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憑き物

 お前のせいだ。
 戸口に立った男が喚いた。全身が雨で濡れた、神経質そうな男だった。

「なんの話ですか。」

 状況が理解できていない中で、しかしこの男がこの世のものではないことだけははっきりとわかっていた。いつものことだ。春緒には、よく〈けもの〉が見える。いわゆる幽霊とか、妖とか、そんなもの。どうやらそれらを惹きつける体質なのだから、これは仕方のない事でもあった。理解と納得は別の話ではあるが。

「俺がこうなったのは、すべて、お前のせいなんだ。」

 身に覚えのない話だった。

「とりあえず、風呂にでも……。」

 少しでも落ち着けばいいと、何より玄関を雨水だらけにするのはもう止してほしい、と自分とそう歳の変わらぬ男に言い捨て、春緒は家の中へ、風呂場へと足を向ける。戸口の男は雨に打たれ全身が濡れていたが、滴る雨水を気にする風もなく、寧ろわざと廊下を濡らすように、水を撒き散らしながらついて来た。嫌なやつだ。礼儀も遠慮もない。

「ちょうど、今一人入った後だ。まだ温かいままだから、入るなら好きにして。」
「誰が入った? 男か。」

 わざと変なことを訊く男に、春緒はまた気分が悪くなった。

「誰でもいいだろう。はやくしなよ。」

 未だ廊下を水浸しにしている男に苛立ちを隠さず促す。二人はすでに脱衣場まで来ていた。浴室の戸を開けて場所を示すと、春緒はすぐに部屋に戻ろうとした。男はどこか満足そうににやつきながら追いかけてきて、男だな、おまえの〝いい人〟だろう、と言うと、春緒の腰を掴んで、そのまま湯が入った浴槽に押し込んだ。抵抗する間もなく頭を沈められ、鼻からも口からも水を飲んだ春緒の意識がふつり、と途切れるのには一瞬もかからなかった。


  ◇


 名前を呼ばれて目が覚めたのは夕方だった。空はからりと晴れ、外側だけはすがすがしい。

「雨、やんだんだ。」
「雨なんて降らないよ、今日は。」

 ずっと晴れていたさ。桜蔵が答える。春緒は初めて、自分が縁側で布団に包まれていることに気が付いた。服は当たり前のように着ていない。

「お前はまた連れていかれるところだったよ。」
「面白がるなよ……。」
「面白がってなんかいないさ。おれのものに目を付ける無礼なやつがいたってことが面白くない。」

 無礼なやつ、というところに強く共感する。不機嫌な桜蔵を横目に疲れた、と呟けば、憑かれたんだろう、と鼻で笑われる。おれのものは自分で守る。安心していい。桜蔵の囁きだった。


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