アナトール・リトヴァク監督『さよならをもう一度』からバーグマンの『春の雨の中を』そして再び『想い出』
一度気になると、どうしても観たくなる。それが映画の不思議なところで、最新映画よりも優先順位が高くなる、そんな経験をしたことがある方は映画ファンには多いと思います。
復刻シネマライブラリーの仕事をしていた頃、埋もれた50~60年代の名作映画の調べものをしていますと、わたしの浅い知識の外にあった、映画のあらすじやスタッフの情報に出くわすと、無性に見たくなってしまい、売れるかどうかのマーケティング根拠もないまま、「権利売りに出てないかな」「海外でブルーレイ発売済でHDマスターまで出てないかな」と、買う気満々で調べたものでした。
アナトール・リトヴァク監督はなぜかそう思わせる一人で、最初の頃にフランソワーズ・サガンの『ブラームスはお好き』を映画化した『さよならをもう一度』をリリースしました。この時はまだリトヴァク監督の名前はわたしの頭にインプットされていませんでした。ところが『旅』をリリースしたときに衝撃が走りました。
「こんなに優れた構成と人間描写で緻密な演出ができるアナトール・リトヴァクという人はいったいどんな人なのだろう」
わたしは人物描写という点では、この仕事をやり始めてからというもの、若いころは避けて通っていた、エリア・カザンやヴィンセント・ミネリ、あるいはヨーロッパのヴァレリオ・ズルリーニや、ピエトロ・ジェルミらの作品を貪るように鑑賞しました。
いや、それにしてもリトヴァクという人は凄い手腕ですね。ロバート・ワイズやジョン・スタージェスのような職人の匂いはなく、「作家」に近い感じがします。(だからと言って今挙げた二人を貶しているわけではありません。この二人は復刻シネマライブラリーの看板監督で、わたしは未発売作品をコンプリートしようとしたくらいです)
ウクライナ出身ということは関係ないのかもしれませんが、絵の端々にエンターテイメントと芸術の混じり合ったニュアンスを感じます。このニュアンスは、たとえば『旅』でのユル・ブリンナーとデボラ・カー、二人の目線の演技のつけ方とか、『さよならをもう一度』のアンソニー・パーキンスの陰と陽の演技のつけ方とか。『さよならをもう一度』なんて、イブ・モンタン+三角関係というだけでクロード・ルルーシュにやらせてもいいような材料ですが、リトヴァク監督がやると下世話にならない。何かが違うんですよね。
で、リトヴァク監督から少し離れるのですが、バーグマンで思い出したのがアンソニー・クインと共演した『春の雨の中で』。
あらすじを振り返ってみましょう。
大学教授の夫メレディス(フリッツ・ウェーバー)と妻のリビー(イングリッド・バーグマン)は、冬の休暇を利用して山荘へやってきた。メレディスはここで1年滞在し、大学から依頼されたテキストを執筆する計画だった。
管理人のウィル(アンソニー・クイン)は何かと手を焼いてくれた。ウィルにはアニーという妻と息子がおり、お互いに家庭のある身だった。だが退屈しのぎにとウィルがリビーに2頭の子ヤギをプレゼントしたことをきっかけに、リビーとウィルは距離を縮めていく。
やがて春を迎えたうららかな日に、ウィルはリビーを散歩に誘い、さらりと「君を愛している」と告白した。戸惑うリビーに「もちろん君が旦那さんを愛していることは分かっている。だが、君のことを想うだけで幸せな気分になれるんだ。それで君が傷つくかな」と言うウィル。思わずウィルの肩に顔を寄せたリビーだったが、その姿をウィルと険悪な関係にあるひとり息子が見てしまう。
不倫ものに分類されると思うのですが『マディソン郡の橋』のような、なんとも清らかなしっとりした大人の映画の印象です。クインとバーグマンは同い年で、当時54歳。本作の5年前には、真逆の愛憎もの『訪れ』でも共演しています。
『春の雨の中を』はバーグマンもいいんですが、山荘の管理人役のクインが実にいいです。控えめな演技とよく言いますが、バーグマンには積極的に恋愛感情を出しますから、コントロールされたプロの演技とでもいいましょうか。
本作は終盤に衝撃的な事件が起こって、その後二人の物語は終焉を迎えます。鑑賞後、この二人はそれぞれこのひとときのことをどう思い出すのだろうか、そんな余韻に浸る作品でした。
そして思い出すといえば先日、リトヴァク監督の『想い出』をついに鑑賞することができました。(litvak74さん、ありがとうございました!)
やはりコンテンツとしては海賊版で、オープニングのクレジットである部分に黒いエフェクトをかけて見えなくする処理がされていました。
ここには何がクレジットされていたのでしょうか?おそらく、ここにあったのは、左側に「アメリカ労働同盟・産業別組合会議(American Federation of Labor and Congress of Industrial Organizations)」、右側には「アメリカ映画協会(Motion Picture Association of America、MPAA)」のロゴマークです。こちらをご覧ください。『ローマの休日』のクレジットの同じ位置にはこの2つが並んでいます。
いま日本で流通しているワンコインDVDの『シェーン』なんかは、オープニングのパラマウントのロゴを同じように消して、いきなり馬に乗ったアラン・ラッドの後ろ姿と『SHANE』のタイトルから本編が始まるものがあります。
これら共通して「この、スタジオ・組合のロゴが入ってないからこれは別物、万が一裁判になっても大丈夫」ということなのかわかりませんが、わたしは映画鑑賞の雰囲気を壊してしまうので、やめてほしいですね。もうみんなわかっているんだから、あえてそのリスクを取って、堂々とロゴ入りでやってほしいところです。
さて、『想い出』ですが、意外にわたしが想像としていた「甘く切ない雰囲気」から程遠く、かなりドライで、この戦時下の人々の生きづらさ、無力さを、ストーリーの恋愛的要素よりも感じ取りました。ダニー・ロパンが気の毒で気の毒で、「薄幸のヒロイン」というものが、古くは『散りゆく花』のリリアン・ギッシュに始まり、大好物なものですから大いに堪能しました。
冒頭に老夫婦が旅先のパリで、カーク・ダグラスを見つけることから始まり(だが誰だったか思い出せない)、結末で再びこの老人がダグラスに近づいて、かつて自分が司令官で、若き日のダグラスは部下だったことを思いだす、このブックエンド式の構成が素晴らしく、ダグラスの苦々しい気持ちがよく伝わりました。見事です。
やはりこの時代のドラマは素晴らしいですね。