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短編小説『死の天使の光輪』

 草原を駆ける西風が草露を拭う。
 その青年は、草原に出来た小径を歩いていた。厚い雲が悠々と漂う晴れた昼間のこと。風に吹かれながら歩くその姿は、長い時間歩いていたにもかかわらず、風に足を掬われるかのような、疲れを知らない、軽い足取りをしていた。これから向かう場所へ、期待に胸を弾ませながら、青年はこれから起きる《出来事》に対する想像をたくましくしていた。
 青年はささやかな物書きであった。
 数々の廃墟へ行っては、その場所であった出来事に《想いを馳せて》、そうして汲み取ったものを物語として書き起こしては、売って、小さな稼ぎにしていた。そして今日も相変わらず、廃墟へと向かっていた。

 草原は日の陽気に当てられ、風に撫でられて、ふるふるとその身を震わす。ぐんぐんと伸びをする草を、羊たちが食む音が聴こえる。穏やかな風景の美しさを感じながらも、足を前へ、前へと進めていく。
 目的の廃墟が、遠目に見えてきた。
 敵の侵略を防ぐ役割を、果たしたかどうかは、その歴史を見れば怪しくはなるが、長い城壁が左右に伸びているのが分かる。その長い城壁の奥、丘の上に、黒々とした石の塊が、静謐と堂々たる風格とを有して黙座する。円柱型の塔が一棟そびえ立ち、その周りに石碑が三十近く築かれているのが小さく見える。烏が数羽、飛んでいる。その廃墟の中に帰る家があるのだろう。
 歩を進め、更に近付く。遠目から見て、長さを感じていた城壁はもう間近。その端を横目に、行き来し安いように整備された坂道を登っていく。
 やっと、来た。
 廃墟の入り口。ゆっくりと、その場の全てを味わい尽くすかの様に、深い呼吸を数回、肺と脳と全身とを、新しい空気で満たした。
 いよいよ、中へ入ると、天井は無く、見事な青空が広がっていた。壁にはところどころヘデラが伸び渡り、日に照らされ、青々と輝いている。床は、石で敷き詰められた場所と、草が生い茂る場所があり、しかし、どちらも足取りに困る程に荒れている様子はない。右側へ入っていくと、礼拝堂と思われる場所に当たった。この廃墟は神を讃える場所であった。ここまで来て、ある事に気付く。誰かしらの手が入っているのかが分かるぐらいに、中は思っていたより整えられており、完全な廃墟とは言いづらい。もしかすると、遠く町よりここへ来て、その神聖なる、歴史のある場所として、後世に残しておきたいと想う者が、施しを行っているのだろうか。それは非常にありがたい。
 内部見学を終わらせ、やっと《作業》に取り掛かる。礼拝堂の祭壇前に背をもたれかけ床に座る。楽しい気持ちを抱きつつ、深い呼吸を数回。すると、どうか。地面から、壁から、空から、粒子が輝きを放ちながら、空間に充満し、ゆっくりと漂う。粒子は次第に形を成していく。人が姿を現し、廃墟はたちまち、かつての現役の姿へと変わっていく。粒子が形作ったもの達は動き出す。

 東の窓から朝日が差し込み、礼拝堂を光で満たす。人々は歌っているようだった。人々は笑顔であった。祭壇の後ろのほうを見てみると、さまざまな楽器を持った人達が演奏をしていた。それから少し時間が経つと、人々はダンスを始めた。手を取り合い、軽やかなステップを踏んでいる。それは見るからに楽しい光景であった。また少し時間が経ち、ダンスをしていた人々は、静かになると、祈り始めた。これまでの楽しいひと時を、神への感謝と賛美の内に終わらせた。それは幸せ以外の何様なにようでもなかった。ここは宗教の自由を求めたが故に、このような神の讃え方が作られたのだろう。自由の内の、その一つの様式を垣間見た。礼拝堂らしからぬ光景に、しかし、人々が集まり楽しむ様子を見れば、神も我が子らの喜びを、惨たらしく取り除きはしないだろう。神を讃える者は、他者を害さない限りは、自由な表現を成すことが出来る。宗教に限らずとも、人々は自由な表現者であることが出来る。そうでありたいと願う。

