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「なぜBBCだけが伝えられるのか 民意、戦争、王室からジャニーズまで」

「なぜBBCだけが伝えられるのか 民意、戦争、王室からジャニーズまで」(小林恭子 光文社新書)

在英ジャーナリストの著者による、英国放送協会(BBC)の戦争時の報道、時の政権からの圧力、王室との確執などの歴史を紐解き、公共放送のあり方を模索するための本。非常に丁寧に取材をしてまとめた本であると思う。BBCにも、例えばダイアナ妃のインタビューを取りつける際の不正や、少女への性犯罪を行っていた大物司会者など、不祥事は多々あるが、それがきちんと公にされて、英国人でない著者がこのように本としてまとめることができる透明性には感銘を受けた。日本の公共放送ではこのようなことは闇に葬られるだけであろう。後半のコラム「BBCとNHK」(275-287ページ)や「英国からのジャニーズ告発」(297-300ページ)など、日本と関係のある記載も少なくなかった。
2022年、英国政府の難民政策に対して、BBCのサッカー番組の人気司会者ゲイリー・リネカーがツイッターで批判し、司会者として出演予定だったサッカー番組の出演を見合わせ、それに連帯して他の出演者も出演を取りやめた件(292-296ページ)については、リアルタイムでBBC報道を見ていた。全ての英語報道を理解できてはいないが、BBCが自分たちのいわば不祥事をトップニュースとしてきちんと取り上げていたのはよく分かった。そのような報道姿勢は評価されるべきであり、日本にもそのような報道機関があったらいいのにと思った。

 BBC開局から100年の歴史を振り返った本「こちらBBC」を書いたブリストル大学現代史教授サイモン・J・ポッターによれば、BBCの戦時中のニュース報道は「客観的とは言えなかった」「一種のプロパガンダだった」。(63ページ)

 戦時下にあって、BBCと政府省庁はそれぞれによる情報統制の足並みを揃える必要があった。このため、プロパガンダ政策を統括する政治戦執行部(PWE)は、BBCの国際放送本部があるブッシュハウスに拠点を置くことになる。元外交官が「外国アドバイザー」として雇われ、PWEに上がってきた政府省庁からの報道要求を精査した。(64ページ)

 スエズ危機に付随する一連の出来事は、国の危機に際してもBBCが編集上の独立を保てるかどうかの試金石になった。グリスウッドによると、「両論併記」の方針を支えたのは、「国内の意見が割れた時に、これを反映させるのが私たちの役目」という強い意識だった。(102ページ)

 BBCでは日の目を見なかった「戦争ゲーム」だが、公開する意義を確信した制作者たちは英国映画協会に話を持ちかけ、1966年4月、同作はロンドンのナショナル・フィルム・シアターを皮切りに複数の映画館で公開された。反響は大きく、1967年には米アカデミー賞最優秀ドキュメンタリー賞を受賞している。
 「戦争ゲーム」事件をめぐって、BBCはあくまでも「編集上の懸念」による放送禁止であって、BBCの独立性は維持されたという姿勢をとってきた。そもそも、王立憲章によって存立が規定されているBBCは「国益」のために行動することが期待されている。(116-117ページ)

 「不和が生じるところには調和が、間違いが発生するところには真実が、疑いがあるところには信頼が、絶望があるところには希望が生まれますように」
 1979年5月4日、総選挙で大勝を果たした保守党のマーガレット・サッチャー党首は手にした白いカードに書きつけた文章を読み上げて新政権樹立の思いを語った。(137-138ページ)

 1994年7月、新たな放送白書「BBCの将来---国民に奉仕し世界で競う」が公表された。白書はBBCを英国の放送業の中心的な存在として位置付けるとともに、商業活動にも力を入れるよう奨励するものだった。商業活動と公共サービスの会計を明確に切り離すよう求めた上で、商業活動は英国の放送関連の輸出に貢献し、自国の主張や文化などを世界に発信することに寄与する、とその役目を明確にした。1997年からの王立憲章は2006年まで更新されたが、受信料制度は最初の5年間のみ、そのまま続くとされた。(172-173ページ)

 2006年4月、ディレクター・ジェネラル就任から3年目に入ろうとしていた頃、トンプソンは視聴者とともにデジタル時代を突き進むための「創造的な未来」戦略を披露した。王立テレビジョン協会で演台に立ったトンプソンは、最優先項目として「オンデマンド・サービス」をあげた。「音も、映像も、文字情報も、すべてのメディアがすべてのデバイスで、いつでもアクセスできるようにする。検索出来て、移動させることができて、共有できる」。トンプソンはこのサービスを「BBCアイプレイヤー」と呼んだ。
 「主力はテレビやラジオであって、新しいメディアはついでにやる、などと考えるべきではない」。利用者が家でくつろいでいても移動中でも、どこにでもコンテンツを届けられるようにするべきで、「1日24時間、週に7日のサービス稼働に投資や制作の焦点を移すべきだ」と強調した。(196-197ページ)

