった。
「阿倍仲麻呂・・・でしょうか?」
マスターが言った。キャロラインママが指をパチンと鳴らす。
「さすがはマスターね。実は今日うちの店にね、たまに来る男性2人組が来てたんだけれど・・・」
キャロラインママの説明はこうだった。会社の同僚である男性2人組の話を聞くともなく聞いていると、中国支社にいる同期が今年度も東京本社への復帰を見送られたという。日本に妻子がいての単身赴任であるため、本人は東京本社へ戻ることを強く希望しているのだが、中国支社の幹部が帰してくれないらしい。
「中国にいる彼はよほどできる社員みたいね。中国支店の幹部は彼に抜けられたら困るから、東京へ戻る話がでるたびに、あと一年、あと一年だけいてくれと頼み込むわけ」
「それでずるずると中国へ居続けているわけですね?」
マスターが尋ねるとキャロラインママが頷いた。タコ社長が口を挟む。
「おいおい!話が全然見えねえぜ!それが彦摩呂にどうつながるっつうんでい!?」
「彦摩呂じゃなくて阿倍仲麻呂よ。マスター、説明してあげて」
キャロラインママはあきれたようにタコ社長を一瞥してから、マスターに視線を戻した。マスターが言った。
「阿倍仲麻呂は遣唐使でした。簡単に言うと唐、今の中国に派遣されていたわけですが、帰ろうとするたびに引き留められたり船が難破したりとなんやかんやあって、結局死ぬまで日本に戻れなかったというわけです。そんな彼が日本を懐かしむ歌が、百人一首に収められています」
天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも(※ 安倍仲麿)
※ 小倉百人一首での表記
キャロラインママがあとを引き継いだ。
「フェブラリーのゲスト、阿部一二三と阿部詩。一二三をイロハと置き換えたら『イロハ詩』・・つまり『いろはかるた』ね。百人一首の中に阿倍仲麻呂の歌があるんだから、彼らの役目はそれじゃないかと思うの。もうちょっと先まで読んでるんだけれど、あなたたちなら勝手にみつけちゃうでしょうね」
キャロラインママはそこまで言うと、左眼で数回ウインクした。バッサバッサという、鳥の羽ばたきのような音を残し、長身の男は店を出て行った。
■ 天智天皇
キャロラインママが店を出ていってすぐに、スナック忘れな草の常連たちは百人一首の解析を始めた。キャロラインママの挑発的な物言いに対し、メラメラと探求心が沸き起こったのだ。
<小倉百人一首 No.1-3>
1秋の田の 仮庵の庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ
天智天皇
2春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山
持統天皇
3あしひきの山どりの尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかもねむ
柿本人麻呂
「阿部一二三がいるんだから、まずは百人一首の1番、2番、3番よね」
ギョニ子が言った。悪くない推理だ。
「惜しいですね!」
真一郎が悔しそうに言った。
「阿部一二三と阿部詩は兄妹。それに対して、1番の天智天皇と2番の持統天皇は父娘の関係にあります」
「しんちゃん、それいいかもしれないわよ」
麗子ママが言った。
「天智天皇は『兄』を隠し持っているわ。別名、中大兄皇子よ」
「へえーー!ママさん、詳しいじゃねえか!」
タコ社長がびっくりした顔をして言った。麗子ママはWikipediaをググっただけだと苦笑いする。
数分後、今度はタコ社長がみんなを驚かせる番だった。
「百人一首の1番の出だし『秋の田の』。ここから秋田出身の騎手がいねえかなとググったら岩手競馬にひとりだけいたぜ!名前を聞いて驚くなよ、阿部英俊ってんだ!」
阿部英俊騎手
秋田県鹿角市出身
岩手県競馬組合
水沢競馬場 佐々木由則厩舎所属
おおという歓声があがった。柔道の阿部兄妹。百人一首の阿倍仲麻呂。そして、同じく百人一首の1番から示唆される阿部英俊騎手。漢字は一部違うが「あべ」姓がつながる。みんな、さっそく阿部英俊騎手について精査し始めた。マスターがすぐに、次の手がかりをみつけた。