 《作業》を終え、廃墟の裏側へと出た。そこには円塔があり、その周りに数え切れない程の墓石が何十と草原の上に佇んでいた。突如、黒く、動く影、一つ有り。数ある墓石の一つ、その前にいた。まさか野犬が入り込んだのだろうか?よく見てみると、全身黒色の服を着た人影であった。墓参りにでも来たのだろうか。もし、この廃墟に関心を寄せている人ならば、少しでも話をしてみたいと思い、声をかけることにした。
「こんにちは」
 人影はこちらを向く。少女・・はこう言った。
「ようやく来た」
 少女の手には小さな草刈鎌が握られていた。

――――――――――――――――――

 少女の名はケイラと言った。
「ここでずっとあなたを待ってた」
「……人違いじゃないかな」
「いいえ」
 不意に“待ってた”なんて不思議な事を言うものだから、青年は少し距離を取ってしまった。それに少女の全身の黒服と草苅鎌を見れば死神か何かだと思ってしまうのも仕方がない。
「君はここで何をしているんだい?」
「墓守をしながらあなたが来るのを待ってた」
 ︎︎死神のような格好をした少女が廃墟で墓守とは。格好だけなら適してはいるが、待つだけであればそんな格好をせずとも、それに墓守をする必要は無いだろう。それはただのごっこ遊びではないかしらん。しかし、ただのごっこ遊びだとしても、この廃墟の手入れをこの少女がやっていたのだとすれば、不思議な事を言うこの少女に、感謝しなければ。
「君がこの廃墟を守ってくれていたのかい?だとしたら、君に感謝しないとな」
「あなたに会うまで暇だったから、ちょっと綺麗にしてただけ」
 どうやら推測は合っていたみたいだった。
 しかし、本当に不思議に思う。少女は何度も言う。会うのを待っていたと。
「どうしてここで待っていたんだい?町で待っていても良かったのに」
 少女はその言葉を待ってましたと言わんばかりに、早い反応を見せた。少女は少し楽しげに話す。
「ある知らせがあった。今季に入ってから、この廃墟を訪れる人のうち、三番目に来る人が私の待つべき人だって」
 どうやら少女は夢を見ているようだった。
「でも、あなたは二番目。三番目ではない。それでもピンと来た。あなたを待っていたんだって」
 知らせの約束を破ってまでも、少女は夢を見たいらしい。しかし、そんなふうに言われると、こちらとしても、まんざらでもない気持ちになる。直感。運命的な出会い。ロマンティック。是非とも体験したいものだ。
「そんなに僕を待ってたんだったら、もっと話をしようよ。ひとまず町まで戻って一緒にお茶でもどうかな?」
「ここがいい」
 少女は丘の上からの風景を眺めながら言った。その目の先には、遠く修道院があった。
「ここでいい。静かだから。ここで声が枯れるまで話そう」

「ここは宗教的な革命があった場所」
 初めに、少女が話す。選んだ話題には驚いたが、その興味深い内容に、耳を傾けた。
「昔、ここは城だった。城主は宗教にとても興味があった。そこで、当時いちばんに勢力を持っていた宗教の神を崇めるようになった。でも、城主の力は長くは続かなかった。城主は城を捨てた。そうして、そこに残った宗教が城を教会に変えた。教会が出来た後は、勢いがついて、とても盛り上がった。信仰が深まる一方で、決まり事も厳しくなっていった。決まり事が厳しくなるにつれて、教会から逃げようとする人達が出てくるようになった。だけど、逃げようとした人達は、捕まえられて処刑された。信仰心が薄いという理由で。そうしていくうちに相互監視が始まった。だんだんと教会は疲れきっていった。そんなある日、事件が起きた。それは教会全体を包むほどの火事。その日は大きな行事があって、教会の周りにはたくさんの飾りがあった。火の不始末で飾りの一つに引火して、それが広がり、教会の中まで入り込んだ。教会の中にいた人々は外へ逃げ出した。その時に、教会のあり方に疲れ切っていた人達は、更に遠くへ逃げていった。教会に残った人は、ごく僅かだった。少数になってしまった教会の人々は信者を増やすために近くの町に行ったけど、教会のあり方を知っていた町の人々は見向きもしなかった。それに、その時、町には既に、新しい考え方が流行していた。昔の勢いを取り戻せなくなった教会は廃れていき、教会の人々は新しい信者を求めて旅に出た。そうして教会は捨てられてしまった」
 廃墟のほうから烏の鳴く声が聴こえた。見てみると、円塔の上に一羽とまっていた。
「それがここの歴史なのかい?」
「そうやって伝えられている」
「ここは宗教的な革命があった場所なんだろう?革命と言うほどのことは起きていない気がするけど……」
「革命に大きいも小さいもない。これは『革命』だった」
「それもそうだね」
 それはただの《変化》じゃないか?そんな言葉を飲み込んだ。味は無かった。
「それにしても、君はここの歴史に詳しいんだね。もしかして、ここに興味があるのかい?それか廃墟に興味があるとか」
「それはない」
 少女はきっぱりと言った。残念。
「たまたま開いた本にそう書かれてあったのを見ただけ」
「そっか。でも君の話はとても楽しかったよ。教えてくれてありがとう」
「どういたしまして」

