文字という絵
私が書いた小説『花緑青色の遺言』の後半の記述について、書いておきたいことがある。
花緑青の画家が最後に描いた絵が遺言であるという箇所。文章には絵と書かれてあるのに遺言とは、おかしいぞと思った人も多いだろう。(言ってしまえば読む人が少ないので、そう多くもないが。)その箇所についての弁解のようなものを今回は書いていきたい。
私が遺言を絵として文章内に入れようとしたのには理由がある。私は花絵文字という存在を知ってから、文字は絵のようなものだと考えるようになった。簡単に言えばそれだけのことである。
説明をしておくと、花絵文字とは中国に古くから伝わる伝統芸術で、縁起のいい絵柄と文字を組み合わせて描かれたものである。
私が文字は絵であると言うのには他にも理由がある。それは筆跡である。手書きの文字には個性が出る。たとえ文字を綺麗に書く講座を受けていたとしても、見本通りに書いたとしてもそれは個性である。人々が書く千差万別の文字の形が、絵に見える、即ち絵を描いていると思うのだ。説得力に欠けるかもしれないが、私はそう論じていきたい。
以上のことから、小説『花緑青色の遺言』の最後に描いた絵は遺言であって絵でもある、とここに記す。また、遺言の内容から描かれた絵を思い浮かべたりするのも良いかもしれない。絵が遺言の内容を語っていると捉えても良いかもしれない。そこは読者に任せるとして、この話はここらで終わるとしよう。
駄文乱文お許しください。ここまで読んでくださりありがとうございました。皆に良き閃きが訪れますように。