ピアノを壊してるんです
今、主人はピアノを壊してるんです。
普段一人暮らししている母がちょっとした困り事がある時駆けつけてくれるご近所さん。
いつもは電気にも詳しいご主人が来てくれるのですが、今日は奥さんが来てそう話し出したというのです。
ピアノを壊してる?
その家の子にピアノを教えていたのは私でした。今は成長し就職して家も出て、弾く人がいなくなったピアノ。
電子ピアノが主流になって、音が消せないピアノは近所で迷惑がられることもあり、買う人は
年々少なくなっています。売ろうと思って業者に相談したところ、古くて値段もつかないと言われ、まさに無用の長物となったピアノは、そのままだと処分にもお金がかかるからなのか、ご主人は解体することにして、取り掛かっているところだというのです。
鍵盤一つ一つが音を作るその機能は緻密。そして楽器によって個性のある音色を奏でていた職人の技術が結集されてできるピアノが、ゴミ!
想像しただけで、そのピアノの痛みが伝わってくるようでした。
その生徒は場面緘黙で、ピアノを習いに来た小学校1年生から卒業した6年生まで、一度も口を聞きませんでした。
自分のことはもちろん、「弾いてみたい曲ある?」という質問にも首を横に振るだけでしたが、毎週の練習は欠かさず、驚くほどグングン上達しました。
お母さんから聞いた話では、毎日練習をおばあちゃんがそばで聞いていて
「すごいねえ、上手だねえ」と嬉しそうに声をかけていたそうです。
外では口を聞かない子でしたが、彼女の中ではピアノを弾くことや、それをおばあちゃんが喜んでくれることがますますピアノへ気持ちを向かわせたのかもしれません。
一言も口を聞かなかったのに、彼女は学校で合唱コンクールの伴奏者になりました。
そのくらい周りも彼女の技術は認めていだのだと思います。そして私の教室をやめてからも自分では弾いていたことでしょう。
他人の家のピアノだけれど、そんな思い出がなんだか無性に辛くなる。
あの時、孫とおばあちゃんに幸せな時間をくれたピアノがゴミになるなんて。
あの子はどう感じているのだろう?
悲しいけれど、おばあちゃんもピアノも大切な思い出にかわったと、彼女の心の中であの日々は永遠になったのだと思うことにしました。