「次は僕が話してもいいかな?」
「どうぞ」
「ありがとう。話というより君への質問なんだけど、好きなものはあるかな?」
 少女の名前と、少女が立派な墓守(廃墟の手入れ)をしていたことしかまだ知らない。もし、またここへ来ることがあるならば、プレゼントでも渡そうかと画策し、更に少女の情報を聞き出すことにした。
「神。それと愛」
 その返事を聞いて、再び驚いた。いや、これは。信心深い少女なんだなと理解しようとした。プレゼントにするには難しいものばかりだ。出来て愛ぐらいだろうか。
「そうか、それは立派な好きなものだね。大切にするといいよ。もしかしたら君の宝物でもあるのかな」
「うん」
 少女は嬉しそうに返事をした。
「それなら神父様とは話が合うね。それはそれはとても深い話をしているんだろうね」
「いいえ、ほとんど話が合わない」
「どうして?」
「それは……」
少女の返事は空へと消えて行くようだった。

――――――――――――――――――

 静かな時間、沈黙の時間が二人を包み込む。
 ふいに、はっとして、急いで少女に謝った。
「どうしてなんて聞いてごめん!答えづらいこともあるのに、全然気が付かなくて……」
「いい。別に気にしていない」
 少女は少し考える様子を見せたあと、思い切ったかのように話し出した。
「神は人の内にいる」
 そう言い放った少女は、真剣な表情をしていた。少女の言葉に、少し気押されしたが、すぐに言葉を返した。
「君がそう信じたいなら、それでいいと思うよ。宗教を選ぶのは自由だからね」
「……」
 少女は俯いて、黙り込んでしまった。また何か変なことを言ってしまったのだろうかと、内心焦る。
「宗教なんかじゃない。これは真理」
 少女も少し焦ってるように見えた。
 先の言葉と焦る気持ちを濁すように、少女に言葉を返す。
「神が人の内にいることが真理かな?」
「それは真理の一つ」
「まだ他にもあるんだね?」
「そう」
 少女は話したがっているように見える。少女が待っていたのは、もしかして、自分の話を聞いてくれる人だったのだろうか。神の存在を信じてはいるが、その手の話をこんな少女から聞かされることになろうとは。
 少女の話は尚も続く。
「私たちは『無』という存在。その『無』である私を通して内なる神が御業を成す」
「その、無っていうのはどういう事?」
「人の考えや信念は産まれ持ってのものではなく、生きていく上で拾ってきたものだから、それは自我の部分であり神我ではない。私たちは本来は神我であって、拾った考えや信念は持たない存在であるということ」
「難しい言葉が出てきたな。それに、自分は本来、その、神我?であるというのも信念の一つにはなるんじゃないかな?」
「それは永遠に変わることのない実在」
 だんだんと難しい話になってきた。質問をすればするほどに、聞き慣れない単語が増えていきそうだ。少女に質問するのをやめたほうがいいだろうか。今までの話を聞いた限りでは、確かに神父と話が合わないのも無理はないだろう。正直、理解し難い話ばかりだ。
「なるほどね。君の考えは少し変わってるように感じるけど、それも大切な考え方だよ。自分の考えは大切にするといい。考え方は自由だからね」
「まだ……伝えたい真理がある」
 本当に、この少女は話したがりのようだ。まるで今まで溜め込んできた想いを、雪崩のように、この大きな流れに乗せている。
