苦手なスピ系の人
元気で弾けのあるスピ系の人が苦手だ。僕自身もスピ系に属している人間だけれども、僕はスピリチュアルに静けさを求めている節がある。そういう訳で元気で華やかなスピ系の人が苦手なのだ。
何ヶ月か前に、やっとスピ系のお話が出来そうなお店が近所にあることを発見し、その瞑想会に行ってみた。瞑想は楽しかった。しかし、その後の会話が苦痛だった。周りが女性だらけなこともあり、話は大いに花を咲かせていた。そうして僕にも話を振られた。僕は会話が苦手なのもあり一所懸命で返事をしたのだが、それだけで神経を減らしてしまった。瞑想でリラックスできたのに、その後の会話でまた振り出しに戻る。意味が無い。
なんというのか、あの場あの時間の「調和」という名の会話への強制参加が苦痛であった。それならさっさと帰ればいいじゃないか! と思った人もいるだろう。言い訳をしてしまえば、僕はその日その店で昼食を摂って帰る予定だったのだ。だから帰らずにいた。そうして会話に強制参加を強いられたのだ。きっと皆は会話が楽しいものだと思って会話をするのだろう。僕がその場に求めていたものとはかなり違っていたみたいだった。
僕は女性は素晴らしいと思う。優しさ、愛らしさ、柔らかさ、強さなどを持っている。今の世に必要な女神性というものを基本的に備えている。僕は僕自身の内にいる女神(赤毛でエメラルドグリーンのドレスを着た存在)と一緒に、女性とはどういった存在なのかと考えている。でも、やはり、分からないことだらけである。もはや人それぞれを性別を越えたひとつの魂として考えるのが一番かとも考えた。次元の高い魂には性別が無いと聞く。それを当てはめるのが易いような気がする。
一般的な女性の元気な姿を見守りながら、僕自身は静けさのうちにスピリチュアルの成長をしていけたらいいなと思う。やはり山の中、川辺に座って瞑想するのが性に合うのかもしれない。川の流れでじわじわと石が研磨されていくように、魂の成長をさせていきたい。
もしかしたら僕のことをもっと相手に知ってもらう必要があるのかもしれない。会話が苦手だと、そう前もって伝えれば良かったのかもしれない。瞑想会は楽しかったのでまた行きたいと思う。