 2012年の両大会は、英国の多くの人が「いつでも、どこでも、好きなデバイスで」のコンテンツの視聴を実際に体験する機会となった。競技の結果や反響をツイッターで老い、様々なソーシャルメディアで共有する「ソーシャル大会」でもあった。五輪期間中のツイート数は1億5000に達し、BBCアイプレイヤーの番組再視聴リクエスト数は2012年8月で1億9700万回とそれまでの月間最多を記録した。BBCによる五輪放送の視聴者は5100万人、パラリンピックは3700万人を数えた(視聴率調査組織「BARB」調べ)。ともに、英国の番組の中で史上最大の視聴者数を記録した。(204ページ)

 2013年1月、国家児童虐待防止協会(NSPCC)と警察の協力でまとめられた報告書によると、1955年から2009年の間にサヴィルによる214件の刑事犯罪が記録され、126件はわいせつ行為、34件はレイプだった。被害者は被害当時8歳から47歳で、73%が18歳未満、81%が女性で、その大部分ば13-16歳だった。加害行為が行われた場所は、BBCの放送施設の他には14の医療機関とされた。
 BBCは元高等法院の裁判官ジャネット・スミスに、サヴィルの性加害とBBCとの関係について調査するよう依頼した。2016年、スミスはBBCがサヴィルの加害行為について確実な認識を持っていなかったと結論付けたものの、サヴィルが高い人気を博した過去数十年間、BBCには「苦情を出さない文化」があったとも指摘した。BBCはテレビ界の有名人の力に心を奪われ、サヴィルを慎重に扱い、実質的に「触れてはいけない存在」としてしまった、と。(208-209ページ)

 放送については、カーディフ大学が4月15日から6月22日までの主要チャンネルの夕方の放送番組を対象に調査した。どの放送局も不偏不党の基準を満たすために離脱と残留の2つの選択肢を紹介したが、この基準への固執が逆に問題を引き起こしていた。どの放送局も「国民が知りたい情報、例えばEUの仕組みや国際貿易の本質、EU市民の社会参加による経済上の効果などを伝えるよりも、残留派と離脱派の互いへの反論のやりとりを報道する方に時間を割いた」という。「不偏不党を狭く解釈したがために、真実にたどり着くことができなくなった」。(217ページ)

 「信じたいことを信じる」「専門家の意見は信用しない」「自分が信頼できる政治家の言説を信じる」。約半年後、2016年11月の米大統領選挙でも繰り返されるパターンが、すでにEU離脱を巡る英国の国民投票キャンペーンで垣間見えた。(218ページ)

 激変するメディア環境の中でも視聴者にとって価値がある存在になるため、デイビーは4つの優先事項をあげた。「不偏不党を徹底する」「唯一無二で、大きなインパクトを与えるコンテンツに重点を置く」「オンラインをもっと活用する」「商業収入を増加させる」である。(236ページ)

 10月29日、ソーシャルメディア利用の新たな指針が発表された。対象は、フリーランスを含めたBBCで働く人々だ。BBC職員の場合は、①常にBBCで働く人間として振る舞い、他者に敬意と礼儀をもって接する、②BBCの信用を失墜させない、③職務で不偏不党の維持が必要とされる場合、公共政策、政治、あるいは議論を呼ぶような事柄について個人的な意見を表明しない、④同僚を公然と批判しない、など。これらの指針は、個人として私的にソーシャルメディアを使う場合にも適用される。(241ページ)

 その存立基盤は、BBCの場合は君主の名のもとに約10年ごとに発効される「王立憲章」、NHKは1950年施行の放送法による。BBCの設立目的は「BBCのミッションを実現し、公的目的を振興する」ことで、そのミッションとは「公益のために活動し、不偏不党、独自のアウトプットやサービスを通じてすべての視聴者に仕える」ことである。一方のNHKは「公共の福祉のために、あまねく日本全国で受信できるように豊かで、かつ良い放送番組による国内基幹放送を行うとともに放送及びその受信の進歩発達に必要な業務を行い、あわせて国際放送及び国際衛星放送を行うこと」とされる。(276ページ)

 編集の独立性については、「BBCもNHKも「表現の自由」「編集権の独立」などの重要な原則が法律で保障されている」「政府の直接的管理を避ける目的で設置された最高意思決定機関でさえ、個別の番組内容について干渉することを法律で禁止されている」という。
 これがBBCは理事会、NHKは経営委員会に相当する。「この点ではBBCとNHKに大きな相違はない」。
 しかし、委員の選出方法には違いが見られると中村氏はいう。「1990年代末以降、英国では独立した公職任命制が導入され、選出過程の透明性が確保された。理事長の任命も公募から始まる。日本の場合は人選にかかわる情報は公開されず、任命に至った経緯は全く分からない」。(279ページ)