「阿部英俊騎手で注目すべきはJRAにおける重賞騎乗でしょうね。3鞍ありますがすべてセイントリーフという牝馬で、馬券圏内はありません。ですが、フェアリーステークス出走歴があります」
2000/12/17
第17回 フェアリーステークス
1着:2-04 テンシノキセキ(江田照男)
2着:1-01 サクセストレイン
3着:6-12 タケイチイチホース
7着:3-05[地]セイントリーフ(阿部英俊)
「このレースに注目するのはどうしてでしょうか?」
真一郎が訊いた。同様の疑問を持った者が他にもいて、マスターへ視線が集中した。
「フェアリーステークスに対しフェブラリーステークス。まず、フェではじまりリーで終わるレースタイトルという共通点があります。面白いのは、今年すでに施行されたフェアリーステークスは区切りの第40回だったのに対し、今年のフェブラリーステークスは第41回・・・ところがです」
マスターはそこで間を置いた。
「阿部英俊騎手が騎乗したこの2000年のフェアリーステークスと、同年のフェブラリーステークスは同じ第17回なのです」
2000/2/20
第17回 フェブラリーステークス GⅠ
1着:7-14 ウイングアロー
2着:3-06 ゴールドティアラ
3着:1-01 ファストフレンド
2000/12/17
第17回 フェアリーステークス
1着:2-04 テンシノキセキ(江田照男)
「はあ?それってどういうこと?2000年が同じ第17回なら、今年も同じ第40回か第41回じゃないとおかしくない?」
ギョニ子が至極もっともなことを訊いた。みんなもそうだそうだと言っている。マスターが解説した。
「1回分ずれているのは、フェアリーステークスのほうに施行なしの年があるからです。2007年までは暮れの中山開催だったのが、2009年から真逆の1月中山開催になりました。2007年までは2歳牝馬限定戦だったのが、2009年からは3歳牝馬限定戦。休止された2008年も開催していたら、同年代の馬に対し同じ重賞を二度行うというおかしなことになりますから、一年ブランクがあるというわけです」
みんながなるほどと頷いた・・・タコ社長を除いては。タコ社長は施行回数のずれにまだ納得いかないようで、両手の指を使ってなにやら指折り数えている。挙句の果てに、ギョニ子と真一郎のところまでやってきて、おめえらの指も貸せと言い出した。
「まあまあ社長さん」
麗子ママがカウンターから回り込んできて、タコ社長をいつもの席に座らせた。
「とにかくフェアリーステークスとフェブラリーステークスは、現在は施行回数がずれているけど、2000年は同じ第17回だった。そこだけ納得してちょうだいね?」
お、おうと渋々納得したタコ社長を見て、マスターが説明を再開した。
■ ホクトベガ
「百人一首の1番から浮上する阿部英俊騎手を介し、示唆されたのが2000年のフェブラリーステークス。ここまではいいですね?」
みんなが頷いた。
「2000年のフェブラリーステークスをみてみると、『史上唯一』がふたつあります」
『史上唯一』は今年のJRA無料カレンダーのキャッチコピーだ。
「ひとつは、牝馬が連対した唯一の“GⅠ”フェブラリーステークスであること。もうひとつは、牝馬が2頭3着内に入った唯一の“GⅠ”フェブラリーステークスであること」
2000/2/20
第17回 フェブラリーステークス GⅠ
1着:7-14 ウイングアロー
2着:3-06 ゴールドティアラ(牝4)
※GⅠフェブラリーS 牝馬最高順位
3着:1-01 ファストフレンド(牝6)
マスターが「GⅠ」のところを強調したため、勘のいいギョニ子が質問をした。
「GⅠに限定しなければ、他の年にもあったってことね?」
マスターは満足そうに頷き、そのレースをみんなに示した。
1996/2/17
第13回フェブラリーステークス GⅡ
1着:3-05 ホクトベガ(牝6)
※ フェブラリーS 牝馬最後の勝利
2着:3-04 アイオーユー(牝4)
3着:7-13 スギノガイセンモン
「GⅠに限定しなければ、GⅡ時代に牝馬ホクトベガの優勝があります。奇しくもこの年は牝馬のワンツーであり、GⅠ昇格前の最後の施行でもありました」
「GⅡ最後のフェブラリーステークスが牝馬の優勝、かつ牝馬のワンツー。実に面白いですね!」
真一郎が身を乗り出して言った。