 ふと思う。この、少女の訴えにも似た、非常に奇妙な話を、真剣に聞いてくれた人はいたのだろうかと。人々の歴史や想いを綴る物書きとして、この少女の想いも受け取るべきではないだろうか。少女は其の考え方で、人と話が合わずに、一人で苦しんでいたのかもしれないと思うと、急に他人事のように感じられなくなった。そう思ったのには、身に覚えがあったからだ。
 今までの自分の態度を反省しつつ、少女の話に、それまで以上の親しみの気持ちを込めて、耳を傾けるよう姿勢を正した。
「話してごらん」
「この世界は全て『神』で出来ている。私たちは『神』という一つの大きな生命の一部で、全ては繋がっている。そして神は常に生きているから、死というものは存在しない」
「全ては繋がっているって言葉はいいな。それなら離れていても寂しくはならないね」
「物理的に考えているから、離れた時に寂しさが増す。さっきの話を可愛く言うなら、ハートは繋がっているということ」
「じゃあ僕のハートは君のハートに繋がっているということになるね」
 少女に対して、少しばかりの、ロマンチックな想いを巡らせた。
 目と目が合う。
 少女の瞳の色が美しく輝いたのもつかの間、少女は目を逸らし、丘の上からの風景に目を向け、言葉を返す。
「そういうことになる」
 少女は更に話し続ける。
「全ては神だから、私たちも本来は神になる。しっくりくる表現をするなら『神の子』。私たちは神の子」
「自分が神だなんて、それを信じるのは難しいことだろうね」
「そう。私たちは神の子で、最初に話したように、私たちの内には神が宿っている。そして、私たちは、自分の外にいる神ではなく、自分の内にいる神の声を聞くべき」
「その話に少し興味が湧いてきたな。その、どうやって自分の内にいる神の声を聞くのかな?」
「心を静かにすること。瞑想するのが一番いい。自分の中に次々と浮かんでくる日々の考え事を一つずつ観察していく。その時に、その考えを無理やり消そうとしないこと。自分が考え事をしているということに気付くというのが大切。その作業を繰り返して、心を静かにさせていく」
「なんだか難しそうだな。僕にも出来るかな」
「それが出来るかどうかは、やってみてからのお話だと思う」
 そう言って少女は目を閉じて、自身のその小さな胸に手を添えて、沈黙した。少女のほうを、しばらく静かにして、じっと見つめていると、少女は突然ぱっと目を開き、深呼吸をして、また話を始めた。
「次の真理は、私の中でとても特別な真理になる。それは時間の話」
「君の特別なら、それは是非とも聞いておきたいな。その特別な真理を教えて」
 少女は、大切な宝箱を、ときめきを持って開くように、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「それはね、それは、時間というものは無く、『今』という瞬間しか存在していないということ。私たちは、過去のトラウマからも、未来の不安からも、影響を受けることのない『今』という瞬間にいる。そして、その『今』という瞬間は何にでもなれる。私たちには『今』という瞬間だけがあって、過去も未来も存在していない」
 話をして気持ちが楽になったのか、少女の表情は出会った時より明るく見えた。
 だが、こちらは、その話を聞いて、こころにわだかまりが出来ていた。今というものは過去からの影響を受けないなんて、それは考えられない話しだ。
「ちょっと待って、その考え方は理解し難いな。過去の影響が今に無いなんて考えられない」
「それについては詳しく話すから」
 時間についての話は、意見を返すことが出来る。《想いを馳せる》物書きとしての意地を少しばかり見せたいところだ。

