【実例アリ】変えられないものを捨てる考え方4選ー『嫌われる勇気』
最近、家族にスピリチュアルな会に強制加入させられ、「脱退したい」と連絡した時に返ってきた反応に萎えています
"仕送りという"オモイヤリ"を送っているのだから、あなたが私が所属する会(以下、A会と呼びます)に入会するのは当然でしょ"
平たく言うと、こんな内容
"オモイヤリ"ってなんだ…?
仕送りしている見返りとして、個人の信条や所属する組織の選択に介入していいってどういうことやねん…?
かれこれ、スピリチュアル系のお誘い・トラブルは今回で3回目
そろそろ頭が痛くなってくる頃
次は、就職、結婚への介入か…?
何を人質にトラブルを持ちかけてくるのか…?
起こってもいない出来事を妄想して、メンタル面にも影響が出はじめていてなんとかせねばと『嫌われる勇気』を手に取りました(なんで…?)
あまりにも、取り上げられることが多いので避けていた本ですが
メンタルが落ち込んでいる時は、その辺にある自己啓発本に手を伸ばしてしまう習性があり、たまたま大学図書館で見つけたのが『嫌われる勇気』なのでした
嫌われる勇気① 他人の領域と自分の領域をわきまえる
アドラー心理学で有名な「課題の分離」という考え方
この考えが一番、今回のトラブルの捉え方を教えてくれた気がします
今回だと、家族は私にA会の理念や素晴らしさを説くことはできる
でも、入会するのは私次第ということです
逆に、家族は、私を入会させることはできない
私は家族が入会をすすめるのを止めることはできない
つまり、家族と私お互いが不快な思いをしているのは
家族が私の許可なしに入会させ、私が家族の入会をすすめる意思をあまり認めていなかったから、ということになります
私の本心としては、家族の一方的なバウンダリーオーバーですが
私も、後述する「他人を評価する」というミスをしている気がするので、このへんで留めます
嫌われる勇気② 「自己への執着」から「他者への関心」へ
家族の言う"オモイヤリ"が「他者への関心」かなと思います
私が「この人なら適切な助言をくれる」と他人に期待するばかりで、自分が「他者に何を与えられるか」を考えてばかりだったのかなと思います
そして、満たされなければ「思っていた人と違った」と関係を断ち切ったり/断ち切られたりしてきました
誰かに贈り物をするのはたまーにやってきました
けれど、平均的に自分のできなさ・落ち込みばかりに目を向けて、他者の大変さに目を向けることは少なかったと思います
「自分のことで余裕がないから」と言い訳をして、避けてきました
(今、書いているこのnoteだってそうですね)
極めつけは、お世話になった大好きな先輩の不調に気づくことができなかったことです
「実は…」と話しを切り出された時は本当にショックでした
「私は先輩の何を見てきたんだ…?何も見ていなかったんじゃないか…?」
私には欲しい言葉をくれるのに、私は何も言えてこなかったなと
そして、今回のトラブルを経て、まだ私は「自分大好き人間」だったんだなと心底思わされました
嫌われる勇気③ 他者をジャッジしない
私が、A会やA会に入っている家族を怪しげな目で見ていることが家族に伝わっていたようです
他者にに対して、「正しさ/間違い」を指摘することは、他者を軽蔑・意のままにすることにつながるのだそう
どうやら、私は、A会に入っている家族=「変な人種/他者を強引に勧誘する人種」とその「間違い」を突きつけて、私の意のまま=「勧誘しない/A会のすばらしさを説かない」にしようとしていたらしいです
スピリチュアルであれ、所詮は自分が「いい」と思う存在/行動を信じる行為であり、そこに正しさ/間違いというものはないということですね
(頭がこんがらがってきた)
嫌われる勇気④ より大きな共同体の声を聴け
ただ、できうる感謝の言葉と共に自分の意見を伝えても、「思いやりがない」などの言葉が返ってきたり、ギャン泣き・ぶち切れされるなら、落ち着いて話を聞いてもらえる世界に行くしかないのかなとも思ったりします
「他人の領域と自分の領域をわきまえる」をベースにすれば、
私の意見/行動(「脱退したい」)は私のものであり、家族が私の最終的な意見/行動をコントロールすることはできない
同様に、私も家族の行動(「入会させたい」)をコントロールすることはできない
今回は、私はそもそも家族の「入会させたい」という意思を知らされずに、気づけば入会させられていたので、コントロールどうこう以前の問題ですね
加えて、私の「脱退する」という行動に対して、「思いやりがない」といった言動は、介入しすぎなんじゃないのかなと思います
しかも、「仕送り」「私の"オモイヤリ"」を出して家族という立場を利用して揺さぶりをかけてきており、「どないしたらええねん」という状態です
こんな時は、家族という小社会に固執せず、別の世界に逃げるのがいい
むしろ、関係が壊れないようにふるまっていたら、自由に生きることができなくなるという、空恐ろしい結末が待っているのだそう(怖すぎる…)
もう簡単に言ってしまえば、「敬意を払って接しても言葉が通じなければ逃げようね」という話かなと思います
自分しか変えられないから他者の視線捨ててこ
今回は、「家族×スピリチュアルへの勧誘」を例にとって、変えられないものを捨てる方法をアドラー心理学からお届けしました
家族に限らず、教師、上司、同期、社会あらゆるものからの視線・評価を捨てられれば、もっと自由に自分らしく生きられると思います
よければ、本記事も参考に「自分を変えて自由に生きられる方法」を身につけていただけると幸いです
私も、家族や自分のできなさを含む、他者や内なる自分からの視線を振り払って自由になれるように活動していきたいと思います
では、また
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