二種類の学歴

 巷で「学歴」と呼ばれている指標には、二つのものが入り混じっている気がする。

一つ目は修了課程を示したもの。

中卒・高卒・大卒・院卒・〇〇の博士号、、、などなど。こちらについては、経済的な事情が許すのであれば、確実に”大卒”までは行った方がいいと思う。

二つ目は偏差値序列を示したもの。

Fラン、大東亜、マーチ、早慶、京大、東大、、、などなど。

 僕が大嫌いなのは後者の「偏差値序列」だ。これについて、悪口を書く。

 これは、はっきりって、日本の受験業界が自分たちの”飯のタネ”のために作り上げた下らない幻想だと思う。

「今どき学歴はSNSに一生残るものだから」

とか、

「なんで私が東大に!?」

とかなんとか、

 そんな頭の悪そうなキャッチコピーを掲げていたのがどこの予備校だったか忘れちゃったし、興味もないけれど、こうしたコピーに心を動かされてしまうお受験ママさんやパパさんは自分の頭の空っぽさを少しは内省して恥じた方がいいと思う。そのために、あなたの大事なお子さんを食い物にされてしまうかもしれませんよ。

 諸説あるけれど、やっぱり、受験勉強はくだらないと思う。そんなことをする暇があったら、もっと自分の興味・関心を惹くものを、とことん極めた方がいいと思う。そういうのが特にない人だけ、仕方なく暇つぶしに受験勉強をやればいいと思う。まだまだ東大だとかなんとか、そういった学歴は威力を持つだろうから。ちなみに、最も威力を発揮するのは就活の際の”学歴フィルター”。それから学閥による組織内政治。

 それでも、こうした幻想は、次第に効力を失っていくだろうと思う。これは、「偏差値序列的な学歴なんて、ただこけおどしに過ぎない」と人々が気づくからではない。様々な幻想——飯のタネとして、大勢の人たちが汗水垂らして日々作り出している——が群雄割拠している現代、こうした偏差値序列的な幻想も、それらの中で相対的に縮小されていくからだ。(僕の個人的な未来予想である)

 まぁ、でも、偏差値序列ほど手のこんだ(そして、人々の不安にダイレクトに直結する)幻想は、作り出すことが難しいだろう。”子供”というものが絡むと、親は冷静さを失ってしまいがちなもの。

 そこに漬け込んでいる教育者は——意図してやっている者は特に!——おまんま食い上げになってしまえばいいと思う。そうした序列のために、あなたの青春がすっかり冷え上がってしまったことには同情するけれど、同じような人たちを再生産して飯のタネにすることには賛同できない。僕は、そういう「教育者」が大嫌いである。

 じゃあ僕に何ができるか?、というと、特にできることがない。塾講師のアルバイトをするの中で、その無力感に苦しんだ。課金者(親)と、サービス受者(子)のズレだ。どうしても親は、偏差値を上げてほしいと願って金を払っているし、それよりも重要なことがあるんじゃないか、と(特に一介のアルバイトが)言おうものなら”ナマイキ”であり、”余計なお世話”であり、親はさっさと他の塾を探すだけだ。


 だから、せめて、僕は楽に勉強ができるように手助けをするしかなかった。今まで80点を取っている子がいたら、もっと楽に勉強ができるように手段を効率化する。その後、楽して80点を取り続け、余力を”やりたいこと”に注ぎ込むか、あるいは今と同じ頑張りで90点を目指すのかは本人が選べばいい。

 しかし、大抵の場合、子供は同じ頑張りで90点を取ることを選ぶ。そうすることで少しでも親や、先生や、周囲の友人たちに承認されることを望む。

 それを見ていると、僕は本当に苦しくなる。昔の僕の在り方そのものだからだ。その方向に進んでも——その結果、東大に受かったって——幸せになれたりはしなかった。

「君が本当に欲しているのは」と僕は心の中で思う。

「偏差値みたいな属性値に関わらず、ただ、あなたの存在そのものを受け入れてくれる他者なんじゃないか」

 でも、そのことは口に出して言わないし、言ってはならない。

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