眠れない夜の文章2
最近、やっぱり何かがおかしい。眠たい感じがするのに、寝付くことができない。不思議なことに、居眠りや昼寝すらもうまく行かない。
かつて、酷く憂鬱な気分に苛まれていた日々のことを思い出す。あの頃は泥沼の中を這いずり回るようにして生きていた。すべてが死に絶えた沼の底で、闇雲にもがき続ける四肢欠損児だった。
その時期、僕は夜の時間のほとんどをまぶたの裏の模様を見ることに費やした。その青白い揺らめきは、見ているうちにいくつかの像を結び、次の瞬間には解けていった。像が特定の形を取るようになった時、カーテンの隙間から朝の青白い光が伸びていた。
なぜ、死にたいという気分になるのかは分からない。もちろん、きっかけ(至近要因)なら簡単に分かる。でも、その根本的な原因(究極要因)は、よく分からない。それは、長い年月をかけて僕の中に蓄積されてきた妙な傾向性だ。
死にたい、という気持ちを、僕はこうして外に出すことにする。そうすることができているうちはまだ安心できるからだ。本当に死にたくなった時、人は、誰にも何も言わずに死んでしまう。周りに対して(それが、こうした匿名のベールに包まれた場であれ)「死にたい」と吐露するということは、やはり心の奥底では「生きたい」と思っているということなのだ。
問題は、どうして「生きたい」という気持ちが、「死にたい」という言葉になって外に出てきてしまうのか、ということだ。
僕は、君に理解されたかった。そして、僕もまた、君を理解したかった。でも、君の方が先に、そうした試みを諦めてしまった。
それでも、やっぱり僕は君に理解されたかった。他の誰でもなく、君と分かり合いたかった。もし、君が僕のことを解ってくれるなら、君を除く世界の全てに誤解されても構わないと本気で思っていた。早い話が、僕は、君のためになら死ぬことができたし、生きることだってできただろうと思う。
どうしても、君でなくてはならなかった。
僕の心の奥底には、小さな蝋燭があって、そこに火が灯っている。
ほんのわずかな空気の揺らぎだけで、今にも消えてしまいそうな小さな火だ。
それが、僕の「生きたい」という気持ちだ。それを、僕は絶やさないように努めないといけない。
だが、それは何のため?
いや、目的なんて気にする余裕はない。