辺りから生き物の姿も、声すらも無くなった。一陣の風が草原に波を打たせた。

――――――――――――――――――

 厚い雲が日差しを遮り、二人の居る場所に陰を作る。それもつかの間のことだろう。吹く風が少し冷たく感じた。
「次は僕の考えを聞いてくれないかな?」
「構わない」
 少女はどこか嬉しそうに見えた。
「じゃあ話すよ。人々には過去の出来事で受けたトラウマがある。そのトラウマは今も人々を苦しめている。人々の心が過去からの影響で『今』も傷ついているのに、それで過去が存在しないなんてありえないよ」
 そう言葉を発しながら、昔の苦しい思い出に再会した。人は誰しも人には言えない苦い思い出の一つや二つ、いや、三四つとあるだろう。特に嫌な出来事は心に刻み込まれやすい。それらが無くなってほしいと願う一方で、解決策は未だに分かっていない。ただ、分かる事と言ったら、それらを解決するには時間がかかるということだけだ。
「その考えについてはこう言える」
 次に少女が話し始めた。
「過去は単なる『記憶』でしかない。過去と言われる『記憶』が『今』に存在している。あなたは過去のトラウマという『記憶』を持ち続けているだけ。トラウマを忘れるのは難しいことだけど、『今』という瞬間を生きるようにすれば、そういった事から自由になれる。『単なる記憶』にいつまでもしがみついていると、トラウマもなくならないし、過去からも離れられない」
 何故か少女が得意げな顔をしているように見えた。そして、少女の口から「過去は単なる記憶でしかない」と言われた時は、雷にでも打たれたかのように、大きなショックを受けた。あんなに遠ざけたいと思っていたトラウマに、未だに自らしがみついていたとは。しかもそれを、自分より若い人にさとされる日が来るとは思いもしなかった。
 だが、こちらにも、まだ言い分が残っている。
「実はもう一つ、話したいことがあるんだ」
それは自分にとっての重要な考えであり、少女とはなしをするための最後の切り札でもあった。
「過去の歴史があるからこそ今があり、そして未来に繋がっていく。僕たちは過去があったから、この廃墟のような遺物を見るからこそ、そこからたくさんの事を学びとることが出来て、そして、未来の希望を考えることが出来るんだ。そうは思わないかい?」
「そうは思わない」
 少女は間髪入れずに言葉を返す。
「何度も言うけど、過去や未来といった時間の流れは存在しない。あるのは『今』という瞬間と、それが含まれる『永遠』だけ。過去から学び取るよりも、今の閃きのほうが大切。次に、遺物は目に見える、心の拠り所にもなるけれど、この廃墟のように、いつまでも元の綺麗な形でいられる訳ではない。目に見えるものは、いつかは壊れ、なくなってしまう。私たちの本当の心の拠り所は、自分の内にいる神だけ。神は永遠に在り続ける」
 少女は尚も話し続ける。
「それに、未来に対して希望を持つのは良い事のように思えるけど、その考えでは『今』を生きてはいない。存在しない未来に希望という名を付けて生きていることになる。でも私たちは『今』という瞬間に生きることしか出来ない。『今』という瞬間を生きるのを意識するのは難しいかもしれないけど、現に私たちは『今』という瞬間を生きている」
 またしても、少女の表情は得意げであるかのように見えた。少女の話した内容が正しいように思えるが、しかし、こちらの意見を捨てる訳にはいかない。それにしても、希望を持つことは今に生きていないだと?そんな馬鹿な!これが、それぞれが今まで通って来た道の違いだろうか。それとも……。ここはひとまず、少女の話に納得したという相槌を打って休戦するとしよう。これ以上はお互いの尊厳と脳の活動に支障が出てしまいかねない。
「君の特別な真理については、意見を交わす中でよく分かったよ。でも一つだけ聞いておきたいことがあるんだ。どうやったら『今』を生きている感覚になれるのか、教えてくれないかな?」
 話を完結させるように促したが、こちらの思惑を感じ取ったのだろうか、少女はどこか悲しそうな、残念そうな顔を見せた。そんな表情にこちらが内心戸惑っていると、少女は小さな笑みを浮かべながら言った。
「それは、自分のやりたいこと、好きなことに夢中になる、楽しむこと。自分がすることは一生懸命にすること、集中すること。そしてそれらと繋がっている自分に気づくこと。私の気付きから言えることはこれぐらい」
「そっか。教えてくれてありがとう」
 そうお礼を言い終わると、少女が焦っているように見えた。そして慌てた様子で少女の言葉はまた紡がれる。
「まだ……まだ伝えたい真理がある」
 そう言って少女は青年の服を優しく引っ張る。これは、何がなんでも、少女の訴えに耳を傾けようと、青年は決意を固めた。
 厚い雲が通り過ぎ、再び日の光が二人の居る場所を照らし始める。吹く風に、心地良い温もりを感じた。