「GⅠに昇格したとたんレベルが上がったのか、それともホクトベガ級の牝馬参戦がないだけなのか・・・確か暮れのチャンピオンズカップのほうは牝馬の優勝がありましたよね?」
まるでその質問は想定内といわんばかりに、パソコンを操作していたマスターが即答した。
「ありますね。2015年のサンビスタ。鞍上はMデムーロ騎手でした。もっとも牝馬の優勝はこの年だけですが・・」
そこまで言ってからマスターは、自分用に入れてあったジントニックをグビリと一口飲んだ。そして言った。
「忘れてはならないのが、昨年のホープフルステークスで牝馬のレガレイラが優勝したということです。それによりざっくりとした解釈ではありますが、牝馬が勝っていないGⅠはフェブラリーステークスのみということになりました」
マスターが言うには、グレード制導入前の天皇賞(春)を勝った牝馬レダや、阪神3歳ステークスと同日施行時代の朝日杯3歳ステークスにおける牝馬勝利を制覇済みと捉えると、牝馬が優勝していない平地GⅠはフェブラリーステークスのみだという。
「なるほどなあ!今年、牝馬で登録しているのは・・と」
タコ社長がスマホを操作して言った。
「JRAではアルファマムとレディバグ。南関からは昨年6着のスピーディキック・・以上3頭だな?」
「そうなりますね」
マスターが言った。
「ただし、現状では実質1頭といっていいでしょう。アルファマムもレディバグも除外対象ですから」
<フェブラリーS 登録牝馬>
アルファマム(除外対象)
[地]スピーディキック
レディバグ(除外対象)
麗子ママが言った。
「GⅠフェブラリーステークスの牝馬による史上初の優勝が、地方馬によってなされる。そうなるとかなりのインパクトね」
みんながうんうんと頷いた。とりあえず日曜日の段階では、牝馬のスピーディキックに注目しようということになった。
■ アルファとオメガ
2024年2月12日(祝・月)午前10時
-東京都某区 真一郎の勤務する病院・言語療法室-
「いやあ、しかしみなさん面白い発想をしますなあ」
そう感嘆の声を漏らしたのは、真一郎がリハビリを担当する患者、田端さんだった。田端さんは60代後半になる男性患者で、呂律が回りにくくなる構音障害(こうおん=発音)のほか、記憶障害と注意障害などの高次脳機能障害があった。しかしいずれも軽度の部類であり、病院内のコミュニケーションや生活には大きな支障はなかった。
東京新聞杯の週にサイン競馬仲間であることがわかってから、田端さんとのリハビリの時間は、その週の重賞検討会になることが多々あった。今日も昨日のスナック忘れな草でのやり取りを教えてあげると、田端さんは目を輝かせて食いついてきた。
「中でも柔道の阿部一二三選手から、イロハという発想はなかなか出てきませんよ」
田端さんはそう言いながら、右手の人差し指で頭をトントンと軽く叩いた。
「先生には釈迦に説法でしょうが、アルファベットってありますよね?ABCDのアルファベットです」
真一郎は頷いた。
「あれはギリシャ文字のアルファとベータから来ているそうです。最初の二文字ですな。ですからイロハニホヘトでいうところのイロハとは同じと考えていいでしょう」
「へえー!アルファベットがアルファとベータだったなんて、初めて知りましたよ!」
真一郎は演技抜きで田端さんを持ち上げた。本当に知らなかったからだ。
「そうですか?なんでも言ってみるもんですね。褒められたついでにもうひとつ言うと、英語でAtoZといえば最初と最後の文字であることから、『まるごと全部』という意味になりますわな?」
真一郎は大きく頷いた。そして、次の瞬間目をカッと見開いた。AtoZというイディオムは知っていたので、驚いたのはそのことではない。フェブラリーステークスの登録馬に、「AtoZ」がいることにふと思い当たったからだ。
「田端さん、もしかしたらアルファマムとオメガギネスって?・・・」
田端さんはニヤリと笑って頷いた。
「さすがは先生です。アルファがギリシャ文字の一番目、オメガはギリシャ文字の最後ですな。つまりAとZですよ」
<フェブラリーステークス 除外対象馬>
(アルファ)マム(8,100万)
(オメガ)ギネス(8,000万)
※( )内は出走馬決定賞金額
