『1995』 平井堅
ついでに邦楽で好きなものについて書く。
このPVを見たSくん(友達)が「意味が分からない」と言っていたので、解釈を書いてみようと思った。例によって、僕にとってはかなり「当たり前」の解釈なのだけれど、、、
このPVの物語は「影との邂逅」に分類できると思う。「影」とは、「現在の自分と正反対の方向に自己実現していった存在」のこと。
例えば、このPVの中では、平井堅は「才能があって、リッチで、人気者のアーティスト」である。
平井堅の頭部を抱えたおじさんは、その正反対。
「特に才能もなく、貧乏で、孤独な一般人」
ちなみに、平井堅を長く追っている僕が見ると、冒頭のシーンはピンと来るものだった。平井堅はよく「胸の前で抱えたボール」というモチーフを出す。それは、心の象徴だと思う。
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世界を映す鏡としての心を持ってくる。それを最後に女の子にあげようとするのがキュート。
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さて、話が逸れたけれど、『1995』では、抽象的な形——球体——であった心が、かなり具体的な形——平井堅の頭部——をとる。
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このおじさんは、常に、自分の抱えた心——不気味なほど平井堅に似た形をしている。(ちなみに、3Dプリンターで作ったらしい笑)——を楽しませようとする。お肉ひとつ買うのにも、顔色を伺う。一緒にご飯を食べ、風呂に入り、絵本を読み聞かせてやったりもする。これは、自分の心を満足させようと頑張る孤独な現代人、といった感じがして、とにかく痛々しい。
システムの中でポツンと浮いた個人が浮かび上がってくる。舞台がスーパーマーケットというのがいい。あの場所では、このおじさんのような人は一人になる。会話は最小限に留められる。彼の生活空間は、巨大な自動販売機のように無人で完結している。(それなりに楽しいのか? それとも、やりきれなくて、酔っ払って、無茶しているのか?)
最終的に、彼は、屋上に立つ。
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これから、彼は飛び降りるのだろう、と僕は思った。そしてあの世へ行き、そこで平井堅に邂逅する。
それが、最初に見たときの解釈。二回、三回と見るに従い、彼はさて、飛び降りたのだろうか? と考えるようになった。みんなはどう思うのだろう?