――――――――――――――――――

「君の気が済むまで聞いてあげるから、話してごらん」
 風が少女の髪を揺らす。少女の表情は今まで以上に、更に明るく輝いていた。少女は《真理》を語り始める。
「目に見える世界と目に見えない世界には境というものは無い。二つの世界は境無く繋がっていて、互いに影響を与えあっている」
「目に見えない世界と繋がっているということは、目に見えない存在との繋がりもあるってことだよね。例えば守護天使とか……」
「そう。目に見えないだけで、本当はそばにいる。そしてあなたが困っている時は、あなたの耳元で囁いて、適した考えを閃くように促している。あなたはその囁きに耳を傾ける必要がある」
「やっぱり守護天使は存在するんだね」
 実を言うと守護天使の存在に憧れを抱いており、それを思い出す度に心を込めて、祈りを捧げていた。そんな中でのこの話だ。聞いただけでも大収穫だ。
 少女は語り続ける。
「天使はたくさん存在している。仕事は無くただ遊んでいるだけの天使、そしてその天使らの監督をする大天使という存在もいる。そしてそれらに困っていることについて助けてくれるように頼むことも出来る。天使だけでなく、次元上昇した人たちや宇宙にも頼むことが出来る。すぐにやって来てくれて、そして助けてくれるから、信頼して待つといい」
 またひとつ、疑問に思う言葉が出てきた。
 少女に言葉を返す。
「ひとつ質問があるんだけど、次元上昇した人たちって、例えば誰のこと?」
「それについてはここでは説明しない。詳しく知りたいなら『アセンデッドマスター』という単語の載っている本を調べてみるといい」
 説明がないのには何か理由があるのか、しかし、あまり深入りしすぎるのも悪いだろうと思い、そっと、言葉を喉の奥へしまいつつ、少女の気持ちを汲み取った。
「分かった。それは自分で調べておくよ」
「それと、まだ、真理の話があって……」
「最後まで聞くから安心して話していいよ」
「ありがとう」
 少女は体を左右に揺らしながら、嬉しそうに語る。
「あのね、『神の属性』というものがあって、それは、愛、光、永遠、完全性、叡智などがある。そして前に話したように、私たちは神であるから、その属性を持つことになる。つまり、私たちは愛であり、光であり、永遠であり、完全であり、叡智である。私たちは愛。愛という存在」
「その言葉、とても気に入ったよ。『私たちは愛という存在』って、とてもいい響きだね」
《愛》という言葉だけでも甘美な響きであるのに、その《愛》が自分たちにも当てはまるとは。全てが神であり、そして愛である。今まで少女が語ってきた《真理》の中で一番にピンと来るものであった。
「私たちは愛という存在だから、世界に愛を広めていくことが大切になる」
「世界に愛を広めることか……どうやったらそれが出来るかな?」
《あの人》でもなければアガペなんて無理だ。そう思いつつ質問したが、少女は何でもないような事のように語る。
「愛を広めるとは、簡単に言うと『思いやる心』を持つこと。『思いやる心』の他に『忍耐』も愛の一つになる。あなたも今、私の話を聞いてあげるという思いやりと忍耐の行動が出来ている」
「君の話を聞いている今の僕は愛を広めていることになるんだね」
「そう。他にも自己愛というのも大切。他人を愛するのと同じぐらいに、自分のことも愛しておくこと」
「そっか。自分を大切にするのも重要なんだね」
 そういえば、自己愛を発揮出来ていたかしらんと、思考が走る。この少女の話を起にして、これから自分への愛についても考えよう。そう思い至った。
 そんな話を聞いていくうちに、ふと気付く。少女がこんな難しい話を思いつくわけが無い。さっき話したこの廃墟の歴史を本で知ったのと同じように、今まで話したことが全て本の中からの受け売りだったとしたら? それを知るべく質問を投げかけた。
「もしかしてだけど、君は読書が好きなのかな?今まで話した真理も本で得たものだったりして」
「自分の内にいる神に教えてもらった。そしてそれについて考えて閃いたものだけを話した」
 信じられない。少女が言っていた、人の内にいる神が《真理》を教えていたなんて……いや、今まで話していたことが少女の単なる空想だとしたら?
 少女は尚も語り続ける。
「そして、自分の閃きの確認のために何冊か本を読んでたんだけど、そのほとんどは古くから伝わる賢者たちの言葉の繰り返しであることに気づいて、その時に来た閃きが『自分が行動をする時期に来ている』ということだった。ただそれだけ」
 そして啓示があり、その行動があって今に至るということか。
「同じことの繰り返しは飽きやすい。何となく分かるな」
 青年は続けて言葉を繕う。
「でもそこから行動の時期に来てると気づくのは、それはすごいね」
「たぶんだけど……信じてないでしょ?」
 青年は驚いた。心の内を少女に見透かされている? 青年はまた言葉を繕った。
「そんなことはないよ。ただ君の話はびっくりすることの方が多くて……」
 正直に、ついていけないとは言えなかった。
「別にいい。もう、終わりにする。満足した」
「そっか……」
 青年はぎこちなく笑った。すると少女は言った。
「でも……やっぱり、次で最後の話にする。それはね」
 少女の顔には満面の笑み、瞳がキラキラと輝いているのは……泣いている? 少女は体を左右に揺らしながら、空を見上げて話す。
「それはね『なんでもない時にも笑顔でいてもいい』ということ。たとえ楽しいことがなくても、悲しい内にあっても、いつでも笑顔でいることができる。それに一人の笑顔は周りを笑顔にする魔法を持っている。『いつでも笑顔でいてもいい』と自分を許すこと。それを最後に伝えたかった」
「うん」
青年はそれを聞いて、少しほっとした。この少女にも普通に・・・話せる話題があるんだなと感心した。
「重要な話を、最後に話してくれてありがとう」
「……こちらこそ、ありがとう」
 二人は微笑み合った。

