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人の魂は記憶のなかで生き続ける

書店をめぐっていたら、『ある行旅死亡人の物語』(共同通信大阪社会部:武田惇志・伊藤亜衣/毎日新聞出版)に目が止まった。ネットで記事が話題になり、読んだ記憶があったことと、どこかの書評で目にして気になっていた本だった。

「行旅死亡人(こうりょしぼうにん)」とは法律用語で、病気や行き倒れ、自殺等で亡くなり、名前や住所などの身元が判明せず、引き取り人不明の死者を表す。共同通信大阪社会部記者の一人、武田記者がネタ探しをするなかで、「行旅死亡人データベース」にアクセスしたことが、物語の発端だ。

そのサイトには、市町村別の死亡人数や市町村の人口に対するランキングがあり、武田記者は「行旅死亡人の所持金ランキング」で1位になっていた女性に目が止まった。兵庫県尼崎市で亡くなった、その女性は約3400万円もの所持金を持っていたからだ。

本書は、この75歳くらいの女性が老後を過ごすのに十分な大金を持っていたにもかかわらず、なぜ安アパートの一室で一人、突然死することになったのか、なぜ近隣や大家ともほとんど接触をすることがなかったのか、なぜ部屋の戸締まりを強固にしていたのか、家族はいなかったのか、出身地はどこなのか、謎ばかりの亡くなるまでの足跡を追っている。

身元がわかるまで続く武田記者と伊藤記者の粘り強い取材と調査の過程は、ミステリー小説を読むような展開が続き、スリリングだ。そして、珍しい名字から身元がわかってからは、謎が解き明かされなかった部分も多々あるのだが、一人の女性が生きてきた証を追体験することになり、死を悼む気持ちがわき上がってくる。

人の生は、周囲の記憶によって支えられている部分も大きい。たとえ看取られることなく、一人で亡くなったとしても、誰かの記憶のなかで生きていることもある。

私は読みながら、東日本大震災で家族や友人を亡くした方たちの話を思い出していた。人の死は、肉体に宿る命の輝きがこの世から消えたときに決まるとは限らない。共に過ごした時間を大切に思う誰かの心のなかで、その魂は生き続ける。

『ある行旅死亡人の物語』の主人公である亡くなった女性も、子ども時代を共に過ごした女性の記憶のなかで生き続けていた。そして、その生きた証を通して、1990年生まれの、亡くなった女性からすれば、孫と言ってもいい世代の若い記者たちが丹念に追い続けたことで、人と人とを思いがけず、結びつけることにもなった。

人は生きている間、死の恐怖から逃れられない。けれど、肉体の死とは違う形の死があることを知ると、今、生きている時間が愛おしく思えてくる。


仕事に関するもの、仕事に関係ないものあれこれ思いついたことを書いています。フリーランスとして働く厳しさが増すなかでの悩みも。毎日の積み重ねと言うけれど、積み重ねより継続することの大切さとすぐに忘れる自分のポンコツっぷりを痛感する日々です。