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働きたくないのにボランティアやインターンに気が進む理由
過去の記事でも書いているが、私は働きたくない
自分の限られたエネルギーをライフワークに使いたい
だが、お金が出る労働には気が進まないのに、ボランティアとかインターンには率先して参加してしまう
最近、そのことに気づいてすごいモヤモヤするので、散歩中に考えてみた
その1:責任を伴わない(もしくは少ない)
賃金をもらう労働に比べて、無給~少額なので気持ち的に楽なんだと思う
(特定の業務や有休インターンでは給与が出る)
使用者側の対応も違う気がする
災害や医療系のボランティア、スタートアップや社会的企業のインターンは少し例外ではあるが、それでも本職の人に比べると責任は少ない
その2:選考がない(もしくは少ない)
webでフォームを送るだけとか、あっても面談や説明会ぐらい
面接がニガテなので、かなり楽
賃労働は、書類選考→適性検査→面接→面接→面接みたいに4~5段階ぐらい選考プロセスがある(少ない企業・団体もあるが)ので、活動までのハードルが高い
とっかかりやすいのがいい
その3:成果が重視されるわけではない
お手伝い的ポジションなので、あまり期待されない
ボランティアは特にそんな気がする
インターンは期間・業務内容・方向性によって分かれる
実際、1度だけ、イベント参加者数・イベントからの勧誘者数を意識させられたインターンがあった
結局、目標には届かず反省会はしたけど、特にお咎めはなかった
その4:わかりやすく感謝や「ありがとう」という言葉が得られる
お金は出せないけど人手は足りない所が出す場合が多い気がしていて、参加するだけで(もちろん業務はする)歓迎される気がする
少しヘマしても、あまり責められることはない
これが給与の代わりになっていると感じる
▼過去に参加したボランティアで感じたこと
その5:技術や動き方を見ることができる
その上、インターンだと、どういう風に動いてプロジェクトが進んでいくのか見ることができる
場合によっては、アドバイスをもらえたり、意見交換できたりする
あまり重要な働きをしていないのに、そういう機会が得られるのはすごい贅沢なことだなと思う
結論:責任を負いたくないのかもしれない
まとめると、「自分がニガテとしていることを避けて甘い蜜を吸うことができる」ことが理由なのだろう
「でも、これってお金がもらえても同じ状況になったら、賃労働を選んでしまうんじゃないか?」
心の中で、自分へのツッコミが止まらない
でも、1つ言えることは、私はお金を得るために働くタイプの人間ではないということだ
なぜなら、私はアナキズム・フェミニズムを信奉するミニマリストであり、今の経済・人間の在り方・モノが多い暮らしに疑問を感じているから
ちゃぶ台が生活の中心にない暮らし、経済のためなら人を蔑ろにする構造、ある物を最大限生かさないモノの使い方
今の賃労働は、私が抗いたい対象を全て含んでいると感じている
だから、最低限の賃労働もしくは社会に抗することが可能な賃労働をすることはあれど、バリバリ賃労働することはないだろう
なので、今後もボランティアやインターン(学生限定かもしれないが)に参加したいと思う
では、また