晩夏の終わりに

 脚の一本を無くした虫は何を思う。

 大雨時行たいうときどきにふる銀竹ぎんちくの立つ夕方のこと。ある青年は見つけた。それはオニヤンマの亡骸であった。青年はそれを拾うと大切そうに手のひらに乗せ、見つめていた。いろんな所を飛び回ったオニヤンマなのだろう。脚が一本欠けていた。青年はふと思う。この虫は生きていた間に何を思っていたのだろうか。しかし、すぐに思い返す。虫が思考することは無かろうと。ただ、虫は自分が心地良く感じる場所を求めて動いているのだろう。このおにもそうだったに違いない。篠突しのつく雨の中にオニヤンマの亡骸をそっと戻し、帰路についた。

 家へ帰ると青年は、取ってきた花を、水を入れた花瓶にさした。
 もう終わったんだ。もう、何もかも。
 橙色の花びらがいつか見た髪飾りのように思えた。
 古い言われからすれば、その花を身につけることが正しいようであるが、青年は身につけずにいた。青年は自分の女々しさを低く評価して、自分自身に対してせせら笑いをした。
 こんな男を芯から好きになる人などいないだろう。古い言われを信じ、花を探した男だ。ロマンチストと言われて仕方がない、女々しい男だ。ほら、今に見ろ、この男は花瓶にさした花を相手に、とても綺麗だねと話しかけるぞ!などと、一人心の中で毒づいた。
 ひとしきり毒づき終わると、今度は窓の外に目を向けた。雨は上がり、美しい夕焼け空が広がっていた。そこには十数匹ものトンボが心地良さそうに飛び回っていた。
 青年は、道の途中で拾ったオニヤンマのことを思い出した。あのオニヤンマは心地良い場所を探し回って体が傷ついたのだ。求めるものには必ず代償が付く。僕も心が傷付いた。それは心地良い場所を探しているからだ。そうに違いない!青年は花を花瓶から取ると、それを元の場所へ置くために外へと出た。

 青年は夕暮れの太陽の光を浴びると、手に持っていた花を見た。
 ここでお別れだ。
 花から手を離そうとした瞬間、青年は気付いた。夕日で自分の体が橙色に染まり、花と同じ色になっていたのだ。青年は、今やこの花が自分の一部にでもなったかのような感覚に包まれた。
 嗚呼、恋忘れ草よ。その色を夕焼け空に思い起こしては、この恋を忘れさせ給え。
目を閉じ、願いを込めて、花を草むらへと静かに置いた。

脚の一本を無くした虫は何を思う。虫は脚が無くなったことなど気にかけず、今日もまた心地良さを求めて、前へと歩き続けることだろう。

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