物書きの原稿用紙
現代の物書きが原稿用紙を使って小説などを書くことは極めて少なくなったと思う。プロットまでは紙に書くが、下書きまたは初稿からはスマホやパソコンを使うという人がほとんどであろう。自身も詩を書く時にはスマホで直感的に書いている。スマホの便利な所といえば、すぐ書ける、書くのに難しい漢字をすぐ表記出来る、間違えたらすぐ消せる等々、便利ずくめである。現代よ、なんて素晴らしいんだ! と思いつつも、高級な原稿用紙やお気に入りの万年筆を買って、アナログの民になるか、もしくはロマン派、大正時代の文豪気取りの物書きがここに一人居た。
その物書きは三葉治と言ったが、無名も無名、一界隈での人気もなく、ただ己の持つ感情を紙面にぶつけて、自己満足のために文を草していた。と、自分自身のことを、評価を低めて書いてはみたが、当たり前のことではあったが、なるほど言い得て妙である。そんなこんなで原稿用紙を一枚書き終えたのだが、今は他に何を書こうかと考えているところである。そうだ、あれを書こう。
物書きの原稿用紙。特に下書きは兎に角汚くなる。書き間違いを線で消したり、挿入したい文章を書き足したりと、それが多ければ多いほどに紙面が汚くなっていくのである。しかし本人は汚いと思いつつも、その汚さに誇りを持つようになるのである。線で消したり、ルビに書き足す行為によって、自分はこんなにもたくさん書いたのだ! という達成感を味わえるからである。しかし、今回の原稿は書いていて分かるのだが、直すところが少なく、なんとも視覚的に寂しいものである。
物書きの原稿用紙。何も書かれていない状態のものを百枚以上は買って置いてある。沢山書くにしろ書かないにしろ、予備は多めにとっておくのである。しかし、多いからと言って書き損じが沢山出ても心配無いということにはならない。原稿用紙もピンからキリまである。百均で買えるものから文豪御用達の高価なものまで、また一般的な原稿用紙からお洒落な飾り原稿まで種類も様々である。ちなみに今使用している原稿用紙は皆も知っている超有名文房具店が出しているものである。少し前までは百均のものでやりくりしていたのだが、やはり品質がしっかりしているもののほうが書き心地も良く、そして何より良作を書いているという気になるのだ。とはいえ、人気になれるほどの良作を書き上げたことは皆無であるが。悲しい事実だが、自分自身では良作と思いつつも評価されなければ、また人の目につかなければ、作品は作者の元にて埋葬されていくのである。
今回の作も含めると、今日だけで三作品も書いたことになる。豊作と言えるが、原稿用紙に万年筆では指が次第に痛くなってくるのである。そのためここらで筆を擱くことにする。しがない物書きの独り言を終いにしよう。夜も更けてきた。それでは皆さん、良い夢を。