「たまたまフェブラリーステークスの登録馬について載ってあるニュースを見ましてね。除外対象馬の上位2頭が並んでいたことから、アルファとオメガにピンと来たわけです。先生からスナック忘れな草での情報を聞く前に気づいてましたから、イロハの話を聞いてびっくりしましたよ」
今年のフェブラリーステークスの登録馬には、前哨戦を勝ったウィリアムバローズとエンペラーワケアの名前がなく、昨年覇者のレモンポップや、ドバイワールドカップ覇者ウシュバテソーロら強豪陣も名前を連ねていなかった。
そういった大混戦を見込んでなのか、ガイアフォースやシャンパンカラーといった芝重賞の実績馬が複数登録していた。そのあおりを受けたかたちとなる、アルファマムやオメガギネスら賞金順の除外対象上位馬たちは、出走圏内の馬から回避馬が出るのを心待ちしている。出走圏内の馬たちに回避馬が出た場合、まずはアルファマム、次にオメガギネスの順で出走可能となるのだ。
その後、田端さんと真一郎はコミュニケーションの訓練や注意機能の訓練を行い、予定していた時間を消化した。
■ モズアスコット
2024年2月12日(祝・月)午後7時
-東京都某区 スナック忘れな草-
真一郎がその日病院であった田端さんとのやり取りを報告すると、ギョニ子が感心したように言った。
「アルファとオメガなんて気づかなかったわ!」
マスターが続く。
「そのアルファマムですが、繰り上がりで出走圏内に入りましたね」
マスターが言うには、出走圏内だったシャマルが地方交流重賞のかきつばた記念に回ることが決まり、除外対象筆頭だった牝馬のアルファマムが出走可能となった。これで現時点での出走予定牝馬はスピーディキックとアルファマムの2頭。と同時に、除外対象の筆頭にはルメールを確保しているオメガギネスが浮上したという。
「もう一頭回避馬が出て、オメガギネス出走となれば要注意ね」
麗子ママが菜の花の辛し和えをみんなに配りながら言った。理由は、重賞インフォメーションの過去の優勝馬が、2020年のモズアスコットだったからだという。
「動画内でも語られているけど、モズアスコットといえば二刀流馬。芝GⅠ勝利の安田記念は、除外対象からの滑り込み出走だったわよね?」
「おお、あれな!回避馬が出ての滑り込みもそうだけど、確か安土城ステークスからの連闘だったよなあ」
タコ社長が記憶を手繰り寄せるように、斜め上方を見上げながら言った。
「鞍上もモズアスコット同様ルメちゃんだろ?出走が確実じゃない陣営が、ルメちゃんを確保しているときは要注意だぜ」
みんながなるほどと頷いた。
■ 天照大御神
モズアスコットの思い出話が終わったところで、マスターが新しい話題を持ち出した。岩手競馬の阿部英俊騎手が示唆する2000年のフェアリーステークスから、天照大御神が気になるという。
2000/12/17
第17回 フェアリーステークス
1着:2-04(テン)シノキセキ(江田照男)
7着:3-05[地]セイントリーフ(阿部英俊)
「天使の天に江田照男の照。このふたつで『天照(あまてらす)』になります」
コパノリッキーとカフェファラオ。2頭のフェブラリーステークス連覇馬。そして、回避した根岸ステークス勝ち馬のエンペラーワケア。「連覇」と「エンペラー」からの「秋天連覇馬」イクイノックス。
天皇がキーワードなら、天皇の祖先ともいえる「天照大御神(あまてらす おおみかみ)」もまた、キーワードになっていてもいいのではないか。マスターの見解はそういうことだった。
「そっかー。阿部一二三と阿部詩の兄妹から注目した百人一首の1番から3番。1番が天智天皇で2番が持統天皇。もっとさかのぼって初代天皇の神武天皇までいくと、神武天皇は天照大御神の子孫にあたるってわけね?」
ギョニ子が言うと、マスターは頷いて言った。
「まあそこらへんは諸説ありますがね・・・天照大御神が気になるのは、江田照男の秋天からもです。エンペラーワケア回避で天皇がキーワードなら、プレクラスニーの秋天も要チェックでしょう」
1991 第104回 天皇賞(秋)
1着:5-10 プレクラスニー(2位入線)
(江田照男・矢野照正)
18着:7-13 メジロマックイーン(1位入線・降着)
「あれはたまげたよなあ」
タコ社長が腕を組みながら言った。プレクラスニーが繰り上がりで優勝となった秋の天皇賞。メジロマックイーンはスタート直後の斜行により複数の他馬の進路を妨害したとして、18着に降着となったいわくつきのレースだ。真一郎が言った。
