人を読む方法 ―松岡正剛さんとキネシオロジー―
編集者の松岡正剛さんが8月に亡くなった。直接の関係が深く濃くあった訳では無いけれど、いくつか交わる出来事はあった。
学生時代赤坂にあった秘密結社のような編集工学研究所を訪れお兄様・お姉様達の語彙が違い過ぎて話について行けず衝撃を受けたこと。最初に勤めた出版社で携わった最後の本で珠玉の原稿を書いてもらったこと(数年後雑誌に再掲載された時は嬉しかった!)。どうしても辛くなり「破」ど真ん中で編集学校を中退したこと。
その後劇団の裏方(制作)で出版社以上に編集らしい仕事をしていた時、作者の脳内を顕したようなテネシー・ウィリアムズ作品のチラシ原稿執筆やパンフレット編集は松岡さんの千夜千冊にとても助けられた。本番をご覧頂くことは出来なかったが、気に留めて頂いていたと伝え聞いた。その後も千夜千冊で劇団の芝居を引用して下さったり、勝手にコミュニケーションしている気持ちだった。
9月から私は心の声を身体に聴く代替療法であるキネシオロジーを沖縄の久米島で学んでいるが、何度か編集学校での経験が地続きになっていることを思い出す場面があった。
ひとつに擬似体験の為にも映画を久々に沢山見ているが、中退した「破」の次のカリキュラムは映画を媒介に物語編集術を身につけることだった。違う形で学校の続きをしているのかもしれない……という思いに駆られている。
ふたつに編集学校「守」の卒門式でプレゼント交換のように本を贈り合った時、漆好きの同門から手元にやって来たのは澤地久枝さんの『琉球布紀行』だった。実はこの本は2冊目で、何故か染織に惹かれ続けてきた私にとり初読の学生時代からバイブルの一つだったので、とても驚いた。その頃は八重山諸島の竹富島などのんびりした雰囲気に憧れたり、これは今でも続いているが日本民藝館をはじめ琉球染織を見られる場があれば足を運んできた。今回の沖縄行きに久しぶりにこの本を引っ張り出し「久米紬」の章を再読したが、島の紬展示館で思いがけず約10年ぶりの再会を目撃することもあった。「守」の師範代は卒門証書に「絢(あや)なる調べを織りなして」と言葉を贈ってくれた。これから一体どんな物語が紡がれるのだろう?
みっつに松岡さんが常に言われてきた「読む」ことの大切さをキネシオロジーに取り組んでいると感じることだ。とかく「書く」ことばかりもてはやされるが、読めてこその書くであり伝えるだ。おぼろげながら人を読み伝えることをしていきたいと思い始めた私に松岡さんの声が聴こえてくる。
長く文章を読んだり書いたりしてきたが、いつの頃からか原稿の終わりは自分で決めなくなった。確か宮崎駿さんだったかが創作の終わりを自分じゃないものに委ねているという話を聞いて妙に納得したからだ。勿論時間と文字数と校正確認の制限はあるが、何かに託すように尋ね、答えを受け取り、自分は代わりに手を動かすという気持ちで句点を打ってきた。
その方法はこれまで自己流だったが、キネシオロジーでは筋肉反射テストを通して身体に心の答えを聴く。この原稿が伝えたがっているのはどういうことか? どうその人を読むのか? セッションではテストとカウンセリングを駆使しながら潜在意識の複層を降りてゆく。問題の核心に辿り着き様々な方法の修正を経て、その時可能な最大限の変容が起きる。
中退した編集学校で見つからなかった方法がここにはある。松岡さんが生きていたら身体と対話するこの「方法」をどんな風に面白がってくれるだろう。
ちょっと近いものは親交のあったセラピストで著述家・翻訳家の吉福伸逸さんにあるのかもしれない。ジャズミュージシャンでもあり、ハワイのオフショアでサーフィンを愉しんでいたという吉福さん。
こう書いて大分前に読んだ著書を読み返したくなった。なぜなら15年以上前に訪れたハワイで海に導いてもらった不思議な経験が久米島に行き動き始めたからだ。
伏線のようにふるまい始めた思い出たちと共に、キネシオロジーを学びながらゆっくりと神秘が紐解かれるのを味わっていきたい。
※トップの写真は松岡さんに原稿を書いてもらった『中原淳一 あこがれの美意識』(ピエ・ブックス刊)。題は「中原淳一の編集力 きるもの・よりもの・かわりもの」。書籍・雑誌共図書館や古書になりますが宜しければご覧下さい!
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