昼は過ぎて、日が傾きつつある。もうすぐ夕陽が輝く頃となるだろう。二人の会話は、終わりに近づいている。

――――――――――――――――――

 古びた廃墟に長い影が二つ並んでいる。昼間、燦々と輝いていた太陽が今では優しい橙色に変わっている。世界と二人を包み込むその光は、どこか新しくも懐かしいような、一種の宗教画に見る後光のようだった。

 しばらく黙って夕陽を眺めていた二人。しかし、静寂を破って、青年が少女に声をかけた。
「そろそろ日が落ちるし、町まで戻ろうか」
「確かに、もう戻らないと」
 少女は青年から離れるようにして、夕陽のある方角に向かって歩き始めた。廃墟の出口とは逆である。
「ちょっと、ケイラ! そっちは逆だよ!」
「いい。こっちで合ってる。秘密の道を知ってるから」
 少女は青年の方に振り向いて、話し始める。
「そういえば、貴方は私に好きなものがあるかどうか、聞いてたけど……」
 少女は、勇気を出した。
「私ね、貴方のこと、好きになったの。だからね、貴方と出会えて、とても嬉しい」
 青年は少女の唐突の告白に驚き、急に顔が火照ってしまった。赤く染まった頬が夕陽で隠されていることを祈る。
「だからね、その、愛してる」
 青年は、優しく微笑みながら、応えた。
「僕もだよ。だからまたこの町に来る時には、君のところへ真っ先に会いに行くよ」
 それを聞いた少女も微笑んだ。出会った時よりも、話していた時よりも、美しく、可愛らしく、青年にはそう見えた。
「さようなら、旅人さん。貴方に多幸のあらんことを。神々の祝福のあらんことを」
 一瞬、夕陽が一層眩しく輝いたように見えた。その眩しさに目を閉じ、開いた時には少女の姿はなくなっていた。青年はその光・・・が少女を何処かへ運んだのではないかと思った。あんな不思議な話をする少女のことだ。きっと少女は在るべき場所へ帰ったんだ。
 青年は、地に落ちかけている太陽を眺めながら、一人悲しそうに呟いた。
「君のことを分かってあげられなくて、ごめんね」

