味が邪魔になる

 砂漠の中で水筒が空になるように、この猛暑の中、僕の食欲はすっかり空っぽになってしまった。逆さにして振っても一滴も出てこない。

 それでも、生きるためには何かを食べないといけないので、スーパーのお惣菜売り場に行って、半額シールが貼られてしまった孤独なお弁当たちを家に連れて帰った。寂しいのは君たちだけじゃない、と僕はお弁当に話しかけた。人気者になれなくったっていいじゃないか。自分が正しいと思うことをやり通せばいいんだ。ほら、僕だって、こうして僕なりのフード・ロス削減運動をしている。立派にSDGsしてるじゃないか。

 でもその夜、あまりにもそのお弁当の(特に揚げ物の)味が濃くて、気分が悪くなって吐いてしまった。お弁当の中身は僕の消化管を通過することなく下水の中に消えていった。無念だ。

 その日から、妙に味の濃さに敏感になってしまった。何を食べても味が濃くて嫌になる。ゼリーを食べると甘すぎるし、ラーメンなんて、みるだけで気分が悪くなる。カツ丼も、ショートケーキも、味の濃いものが視界に入るたびに「オエっ」て感じになる。

 ひどい時にはプレーンの食パンを齧っただけで、イースト菌の風味に吐き気がした。これはあまりいい兆候ではない。

 それから味のしないものを買って飲み食いする生活に入った。水で洗っただけのキュウリやレタス、キャベツなんかをそのまま齧り、水を飲む。肉は食べない。タンパク質は豆から摂取する。炭水化物はお粥から。

 ふと、この世界には味の濃いものばかりがありふれているように思えて、そんなことにちょっとばかし絶望する。今、僕は誰かと外食することなんてできないだろう。いや、もしかしたら、一生このまま葉っぱを齧り、豆乳を飲み、お粥をすするだけの人生になるのかもしれない。

 味が邪魔になる。どうしてこう、味がいっぱい溢れているんだろう?どう考えたって、健康を害するレベルに味付けが濃い世界だ。テレビドラマやアニメも同じだ。(あぁ、発想が飛躍する……)どうしてこう、キャラクターの味付けが濃いんだろう?気分が悪くなる、、、

 話が流れた。

 まずいのは、食欲がないことだ。もう何日も、空腹を感じていない。最後に「おいしい」と感じたのはいつの日のことだろう?

 僕はきゅうりをポリポリと齧りながら、「これはおいしいのか?」と自問する。ふと、窓ガラスに映る自分が目に入るが、とてもおいしそうな顔をしてはいない。

 なにせ、お腹が空いていないんだ、と窓ガラスの奥の僕が言う。欲望が満たされる時、僕らは喜びを感じるものだ。そもそも、その欲望がなければ、喜びなんて生じない。ものは美味しくないし、女の子は魅力的じゃない。朝寝坊は気持ち良くないし、高台からの眺めは爽快じゃない。

「欲望を欲望する、ってのはどうだろう?」と僕は窓ガラスの向こうにいる僕に提案してみたのだが、彼は馬鹿にするような目で僕を見だけだった。それはそうだ。そんなことは分かっている。欲望を欲望するなんて、実に馬鹿げている。

 きゅうりを一本、齧り終わる。スイカを一口齧り、その甘さに気分が悪くなって食べるのを止める。ウリ科のものばっか食べてるんじゃないよ、と窓ガラスの向こうの僕にツッコミを入れ、それからキャベツの葉を三枚剥がして、水で洗って齧る。豆乳を一気に飲み干す。片栗粉を溶かしたお湯をちびちびと飲み、少し迷ってからもう一枚、キャベツの葉を剥がす。1日の摂取カロリー目標が、それこそ夏休みの宿題みたいに重たく脳裏にのし掛かっている。最低でも1日1000カロリーは取っておかないと生命を維持できない。あぁ、まだまだ届かない、、、

 ただ、基礎代謝が落ちていることの効能なのかもしれないが、不思議と部屋を涼しく感じる。冷房も必要ない。

 こうして僕はガンジーになった、と窓ガラスの向こうにいる僕に言ってみる。そこにいる僕が、ニヤリと笑う。

 やっぱり最近、どうかしてるぞ、マーロウ。

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