スマホの機種変と性格の歪み
僕の使っているスマホは京セラのINFOBAR A03——2015年発売。現在サポートのみ——である。
僕はもう、かれこれ七年もこのスマホを使い続けている。LINEも含め、ほとんどのアプリはもう動かない。電池はすぐに切れるし、所々にひび割れが入っている。
それでも僕がこのスマホを使い続けているのは、一重に、それがまだ「ケータイ」として使えるからだろうと思う。いまだに電話はできるし、テザリングの基地にもなる。風が強い時には文鎮としても使える。
あるいは、ただ、放っておけば無制限に増えていく人間関係を、入り口のところで制限するための手段なのかもしれない。「LINE交換しよう」「あ、ごめん、僕のスマホね、LINE動かない」
もしくは単に機種変がめんどくさい?笑
とまぁ、いろいろな理由が絡みああっているけれど、たぶん、以下のようなことが主な原因なんじゃないかと思う。
僕が馴染めないのは、「まだ使える」のに、「使うつもりのない機能がどっさり」の、新しいスマホに乗り換える、という価値観だろうと思う。プロの写真家でもないのに、カメラが三つもついたタピオカ・ボードみたいなのを、高い金を払って(機種代0円に騙されている人はおおい。もちろん、あの手のこの手の複雑怪奇なマジックによって、あなたの財布からはたくさんのお金が吸い取られている)、買い換える、という考えに、どうしても馴染めないのである。そのような方法をとる中で、幸せというものに向かって、少しでも進んでいくことができる、という感じがしない。
とかなんとか述べているけれど、だからと言って、7年も前のオンボロ機種を使い続けているという不便に甘んじることが、幸せに繋がるわけはないので、やっぱり、このあたりに僕の性格的な歪みが出ているのだろうと思う。
僕の性格は、やっぱり歪んでいる。過去に囚われているせいなのかもしれない。過去に囚われた結果として被る不便のなかで、「苦しい」とか「寂しい」なんて言っているのは馬鹿みたいだ、というか馬鹿だ。
それでも僕は、この七年前のスマホが完全に動かなくなってしまうまで、不便な生活に甘んじるだろうと思う。僕と君とは、もう結構長いこと一緒にやってきたし、行けるところまで行こうじゃないか、と思う。新しい機種が欲しい?——いらない。乗り換えたほうが、あなたの幸せになる?——そうだとしても、僕は君を見捨てない。
それが、僕の過去への囚われ方のようだ。