「プレクラスニーは江田照男に矢野照正。ともに『照』の字があります。天皇賞の『天』と合わせて『天照』ということでしょうか?」
マスターが頷いて言った。
「その通りです。メジロマックイーンは1位入線からまさかの18着へ降着。AからZへ・・・アルファからオメガへというわけです」
みんながなるほどと頷いた。タコ社長がぴしゃりと膝を叩いて言った。
「矢野照正といやあ、昨年の地方三冠馬ミックファイアに騎乗予定は同じ姓の矢野貴之じゃねえか!んでもってスピーディキックには御神本訓史だ!これってふたり合わせりゃ隠れ『天照大御神』になるだろ!」
[地]スピーディキック
(御神本訓史)→(御神)
[地]ミックファイア
(矢野)貴之→(矢野)(照)正
→天(照)大(御神)
みんながうんうんと頷いた。これ単独ではかなりのこじつけになるが、テンシノキセキと江田照男による『天照』や、阿部兄妹からの百人一首で天智天皇と持統天皇の父娘天皇が出てきた流れからは、さほど強引とは思えない。
「令和になり天皇誕生日という祝日が、12月23日から2月23日になりました。そのためフェブラリーステークスの近辺には常に天皇誕生日があるわけですが・・・」
マスターが言った。
「今年のフェブラリーステークスは、特に天皇賞とのリンクには注意が必要です。それは、ステップレース勝ち馬が不在だからです」
マスターが言うには、直近の天皇賞である昨年の秋天。そして今年のフェブラリーステークス。いずれもステップレース勝利馬が本番を回避しているという。
2023 オールカマー
ローシャムパーク
→天皇賞(秋)不出走
2023 毎日王冠
エルトンバローズ
→天皇賞(秋)不出走
2023 京都大賞典
プラダリア
→天皇賞(秋)不出走
2024 東海S
ウィリアムバローズ
→フェブラリーS 未登録
2024 根岸S
エンペラーワケア
→フェブラリーS 未登録
「それはよくわかったわ」
ギョニ子が言った。
「問題は、天皇賞(秋)から何かを使うのか・・・あるいは、天皇というキーワードのみが重要なのか・・ね?」
みんながうんうんと頷いた。その後10分ほど休憩を取ってから検討を再開したが、これといって新しい材料は出てこなかった。
■ 天の岩戸
2024年2月13日(火)午後1時
-東京都某区 ギョニ子が勤務する病棟-
ギョニ子は他病棟から連絡を受けて、渡り廊下からエレベーターまでの通り道沿いにある病室のドアを全部閉めた。あと数分で、ご臨終を迎えた患者を乗せたストレッチャーが目の前を通るのだ。
ギョニ子が勤務する病院では、建物の構造上、ある病棟で亡くなった患者を霊安室まで移送する際に、他の病棟の廊下を通らなければならない。しかし、顔に布をかぶせた患者が乗っているストレッチャーを、他の患者に見せるわけにはいかない。そこで、連絡を受けたあとの数分間は、通り道に面する病室のドアを閉じることになっている。
部屋から出てくる患者がいないか、ギョニ子が廊下に立って監視を続けていると、目の前である中年女性看護師が歩行中派手に転倒した。昭和のギャグ漫画のような転び方であった。昼食時間の直後でお茶でもこぼれていたのだろうか。大丈夫ですかと駆け寄ったギョニ子だったが、転倒したはずみでその看護師のズボンのお尻のあたりが破れているのを見て、つい大声で笑ってしまった。
自分でもズボンを確認し、真っ赤になって更衣室へと駆け出したその看護師を見送っていると、目の前の病室のドアが開き、ひとりの高齢女性患者が顔を出した。渡り廊下を見ると、今まさに遺体を乗せたストレッチャーがこちらへ向かってくるところだった。ギョニ子があわてて患者を病室の中へと押し戻し、事なきを得た。
30分後、その病室のバイタルチェックでギョニ子が訪れると、先ほど廊下に出ようとしていた患者が声を掛けてきた。80代前半の女性だ。
「さっきはごめんなさいね。仏さまがお通りになるからドアを閉めていたんでしょ?でもね、なんだか楽しそうな笑い声が聞こえたものだから、つい開けてしまったの」
そう詫びる患者に対し、ギョニ子はペコリと頭を下げて言った。
「いえいえ、お詫びしないといけないのはこちらです。あんな豪快な笑い声が廊下から聞こえてきたら、気になって覗きたくなりますよね」
