駄文

 日が暮れる。
 晩秋。霜降に入った今日、病室内は暑かった。そのため着ていた長袖を腕まくりして過ごした。
 一年に一回は入院するようになって早三年。今年は気分の落ち込みを理由に入院したのだが、それは半分ほど嘘で、仕事を休む全うな理由が欲しくて入院した。否、本当は仕事には行きたいが、どうも朝になって頭の上がらないことが多くなり、それを理由に休むのが申し訳なく思い、ええい、こうなったらと思い立って入院を決意したのだった。自ら決意したとはいえ、入院は嫌な事だ。人生における下の下策だ。そしていざ入院となると、やはり頭の上がらない日が多く、ベッドで横になっていることがほとんどだった。否、自分の人生において、入院中ほど活き活きとしている時は無いと言える。入院中の私は元気なのだ。少し嘘をついた。半分は元気なのだ。
 元気な時には本を読み、小説を書いて過ごしている。家にいる時に全然してこなかった事を、入院中の暇な時にやっている。集中できる環境が整ってるからこそ出来ている。つまりは、私の家は集中できない場所であるということになるが、全くその通りである。元気でない時にはベッドに横になり悶々としている。退院した後の生活や仕事のことを考えては、死にたい、いっそ、死にたいなどとぶつぶつ呟いている。
 ここで告白する。私は生きるのが下手な人間である。下手なりに、不器用に、頑張って生きている。ただ、偶に普通の人と比べてしまって、その度ごとに落ち込むのである。私は私なりに生きていると自分自身を励ましつつも、やはり普通との違いに悶え苦しんでいる。人と人の間には必ず違いはあると考えたりするけれど、それで気を落ち着かせてはいられない。やはり生活の質やらレベルやらがあって、それをどうしても意識してしまう。自己啓発的には、自分と他人を比べる必要は無いと説くがどうしても比べて優劣をつけてしまうのが人間の癖なのである。いや、もしかしたら私の癖なのかもしれない。
 生活の質はその人の気力で決まる。そして私にはその気力が無い。生きる気力が無い。死ぬ気力すらも。君したいことはあるかと問われしに、身辺整理と安楽死と答ふ。私は疲れている。だから入院したのかもしれない。
 話を変えよう。そう、話を変えなければ。変えるにしたって、何を話せばいい?何も無い、何も無い、今の私にはなんにもないのだ。
 否、一つだけあった。瞑想をしたのだ。久しぶりにやったのだけれど、とても心地良かった。全ての雑音が雑音でなくなって、すうっと自分の内へと入っていく感覚。また、早朝に気持ちよく目が覚めた時のあの爽やかな感覚。とても素晴らしい。瞑想は麻薬だ。中毒になると数時間もしてしまうだろう。ただ瞑想は良いほうの麻薬であるため強く推奨したい。なにせあの仏陀が行っていたものだ。強く信じて行うのが良いだろう。
 話は以上だ。他に書くこともなくなったため、そろそろ文を草するのも終わりにしたいと思う。これこそ駄文。面白くもない日記のようなものとなった。灰にしてしまえ!その残りに涙を流せるか!
読者諸君。これがいまの私である。
大いに笑い給え。

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