 日英の放送局の違いをさらに原氏に直接聞いてみた。「最大の違いは、政治との距離にある」「BBCはイラク戦争の報道などで英政府と対峙してきたが、NHKは政府に批判的なニュースを流すことはめったにない」。
 BBCも首相が放送を差し止める権限を持つうえ、王立憲章が更新されなければ公共放送自体が存在しなくなる恐れもある。しかし、「公共放送にとって日本よりもむしろ厳しい制度下にありながら、BBCは果敢に権力監視をしている」。日英の報道ぶりや権力との戦い方の違いは「法制度の問題以上に、公共放送(を経営する人々)の姿勢の問題ではないか」と原氏はいう。
 改めてBBCのこれまでを振り返ってみると、「独立していること」「公共の利益のために情報を提供すること」を柱に、時には政府からの圧力に抵抗しながら戦う姿勢があった。それが如実に表れているのがジャーナリズムだ。(283-284ページ)

 厳しい質問を受けた政治家の側はムッとするかもしれない。恥をかくかもしれない。しかし、政治家は厳しい質問をするのがジャーナリストの仕事であることを知っている。政治家も、ジャーナリストも、視聴者も、そしてジャーナリストが勤務する報道機関の上層部もこのようなジャーナリズムが通常のことであると認識している。
 果たして日本は、「厳しい質問をするジャーナリスト」を受け入れる体制になっているだろうか?
 筆者は日本の政治報道が「BBCのようであれ」とは必ずしも思っていない。何をどのような文脈でどう伝えるかはその国・文化の独特のやり方があるはずだ。国民に何かを伝えたい時、最適の方法を知っているのがその国に住むジャーナリストや編集者だろう。(285-286ページ)

 英国の言論空間で「ナチス」や「ヒトラー」を用いる比喩表現は禁句に等しい。これまでにも不偏不党ではない発言をしてきたリネカーを、今回に限って即出演停止とした理由は禁句を示唆する表現だったからか、それともリネカーが内相の政策批判を行ったことで官邸から圧力を受けたのか、真相は不明だが、「政府に対して弱腰」という印象を与えたのは確かだ。
 13日、BBCはリネカーが翌週から番組に復帰すると発表した。同時に、ソーシャル・メディア規制の見直し作業を開始すると宣言している。(295ページ)

 英国のテレビ局が制作した番組が日本の社会問題を鋭く描き出し、その結果、日本の中で変革への大きなうねりが生まれる、そんなことが今まであっただろうか?
 2023年3月7日、BBCがリネカー事件に揺れる直前に放送したドキュメンタリー番組「J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル」はそんな稀有な例となった。日本でも3月18日からBBCワールドニュース・チャンネルを扱う複数のチャンネルで放送された。

Film Screening & Discussion - Predator: The Secret Scandal of J-Pop

https://dajf.org.uk/ja/event/film-screening-discussion-predator-the-secret-scandal-of-j-pop

Why is J-Pop's Johnny Kitagawa still revered in Japan despite being exposed for abuse? - BBC News

 本書では、1920年代に誕生したBBCのこれまでをたどってきた。
 改めて、「BBCが伝えてきたことは何か」を考えてみると、主軸にあるのは初代ディレクター・ジェネラル、ジョン・リースがBBCの目的として定義した「情報を与える、教育する、楽しませる」に尽きるのではないだろうか。(313ページ)

 ダマザーは、「強い公共サービス放送が存在すること」が英国のメディア界と米国との違いではないかと指摘する。英国民がニュースに接する時、公共サービス放送が最大の入り口となる。主要放送局によるニュース報道には不偏不党遵守が義務化されている。その一方で、不偏不党性を要求されない新聞界は思い思いの政治的主張を自由に報道している。「主張の中には自分が賛同できないものもあるけれど、公共サービス放送が中心に置かれていることが英国の民主主義や公的空間の生活に非常に重要な役目を果たしているのだと思う」。
 1920年、世界で初めて商業放送が誕生した米国では、1949年、連邦通信委員会が放送の公平性を保つために地上波放送を対象に「フェアネス・ドクトリン(公平原則)」の指針を制定した。その後、ケーブルテレビの普及やメディアの多様性などを背景に、1987年、廃止された。「現代アメリカ政治とメディア」の執筆者の一人、山脇岳志氏は、米国の世論の分極化や極端な放送が出てきた一因としてフェアネス・ドクトリンの廃止を挙げている。(316-317ページ)

 「プライベート・アイ」のイアン・ヒスロップ編集長は、1960年代にBBCが放送した若く貧しいカップルが主人公となったドラマ「キャシー・カム・ホーム」がホームレスの問題を切実に伝え、国民的議論が発生した時のような大きなインパクトが今回のITVのドラマにはあったと指摘する。しかし、十数年にわたるジャーナリストたちの手による事実発掘の努力がなければ、「今回のドラマは存在しなかっただろう」。被害者を組織化したベイツの粘り強さを「ジャーナリストたちも持っていた」。ジャーナリズムとは、あきらめずに「何度も何度も報道していくこと。まだやっているの、と言われても続けていく。「何か」が起きるまで、やっていくことだ」。(321ページ)

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