「そうなのよ。『天の岩戸』みたいな話ね」
「『天の岩戸』?」
ギョニ子は気になって尋ねてみた。岩戸といえば、JRAに岩戸孝樹厩舎がいるではないか。
「あらごめんなさい。私の家は代々神道なのよ・・・看護婦さんは日本神話とか古事記なんて興味がないわよね?」
「いえいえ、とても興味があります。どうぞ教えてください」
ギョニ子のその言葉を聞いて、患者はうれしそうに語り始めた。『天の岩戸』とは、洞窟の中に隠れてしまった天照大御神を引っ張り出すために、神さまたちが洞窟の外で騒いだ逸話だという。
宴会のようなにぎやかな様子をいったい何事かと思った天照大御神が扉を少し開けると、「あなたよりも美しい神さまがいますよ」と鏡を見せられた。自分の姿だと思わなかった天照大御神が、その姿をよく見ようと体をさらに扉から出すと、外に引っ張り出されたという。
そのあとも患者の話は続いていたが、ギョニ子の耳にはもう入っていなかった。患者の失礼にならないように、キリのいいところで話を終わらせその場を辞した。
■ 三種の神器と養蚕
2024年2月13日(火)午後6時半
-東京都某区 スナック忘れな草-
真一郎が最後に来店し、スナック忘れな草にはいつもの常連たちが揃った。とっておきの話があるからと、小鼻をふくらませてみんなが揃うのを待っていたギョニ子は、真一郎に生ビールが届いたのを確認すると、コホンとひとつ咳払いをしてから話を始めた。
「やっぱり今年のフェブラリーステークスは、昨年の秋天と深いつながりがありそうよ」
真夏に怪談噺でも始めるかのような雰囲気で、ギョニ子はゆっくりと語りだした。
「昨年のフェブラリーステークス勝ち馬レモンポップ。そして、直近の秋天連覇馬イクイノックス。3つのレースの馬番を見てみて」
2023 フェブラリーS
4-(07)レモンポップ
2022 天皇賞(秋)
4-(07)イクイノックス
2023 天皇賞(秋)
6-(07)イクイノックス
はあという軽いため息のような声があがった。
「みんな7番よね?この3つのレースを束ねるのが、キャロラインママが持ち出した阿倍仲麻呂なのよ」
第7首
天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも(※ 安倍仲麿)
※ 小倉百人一首での表記
「阿倍仲麻呂の歌は7番だったんだ!」
真一郎が叫んだ。ギョニ子は真一郎のほうをみて頷いてから、話を続けた。
「やっと順番が回って来たかというときに、ことごとく何かが起こり日本に帰れなかった阿倍仲麻呂。その彼が唐で、故郷のある日本のことを歌った短歌・・・ついてないわ・・・昨年のフェブラリーステークスで、やはりついてない男がいたわよね?」
「ギルデッドミラーの三浦皇成だな!」
タコ社長がポンと手を叩いて言った。ギョニ子はご名答とばかりに魚肉ソーセージでタコ社長を指し、持論を続ける。
「勝負にタラレバはないんだけれど、ギルデッドミラーがもし引退せず出走していたら、三浦皇成のGⅠ初勝利があったかもしれないわよね?」
みんながうんうんと頷いた。
「昨年のフェブラリーステークスの勝ち馬をギルデッドミラーと仮定すると、やはり秋天連覇馬イクイノックスとつながるのよ。それも思わぬかたちで」
ギルデッドミラー → 鏡
イクイノックス → 岩戸
※新馬戦は岩戸孝樹厩舎
みんながきょとんとしている中、マスターだけはすでに理解したようで、目の前で音を立てずに拍手をする仕草をした。
ギョニ子は、今日女性患者から教わった「天の岩戸伝説」についてみんなに説明した。天照大御神を岩の洞窟「岩戸」から引っ張り出すことに使用されたのが「鏡」であること。それゆえに、三種の神器には鏡が含まれていること。
「今日子ちゃん、よくみつけてくれたわね」
麗子ママが拍手をしながら言った。みんなもすごいすごいと賛辞を送っている。
「ギルデッドミラーとイクイノックスが、どちらもシルクというのも隠し味ね。シルクといえば蚕。養蚕ね。皇后陛下は昭憲皇太后が始めた、宮中での養蚕を引き継いでいるの」
みんながなるほどと頷いた。
■ いずれ菖蒲か杜若
10分ほど休憩を取っているときに、真一郎はオメガギネスも出走できるというニュースを見つけていた。検討会が再開してすぐに、みんなに知らせる。
