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加藤のファミリーヒストリー12 幼き頃の幸せとは

加藤の兄弟はそれぞれの家庭を持っても仲が良く、特に私と登美子の土浦の従姉妹とはたびたび旅行へ行ったり、お互いの家を行き来していました。
私は父が癌を患い長く療養していたし、一人っ子だったので、従姉妹たちとの交流は姉妹の疑似体験のような楽しさがありました。

特に登美子の長女と次女は年齢も近く二人が私の家で夏休みを過ごすこともありましたが、さあ、ジュースを飲もうとなれば母がコップに注ぐジュースの分量が公平かどうか?二人は瞬きもせずにチェックしたり、一緒にお菓子を作ろうと言うと、姉がやっていることをやりたがる妹と喧嘩を始めたり、私にはカルチャーショックで一人っ子でよかったと思うこともありました。

私は、一人っ子だから、という理由だけでなく、かなり独立心も強かったのか、父の病のために母が強く育てたのか、なんでも一人でやる生き方が身についてしまい、今ではむしろ他人のやり方に合わせられない不器用なところが残っています。

その不器用さで迷ったり、行き詰まったりするときに今でも話を聞いてくれるのがこの従姉妹。幼少期を一緒に過ごした思い出があり、母親同士の考え方に響き合うところのある従姉妹とは友達とも違うまさに姉妹のような心強い関係です。

改めてアルバムに残された加藤家の人々と過ごした楽しい写真は幸せに育てられた証拠。

私はいつも母の手作りの服を着ていました。
この1枚目の亜花のアップリケのついたワンピースはお気に入りでした。
この一番下の写真は私が最も好きな祖父母の家で撮った写真です
この写真を見るたびに、ボロい工場の事務所に隣接した祖父母の家の匂いと
みんなの高らかなおしゃべりの声がよみがえります

母が作ってくれたお花のアップリケのワンピース
高根公団に住んでいた頃登美子一家が遊びにきてくれた時
平井にあった清とみつの家


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