和諺愛護 先意承問
6年前2018年 父の23回忌のこと
法事といってもいつも母と2人ですが、ここのご住職のお話は我々親子と同じ価値観で語ってくれます。
住職「最近は、自分さえ良ければいいと言う考えが増えてきて、暑さもあってかイライラしている人が多くて、もっと、人に思いやりを持って、物も事も誰かに与える喜びを感じるようにならないと、日本はどうなってしまうんでしょう?」
ご住職がここまで話すと黙って聞いてないのが君枝流!
母「こういう時こそ、宗教の考えが人の道に必要なんじゃないんですか?」
この問いかけでますます饒舌になるご住職!でもそこが私も楽しい。
ひとしきり、問答が終わると
最後に、母が、
「もう、私も早くあっちに行きたいんですけど
と言うと」
「急ぎなさるな、まだこの世にやるべきことがあるんです。」
と返されました。
「でも、もうなんにもする事がないんです。
ただニコニコしてるくらいしか」、
というと、教えてくださった
和顔愛語 先意承問(わげんあいご せんいじょうもん)
いい言葉だった。(下記参照)
他にも、
幸せは作るものじゃなくて気づくこと
生きることは修行です。つらいに決まってる
益々心がかき乱される世の中だけど、自分を失わずに行こう!って思えた時間でした!
我が家のお墓がこのご住職で良かった。
次の法事は10年後(2028)
その時も2人だろうか?
正しい順番ならばいつか私は1人でここに来る。
そしていつかゼロになる。
ゼロになる時はせめて、正しく生きられたと思っていたいものだ。
あるところからのコピペですが、私のように無知な方の参考に
「和顔愛語」とは、和やかな笑顔と思いやりのある話し方で人に接することです。
この言葉は、さらにこう続きます。
「先意承問」(せんいじょうもん)。
これは相手の気持ちを先に察して、その望みを受け取り、自分が満たしてあげるという意味です。
つまり、「和顔愛語 先意承問」とは、和やかな顔と思いやりの言葉で人に接して相手の気持ちをいたわり、先に相手の気持ちを察して、相手のために何ができるか自分自身に問いただすということになります。
辛いときや嫌なことがあったとき、愚痴をこぼしたくなるとき、そんなときこそ、まず自分から笑顔と優しい言葉で周りの人に接する姿勢、それが「和顔愛語」です。
しかし、自分自身が「和顔愛語」を実践するとなると、簡単ではありません。
気分が悪いときはなかなか笑顔になれないものです。
愛情を感じていない相手に、思いやりのあるやさしい言葉をかけるのも、抵抗があるものです。
そこで大切なのが「先意承問」、つまり「相手のことを先に考えて、与えること」です。
笑顔になってほしいのならば、まずは相手に笑顔を見せることです。
優しい言葉をかけてほしいのならば、まずは相手に優しい言葉をかけてあげることです。
幸せを求めるならば、まずは相手に幸せを与えることです。
自分から先に相手の気持ちを重んじて、相手の幸せを考えるのです。
大切なのは、思いやりです。
帰りは母と韓国料理でランチ。
あまり外食しないので、食べたことないようなものを食べたがる。
そして、食べながら味を分析する83歳!
まだまだ生きる修行のありそうな母でした。