「サンライズホークがかきつばた記念に回ることになり、除外対象馬で賞金額が筆頭だったオメガギネスが滑り込みで出走となるようです」
「いずれ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)・・・か。昨日のシャマルもかきつばた記念じゃなかったかい?」
タコ社長の問いに、マスターが答えた。
「そうでしたね。シャマルとサンライズホーク。いずれもかきつばた記念へ回ることになり、アルファマムとオメガギネス・・・つまりアルファとオメガ、AとZが出走できるようになったわけです」
マスターはそう言って、パソコンを素早く操作しだした。
「『かきつばた』にまつわる、ある短歌を思い出しました」
から衣
きつつなれにし
つましあれば
はるばる来ぬる
たびをしぞ思う
(在原業平)
「これは折句という手法が用いられた歌で、五七五七七の頭の5文字をつなげて読むと『かきつばた』になっています」
「へえー!これって最近ではテレビ欄でたまに使われる手法よね?」
ギョニ子が言った。タコ社長が続く。
「アッキーナだかユッキーナだか忘れたけどよう、不倫相手にラブレターみたいのをそのやり方で送ったってのがあったなあ?」
マスターはその話題は広げずに、本題を続けた。
「この『かきつばた』を詠んだ在原業平。百人一首にも歌が収められています。社長さん、ちはやぶると言えば・・」
「おお!あれだな!ちはやぶる 神代もきかず竜田川 からくれないに 水くくるとは」
「あら!短歌もいけるのね?」
ギョニ子が褒めると、タコ社長は鼻の下を指でこすりながら言った。
「短歌っつうか落語な!『千早ぶる』っつう落語があるんでい」
脱線しそうになるのを、再びマスターが本題に戻した。
「この在原業平を含めた6名を、六歌仙と呼ぶことがあるようです」
<六歌仙>
僧正遍昭、在原業平、文屋康秀
喜撰法師、小野小町、大伴黒主
「ところがです」
マスターはぐるりとみんなを見渡してから言った。
「これら六歌仙よりも上とされている歌人が、『歌聖(うたひじり)』とも呼ばれていたというふたり、柿本人麻呂と山部赤人なのです」
「はあ・・・柿本人麻呂と山部赤人・・・なんか教科書とかで見たことあるような?」
自信なさげにつぶやいた真一郎の左肩を、ギョニ子が力強く叩いた。
「ちょっとしんちゃん!しっかりして!山部赤人はともかく、柿本人麻呂は今週出てきたばっかりじゃない!百人一首の3番よ!」
3番 あしひきの山どりの尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかもねむ
柿本人麻呂
「ああ、そうか!」
真一郎がパンパンと手を強く叩きながら言った。そのとき、麗子ママが珍しく大きな声で言った。
「ちょ、ちょっと待って!アルファとオメガ、AとZ・・つまり最初と最後という話題があったわよね?」
みんながうんうんと頷いた。
「この柿本人麻呂の短歌、最初と最後の文字をみてみて。『あ』と『む』になっているわ!」
(あ)しひきの山どりの尾のしだり尾の
ながながし夜をひとりかもね(む)
「それがどうしたんだい?」
話が見えないタコ社長が訊いた。
「アルファマムよ!除外対象から最初に出走可能へ滑り込んだ馬。柿本人麻呂の歌と同じく、最初が『あ』で最後が『む』じゃない?」
(ア)ルファマ(ム)
おおという歓声が店内に響いた。マスターがまとめる。
「アルファマム・・・これは面白くなってきましたよ。ドバイで散ったアルファ星が、27年振りに府中で輝くのかもしれません」
「ドバイで散ったアルファ星?」
ギョニ子が声を上ずらせながら言った。
「も、もしかしたら、最後にフェブラリーステークスを勝った牝馬、ホクトベガのこと!?」
マスターが大きく頷き、みんながおおという歓声を挙げた。ホクトベガのベガは、こと座で最も輝いているアルファ(α)星だ。1996年に、GⅡ時代最後の年のフェブラリーステークスを制したホクトベガ。牝馬として同レースを制した最後の馬でもある。
翌1997年、彼女はドバイの地で星となった。あれから27年。アルファマムという新たなアルファ星が、府中の観客をあっと言わせるのだろうか。
スナック忘れな草 注目馬
アルファマム