――――――――――――――――――

「よぉ兄ちゃん。あの少女に会ったんだろ?」
 青年が町の宿に戻ると、宿屋の店主が話しかけてきた。何故この店主は、青年が少女と会ったことを知っているのか。不思議に思いながらも返事を返した。
「ケイラのことですよね。会いましたよ」
「だろうな、コートの裾が切れてるぜ」
「え?」
 コートの裾を見ると、まるで切り刻んだかのような切れ目が残っていた。店主が話を続ける。
「あの黒服の少女はな、死神なんだよ。あの廃墟に入った奴にヘンテコな話を聞かせてな、そんでその話が分かる奴がいれば気に入って、あの世に連れて行っちまうらしい」
「!!」
 青年はその話を聞いて冷や汗をかいた。
「少女は草刈鎌を持ってただろ?あれは死神の鎌なのさ。アレで魂を持っていっちまう」
「そ、そうなんですか?」
 青年の震え上がってる反応を見て、店主は大笑いして、また話し始めた。
「まあ、なんだ、そういう噂が立ってるのさ。真実かは知らねぇがな。でもな、あの廃墟には墓場があっただろ?そこの幽霊が出てもおかしくはないだろって話だ」
「じゃあ、僕がその子に会ったことも、それにコートの裾の切れ目も……」
 すると店主はまた大笑いして話始めた。
「嘘だ嘘!全部、嘘!コートは、お前、ははは! 昨日も切れてたじゃないか。きっとどこかの植物の棘にでも触ったんじゃないか?そのコート、見た感じ古そうだしよ、ははは」
 それを聞いた青年は、恥ずかしいと思ったり少しムッとしたりと感情を忙しくした。コートのことは昨日教えてくれれば良かったのに……後でコートを直しておこう。
「ケイラに関してはな、この町では有名な不思議ちゃんさ。今期に入ってからあの廃墟でうろつき始めたんだよ。何があったかは知らねぇがな。そんで、さっき伝言があったんだよ。兄ちゃんに言い忘れたことがあるってさ」
「なんでその子は僕がこの宿にいることを知ってるんですか?」
 店主はクククと笑ったあとに話した。
「そりゃあ、この町で宿と言ったらここしかないからなぁ。もしかして兄ちゃん、知らなかった?」
 青年は恥ずかしくなり顔を赤くした。初めて来る町とはいえ、下調べが足りていなかった。自分のミスが二回もあるとさすがに何も言い返せる事が無くなってくる。青年は恥ずかしさを抑えて店主に聞いた。
「それで、その子は何と言ってたんですか?」
「えーっとな、紙に書いて渡してきたんだ。ほい、これ」
 店主の持っている帳簿から一切れの紙が出てきた。それを渡され、青年はそれを読んだ。

「いってらっしゃい。よい旅を」

「……これだけですか?」
「ああ、それだけだ。それにしてもよ、あの子も物騒だよな。草刈鎌を持ち歩いてよぉ、まったく」
 あまりの内容の薄さに拍子抜けしてしまった。あれだけたくさんの話していた少女は、文面になるとこうも大人しくなるものなのか。それとも、本当にこれだけしか用がなかったのか。
 少し残念な気持ちになりつつも、青年は店主にお礼を言うと部屋に戻った。


「ざっと、こんなもんかな」
 青年の前には数十枚の原稿用紙が纏めて置かれている。その原稿には廃墟の記録が記されていた。
「東の窓より降り注ぐ光は、彼らの歌声を、彼女らのダンスを見守っている……」
 青年は自らが書いた原稿を静かに読み上げる。
「ここに自由のあらんことを……ふぅ」
(僕の持っている《才能》を使って作る物語は、楽しいものなのかな……)
 青年には《才能》があった。その《才能》は後天的に開花したものである。それは《その場所の過去の出来事を第三者目線で追体験する》というものであった。青年はこの《才能》を使って過去の出来事を物語にして書いている。しかし、その《才能》に頼ってばかりで、所謂いわゆる“本当の”自作の物語を書いていないことに青年は不安と罪悪感を覚えていた。
(また味気のない物語になった、のかな……)
「もう分からない」
 ふと、窓の外を見る。外は静かで、夜空に数多あまたの星がキラキラと輝いていた。青年は机の上に視線を戻して、そうして、少女からもらった紙切れを見つめる。
 青年は閃いた。あの少女との話を書こう。そう思うや早速、新しい原稿用紙を取り出した。青年は、あの《お話達》を少しずつ思い出しながら書いていく。きっとこの話はいつか誰かの為に役に立つだろう。今は読者に理解されなくてもいい。僕も理解が出来ていないのだから。でも、そうだ、少女との思い出に、書こう! タイトルはもう決まっている。少女との別れ際、一瞬だけまばゆい光に包まれたあの光景。店主の言っていた死神よりも相応しい例えが、まるであの世に、光の世界に優しくいざなう存在、そうに決まっている!
 そう、この話のタイトルは、

『死の天使の光輪』

 夜空に一筋の流れ星が煌めいた。


この小説は短編小説『死の天使の光輪』の章ごとに分けていたものをひとつにまとめたものです。内容は変わりません。

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